第八十七話 彼方:駿河に小京を見る
第八十七話 彼方:駿河に小京を見る
流石に寛容な俺も、足利持氏の帝を帝とも思わぬような行動に苛立ちを感じている。上杉憲実からの申し開きと「もう辞めたい」という悲痛な叫びが聞えてくる。確かにポンコツ上司を持つ苦労は理解できるが、家業だから誰に任せるってんだよお前。
「どのようにお答えなさいまするか」
「駿河にて今後身の立つような手配をするゆえ、暫く堪えよと伝える」
史実では、上杉憲実は鎌倉公方に殺される危険を感じ鎌倉から出奔、その後は管領を息子に譲り出家して……西へと向かった。三蔵法師かよ。山口で死んだんじゃなかったかな。そう、小京だよ。
「関東に近く、されど関東ではない駿河の「小京」に館を用意させる。何かあれば、今川に助力し関東に干渉する……が、基本は隠居だ」
「であるなら……今しばらくは我慢できるでしょう」
周泰……お前の親父さん、もう少しで楽にしてやるからと伝えてくれ。足利持氏一党を『楽』にしてやれば、世の中随分とシンプルになる。
そう思っている時期もありました。
歴史上において、足利持氏は息子の元服を永享十年六月に行い、源義家の故事に因んだ式を鶴岡八幡宮にて関東の諸将を招聘し行っている。これは、鎌倉公方としての「踏絵」だろうな。上杉謙信も関東管領就任の式を同様に行っていることを考えると、意図は同じだ。
また、息子に『義久』と名乗らせ、室町幕府からの自立を主張する意図があったと見受けられる。まあ、単なる反逆なんだが。この時点で、既に、上杉憲実は出仕を中止し、関東管領を辞職している故に、鎌倉府は半ば機能停止に陥っているのだが、戦馬鹿脳筋の持氏には「そんなのかんけぇねー」
となっていく。
――― 新皇とか名乗り始めそうな勢いだな、おい!
春三月、未だ寒い日もあるが、俺と先遣隊三千の奉公衆・番衆は駿河に向け軍を進めた。同行するのは甲斐守・武田信重だ。
「甲斐守、暫くは駿河で足をとどめる。一月ほどかけ、国人共に『将軍が守護を伴い甲斐の国に入る』と先触れさせるのよ」
「……畏れ多いことにござりまする……」
駿河にほど近い、河内郡に軍を展開させ、参陣を促すことにする。勿論、来たものは所領安堵、期日を過ぎて参集せぬ者は甲斐守率いる軍で制圧し、鎌倉公方に付いた国人共の所領は山分けもしくは将軍の直轄領とする。
「……直轄でございますか」
「京に直接紐づいたものを配置することで、甲斐守に逆らうものが朝敵になりかねないと知らしめるためよ。甲斐守は我が弟分、そして、将軍は帝から日ノ本を委ねられておる。それに逆らうは、日ノ本から出ていくしかなかろう」
生きているのか死んでいるのか分からないけどな。奥州に源義経が逃げたのは、朝廷の権威の及ばぬ場所であると知っていたからだろうな。ルートもその通りだし。
十日ほどかけ、街道の整備など土岐・斯波らにダメ出しをし、ゆるゆると足を進めることになる。同行するのは上杉『周泰』だ。しばらく、甲斐守に付け、残す番衆と甲斐守の調整役を担わせる。関東管領の息子だ、格に問題はない。
「駿府が見えて参りましたな」
東海道が街の中心を抜けるところは変わらないが、以前の今川館とその周辺の重臣屋敷だけを取り囲んでいた一重の濠と土塁の外側に、町家を囲む惣構の二つ目の土塁と壕が作られている。
土塁の外側には砦として機能するであろう寺院が配置されており、これも濠と土塁を構えている。京の本圀寺辺りに似ているだろうか。
「……見違えまするな」
「ああ、境目の京に相応しい外観だな。これでは関東の諸将も容易に攻め寄せる事も出来まい」
海上輸送は今川の海賊衆が存在する為、伊豆半島をぐるりと回る補給線や箱根の山を越える補給線も難儀である。伊豆の山中でも似たようなものだろう。
「持氏も掛け声ばかりでなく、天下を狙うなら関東の外に出てくればよいものを」
誰かの声に、周りの近習達も賛同するのだが、後北条もそうだが、関東の武士どもは関東の平野だけで満足なんだよ。開拓の余地もあり、日本一広い平野で勢力争いをしているだけで何百年も過ごせるんだから、それで満足なのだろう。
それにだ、そもそも、自分たちが東夷であることを内心是と思いつつ、京へのあこがれもないわけではない。源義家の末裔とはいえ、京育ちの源氏の嫡流を担ぎあげる理由なんてのは、自分たちの出自に対するコンプレックスなのだろうから。持氏もその類なのだろう。
だから、見える場所に「京」を作ってやればいい。流石に、条坊制は難しいが、それでも街の作りは似せることが出来る。鎌倉は狭いし、武家の街だからな。見て驚け夷ども!
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