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『義教記』~転生したら足利義教でした。【完結】  作者: 万人豆腐
『和賀大乱』 永享七年(1435)

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第八十五話 朝臣俱小武芽森出:行こうよ京都へ

第八十五話 朝臣俱小武芽森出:行こうよ京都へ


 関東に兵を出す前に、御教書をどんどん出すことにする。事前予告と、鎌倉五山にいる主だった有力国人の子弟の中で将軍の傍で仕えたい人材をこのタイミングでこちらに呼び寄せる。


 名目は「京遊学」と言ったところだろうか。


 鎌倉公方を討伐する事自体は難しくない。その後の、関東の統治の準備をする必要がある。その為には、数年後、鎮守府将軍として鎌倉に下向する俺の息子たちの周りを固める側近に、関東出身者を加える必要がある。


 俺の考えとしては、五山の禅僧の側近を京二人 鎌倉二人程度で用意し、京の二人は傅役を兼ねさせようと考えている。俺の息子にも「太原雪斎」が必要なんだよ。室町の高級官僚は五山の禅僧だからな。


 五山に守護や有力国人の子弟を集め、天下の吏僚として各守護に派遣するというのは難しいだろうか。江戸幕府の場合、主要な港湾や商都に関しては代官地になっていて、中堅から上位の旗本が奉行や代官を務めていたと思われる。


 幕府の直轄の飛び地をそれぞれ設け、監視と仲介機能を持たせ、そこにを五山の末寺の門前町にするというのはどうであろうか。寺内町というと、本願寺が思い起こされるが、禅寺に門前町が存在しないというわけでもないだろう。ならば、惣構にして寺内町にして守護国人の監視場所にするのも良い。


 街道整備は、その拠点都市である幕府直轄の五山の寺町を経由して行かねばならぬ事にしたいものだ。


「近江で作りまするか」


 近江ね……確か、坂田郡には幕府の直轄地があったと思われるけど。どうだろう。この時代には存在しないが、今浜があり、姉川が流れている美濃との境目でもある交通の要衝だ。


「坂田郡で水運が使える場所が良い。場所は……今浜のあたりで考えるべし」

「堅田衆に依頼を出しまする」


 堅田は六角氏と琵琶湖の水上権を巡り対立している。六角氏は持氏を倒した後に攻めるべき相手であり、堅田衆と、甲賀の背後の『伊賀』に関しても俺の手駒として育てていかなければならない。その辺りが、来年以降の課題になるだろうか。


 堅田は元は延暦寺の荘園から始まった土地であり、現在では惣組織が形成され、殿原衆(地侍)と全人衆(商工業者・周辺農民)からなる「堅田衆」による自治が行われている。


 堅田に臨済宗が広まって武士階層が多い殿原衆の間で広く支持されて祥瑞寺が創建された。ここは、毛坊主一休が修行していた寺であるが、個人的なかかわりでどうこうはしない。


 むしろ、住職に俺の関係者(実家が有力国人)を押し込んで、寺内町を形成し、堅田に影響力を持つのもありかもしれない。まあ、今浜開発の後の話だ。今浜の利権で堅田を釣りあげて、俺の手駒にした後、六角討伐に協力させる。湖上封鎖ができるか否かで、攻囲戦の難易度はかなり変わる。最後は甲賀に逃亡、その後は首が届くのを待つだけの簡単な仕事だ。


 京極は守護代を浅井あたりにやらせるとカッパがれることになるので、南近江に領地替えして、北近江を直轄地にする。直臣なら浅井や赤尾・磯野あたりも文句はないだろう。守護代は土岐の関係者を入れる事にするのも有だな。





 坂本に似た街を今浜に作り、臨済宗の寺を中心に惣構とすることを課題として与えたのだが、堅田衆は「まじっすか、いいんすか」というので、「良いかどうかはお前たちの貢献しだいだ。機会は与えるのだから、言うほど力があるのかどうかを示せ」と伝えると、がぜんやる気になったようで何よりだ。


 今まで、延暦寺や六角から一段下に見られていた堅田衆は、今浜に土地を与えるという条件で喜んで街づくりを始めたのである。まあ、こっちからは義郷を俺の代官として向かわせる。警固の番衆も勿論向かわせることにしたのだ。


「関東攻めに間に合いまするか」

「六角や土岐、京極にも協力させる。京ないし、敦賀から今浜経由で東海道、駿河に物資を送るのだから、当然の事だろう」


 その後、自分たちのために使われることにもなる『今浜』の城塞群を整備させられる六角は可愛いものだ。頑張ったのであれば、多少の手心は加えてやらんでもない。京の河原に首を並べるのは止めておいてやる。因みに、持氏一家は当然梟首だ☆。


「兵はいかほど向かわせまするか」

「二千で良いであろう。完成が近づけば、来春には駿河下向に半数を同行させることにする」

「なるほど。道を固めさせる意味もござりまするな」


 一石二鳥は当たり前です。ついでに、六角の配下の国人共への接触も開始しておこうかと思う。甲賀は伊賀を使うとして、それ以外の国人は坂田周辺から始めて、いざという時は離反するように話をそれとなくする必要があるかも知れない。


 あまり急いては六角に警戒されるので、それとなく探る程度にしておくべきかもしれないな。佐々木六角は中々侮れない曲者がおおいからな。無駄な消耗を避けたいもんだ。






これにて第八幕終了です。次幕は『関東平定』となります。気になる方はブックマークをお願いします。


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― 新着の感想 ―
[一言] 義教の時代は戦国時代程流通が活発化していないので徳川の真似は無理です。 梟首しなくても秀吉の小田原攻めの真似して関東諸侯に力の差を見せ付ける意味でも出家させる手が有ります。持氏は生かして置け…
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