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『義教記』~転生したら足利義教でした。【完結】  作者: 万人豆腐
『籤引将軍』 正長元年(1428)
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第五話 今のこと

ジャンル別日刊8位に入っておりました。ブクマ&評価ありがとうございました☆

第五話 今のこと


 戦後、女とストッキングは強くなった……なんて言葉も昭和の時代にはあったそうですが、日野胸小……いや、宗子さんは俺の生まれ育った時代の女の基準からすればそれほどきつい性格ってわけでもない。


 全能感とか持ってない分、お互いの立場を明確にして話をすれば分かち合う事ができる程度には頭もいいし、性格だって悪くない。こっちとしては傅かれる女ばかりなのもうんざりなんだよ。


 せめて、自分の奥さんくらいは対等に話せる関係でありたい。これって、戦国時代なら当たり前の感覚だよね? 利家とまつとか。


 まあ、叔母の日野栄子が強引に進めた婚姻だ。妹の重子、この子はあのヒキニートを産む子なんだが、今十七歳。姉の宗子は三歳年上の二十歳。恐らくは義持の後の将軍に嫁がせるために、婚姻させずにおいたのだろう、この時代の公家の娘としては明らかに行き遅れ。


 重子も同じ家にいるので、たまに見かけるが「姉が駄目なら私でもOK」くらいの明るい笑顔で独身生活を楽しんでいる。姉以上に手強そうな強かな感じのする娘だ。これが、長男が早世してガックリきちゃって、マザコン次男を育ててしまうとは、やっぱ母親にとって息子というのは特別なのだなと思ったりする。


「……主様……今、重子の事を考えておりませんでしたか?」


 なんでわかっちゃうの? エスパー胸小……いや宗子なの☆ 確かに、姉はスレンダーの江戸時代美人。妹はむっちり戦国美人。細い女性が美人とされたのは平和な江戸期かららしいね。戦乱期は巴御前のように肉感的な女性(いや、見たことないけど、小池栄子さんの演じた巴はとても良かったからそう思っているだけ)が美人とされた。重子さんは胸が大きいです。


 最近、すっかり俺の事を主人と思ってくれている小宗さんは、色々知っている公家のうわさ話などを俺に話してくれる。本人は世間話のつもりなのだろうが、俺の耳に入れるべく、周りがそういう話を宗子に伝えているのだろうと思うと、心休まらないという気もするが、情報は情報だ。


「つまり、禿げるほど年寄りは武家の棟梁にはなれないということか」

「体が資本の仕事でございましょう?髷がゆえぬほど老いたならば、隠居すべきなのだと思います」


 えー 山名さんの所の持煕御爺ちゃんなんて六十歳で、かなりキテルけど、隠居させてもらえないじゃない?


 最近俺が聞きたいのは、宿老たちの噂話だ。ほら、長生きする前提なら時間をかけて立場を強くすることだって可能じゃない?深酒も睡眠不足もストレスもなく、健康的な童貞……独身生活を送ってきた坊主の俺は、長生きする才能があると思うの。


 足利義満だって、将軍を十歳から始めて、権力を掌握し自分の思うがままに振舞えるようになったのは周りの諸先輩が死んでいったからだよね?権力の掌握には時間がかかるし、タイミングも大事だ。


 故に、宿老たちが死んでいくのを待つのが吉。先に子供をバンバン作って信長よろしく宿老に後見させてやろう。まあ、途中で死んじゃって失敗したけどね。


 次男は長男のスペアとして残し、三男は丹羽長秀、四男は羽柴秀吉に付けて四国・九州を差配させるつもりだったんだろうね。関東管領で失敗したのは、代を重ねて他人になったからだし。その辺りは、婚姻政策含めて徳川御三家や御三卿が参考になるだろうか。


 とにかく、子供をたくさん作って、娘を有力な管領や大名に嫁がせ、供回りだって送りこんじゃおう。側室がもっと必要なんじゃないかな?


 家康は長命だったこともあるけれど、御三家を建てた子供たちは孫の年齢だったからね。家光と変わらないくらいの歳だった。俺は、家康になる☆


 後家さんだってOK ! まあ、美人で賢ければね。不細工な将軍の庶子じゃ、担ぐのも嫌でしょう。男の子は残念乍ら、出家してもらう事が増えるでしょう。数が多いと、困るからね。あ、養子で押し付けるというのもありかもしれん。お家騒動ドンとこい。




 山名持煕は、「相伴衆」という将軍側近を義持兄の代から続けているんだが、その端緒、明徳の乱からだ。山名家の総領争い義満と戦い敗れ義満の馬廻となり命脈を保つ。


 山名氏清と満幸を討伐し畿内に近い領国を取上げ、山名持煕を惣領に復帰させる。土岐氏にも似たようなことを仕掛けて弱体化させるように仕向けたりしたんだな。


  大内義弘・応永の乱では、山陰の戦力を率いて戦っている。立場が弱いものを引き揚げ、自分の手駒として使い、強力な管領や守護を別の管領守護を用いて討伐し弱体化させる。応仁の乱や、足利義昭の御教書乱発の行動原理は、既にこの義満の時代に確立していたわけだ。


 国が亡びるのは、その国が怠惰になったからでも無策だったからでもない。その国を大きくするために有効であった行動原理が、ある時代にその反対に動くようになったから……とかなんとかいう話が合ったかと思う。


 相対的に弱い立場の足利将軍が、『借刀殺人』の計を用いて有力な家系を弱めていくことが短期的には足利将軍の権威を高める事につながったが、回を重ねるごとに、下克上を促す効果をもたらすようになってきたってことだよね。

 

 守護・管領といった世の中の大きな柱をしょっちゅうとっかえひっかえしていれば、下につく人間は上を軽んずるようになるじゃない?最初から室町幕府って下克上される仕組みがビルトインされてるじゃないか。


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