第七十話 夏の別れ:避暑と高野山
第七十話 夏の別れ:避暑と高野山
大和の仕置には時間がかかり、最近、ようやく丹波半国が将軍の直轄領となることになったのだが、「今年の分の税は細川に収めてよい」と俺は命じた。まあ、ほら、今年は来季に向けての計画を立てるだけだから、今まで面倒見てきた分の税は細川が取るべきだろうという配慮だ。
奈良にも『桔梗屋』を出す事になり、気の利いたものを京の店から出し、筒井氏の息の掛かった者たちを加え仕事を執り行うようにしている。筒井は暫く大和統治の中核を担わせるつもりであるし、明らかに幕府に従っている者。日和見であった者、逆らった者に対して差をつけるのは平等である。
結果の平等ではなく、行った行為に対する平等であると考えてもらおう。
「……また難しい顔をなさって。政の事を考えるのはおやめなさいませ」
「そうは参りませぬでしょう御台様。上様は、帝の事、日ノ本の事、民の事をなにより心砕かれております故」
「……重子……点数稼ぎかぇ……」
「家族の事が最優先だがな」
そりゃそうだ。家族がいて、その住む場所である京があって、日ノ本や帝が必要なわけじゃない? 家族抜きでおのが野望だけで暴走すると、最後秀吉のような醜い結末を迎える。
天下人って言っても、あれだ、家族に恵まれなかった男の哀れなお話だ。甥を家族諸共殺して……ただで済むわけねえだろ。全部自分の子供に降りかかってんじゃねぇか。
家康も長男切腹させたり、結城秀康を冷たく扱ったりしてるけどな……まあ許せる範囲ではある。信長の圧力や秀吉の手垢のついた男が気になったというのもあるだろう。母親の出自も微妙だしな両方。
さて、俺んち一家は避暑に嵯峨野のとある場所に来ています。え、愛宕権現に戦勝のお礼に来ているという建前だよ。
大体、盆地でくそ暑い京に赤ん坊何人も置いておけるか、死んでまうやろー
絶対温度にさほど差が無いんだけど、木々の間を抜ける空気が日に当たらない分涼しいんだよ。木陰ってとても大切。朝も山間の方が日が差し始める時間も遅いし、日暮れも早い。なにより、西日が当たらないのがいいねこの辺りは。
尹子さんは少々お姉さんになりましたが、子供たち特に『大姫』の遊び相手が忙しい。
「赤子は目が離せませぬぞ」
「あい!!」
まだまだ体は幼子だが、すっかり俺の家の『大姫』様だわ。母親より母親らしいと言っても過言ではない。あー この娘が嫁に行く時、俺は大泣きしそうだわー
因みに、俺がここにいるのには今一つ訳がある。
「上様……」
愛宕聖の顔見知りから声が掛かる。
「『高野』から返答がございました。こちらに詳細がございまする」
大和親征の後、周辺の勢力に今回の事の詳細を伝えたうえで、『越智・沢・秋山に連なる者を受け入れぬように』と伝えてあるのだが、その返事がボチボチ着ている。
正式に幕府として通達を出した守護・有力国人とは別に、高野山・根来寺・等大和周辺の有力寺社にも愛宕聖経由で使者を出している。
どうやら、高野山も既に返事をもらった根来寺同様、こちらの判断に委ねて欲しいという内容であった。高野山は叡山よりなお一層世俗から距離を置いている一派でもある。南朝がこの辺りを拠点にしていたのは地形の問題もあるが、修験や密教と後醍醐天皇の倒幕運動が関係していたことが大きな要因ではないかと考えている。
表の武士、裏の宗教者と繋がりを両方保てるのが天皇家であり、後醍醐帝はその辺り、史上最強レベルで活用したと言えるだろう。まあ、最後はどうかと思うけどね。
高野山も信長には従わず、秀吉に従ったのは北条氏が滅びる直前……つまり、秀吉に対抗できる勢力が完全に無くなる直前まで従っていなかったと思われる。雑賀討伐の後は、高野山も視野に入れていたと言われる。
叡山・高野山は寺社勢力において最上格を持ち、中立性・不可侵性は終始尊重された。その独立性は、世俗権力の介入を退ける経済力・軍事力によって担保される。その境内は外の事情は一切考慮されず誰でも受け入れる。
寺社の「無縁」性が敵対者の盾となることを嫌ったのは信長・秀吉だけではない。俺も仕事がしにくくなるので嫌なのだ。
史上、比叡山に対し浅井・朝倉軍の退去要求、高野山に対する荒木残党引き渡し要求など、信長は敵方の人間を受け入れないよう寺社に対し要求した。外部に対する中立性・『無縁』の思想からすれば受け入れられない。
征夷大将軍の下、一つの日ノ本になるには、宗教勢力をも将軍の施政下に置く必要がある。室町幕府にできず、徳川幕府になってようやく成立したのはこのことなのだが……まあ、時間がかかるだろうな。
因みに、高野山が秀吉に許された領地は……わずか一万石だ。
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