第五十七話 会いに行く:駿河下向
第五十七話 会いに行く:駿河下向
こんな世界じゃ餅配る暇もない……ポイズン!!
永享四年九月、京を進発した足利将軍の段列は東海道を東へと向かう。主な宿老とその直臣たち、および将軍近習・奉公衆に率いられた番衆、更に、駿河を「京」とする為の都市計画に参画する奉行衆に一部の商人もその列に加わっている。
「見事な行列にございますな上様」
近習が口々に異口同音の感想を述べる。ほぼ戦支度の兵士が一万数千関東に向かうのである。実際、永享の乱で関東に差し向けた戦力は主力の信濃・甲斐・駿河で二万強、斯波氏の尾張・遠江の兵も差し向けられている。同数かやや少ない程度だろうか。
三河は奉公衆の領地が多くを占めているので、その辺りも加えて参陣させても良いだろう。仕事しろ仕事。
錦の御旗でディバフ掛かりまくりだから☆ そりゃそうだよな、朝敵になった時点で所領安堵なんて夢のまた夢だからな。南北朝の時は帝が双方に存在したから完全に朝敵になる事はなかったけど、今はそうじゃないからな。
俺は京を出る時と駿河に入る時は騎乗にするつもりだが、途中は輿に乗る。何でか? 暗殺対応ですよ当然。杉ノ坊はこの時代いないけれど、可能性はなるべく低くしたいものです。まだまだ暑いが我慢だな。
――― 常に暗殺されそうになる俺ってやっぱ悪御所なんだろうか?
一応、細作を放っているし、警固に関しても抜かりはないんだが、支離滅裂な行動をする足利持氏相手なことを考えると、何が起こるか分からない。俺にはキルヒアイスもいないしな、手に入れる宇宙も綺麗なお姉ちゃんもいない。だから、襲撃されたらとても危険なんだよ。
将軍の率いる軍勢を一目見ようと、街道沿いにはチラホラ民草の姿が見て取れる。まあ、江戸時代のように沿道で土下座と言う事はないが、休憩の場所を提供したり、差し入れをくれたりする。多分仕込みだけれど。
その中には、当然、行商人や馬借に扮したり、そのままの姿の愛宕聖の者たちが混ざって警戒をしている。応対側からすれば「幕府の関係者」、幕府側からすれば「応対側の関係者」とそれぞれ思われてるんだろうな。人数が多いときは紛れ込むのも簡単らしい。
そして、如何にもな姿の腹巻姿の奴の群れ。まあ多分、関東から派遣された奴らだろうな。もう少し、身分を偽る工夫をすべきじゃないかおい。お前ら、あからさまに警戒対象だぞ。多分、平安時代から進歩してないだろ頭の中と思わないでもない。
俺の率いている兵とは見た目がかなり違う。あー装備の内容はほぼ同じなんだが、あいつらは「小汚い」のだ。京の清掃を進め、治安活動を番衆が担うようになった時、俺がまず徹底させたのは「汚れたら体も服も洗って綺麗にしろ」だ。まあ、汚れなくても二日も着たら着替えて洗えと言いつけてある。だって、体が臭いんだもん。風呂は無理でも、体は洗え、特に夏場。関東者は小汚く臭いのだ。
当然、休憩中は外から様子が分からないように陣幕を引いているし、輿に乗る場合もその姿を見る事は出来ないので、俺がどの輿に乗っているか内通者がいなければ……多分分からない。
明日は駿河の今川館に入る事になる。因みに「館」と言うのは名乗りに許可がいる。所謂、手柄を立てた守護にのみ許される特権なので、『御屋形様』と言われる存在はその名誉を手にしている家系の者だけになる。武田晴信も今川義元も、先祖のおかげで『御屋形様』だったわけだ。
今日はその前日という事で、藤枝の富士と駿府が同時に見える場所で宿泊することになる。富士山って近いとあんまりありがたみないんだよな。独立峰だから、東京か横浜位から見た方がありがたい。全体が良く見えるからね。須走からとか……デカすぎてよく分からない気がする。
「駿府も中々の街でございますな」
「あれを『京』にする事は可能か?」
奉行衆に会合衆と呼ばれる有力商人が俺と並んで駿府を見下ろしている。
「京は伏見のような外港を持っていますが、駿府は海が近くにございますから、その分、米などの搬入も楽になりましょう」
「上様が広められている『人車』も使いやすいように街路を広くとり、碁盤目状に商人町、館の周りと街の周りにも二重の濠を設けて土塁を築き『惣構』にするのが宜しいかと思われます」
確か、古河公方の御所がそんな感じだったな。堺もそんなデザインになると思われる。義元時代の駿府は濠を持った平城に近いそれだが、今はそうではないからな。
徳川の時代の駿府は、家康の隠居城……とは名ばかりの東海道の西から来る軍を抑える甲府と並ぶ巨大城塞だからな……三重の濠に万余の軍を収容できる巨大な城だ。
この時代は、石垣を持たないし天守閣のような望楼を作らないので、平たい御所のような作りで、周りを土塀で囲んである作りなのだがやっぱ、多聞丸的何かが欲しいよね。出来ないかな?




