第五十六話 君のこと:花押を変える
第五十六話 君のこと:花押を変える
武田信重の父、信満は上杉禅秀の乱で妹婿の上杉禅秀側で参戦し禅秀の討伐後、甲斐で討たれている。
この結果、応永二十四年から甲斐は「守護不在」となり、国人同士の争いが激しくなり大いに国が乱れることになる。主に、京側と鎌倉側に別れての東西代理戦争と言ったところだろう。
この時点で、武田信重は叔父信元と共に在京している。何故なら、甲斐の守護任免は京の幕府によって決定されるため、在京していたのだ。二人は一旦出家し高野山に向かうものの、信元は応永二十五年に還俗し甲斐守護に任じられ信濃・小笠原の支援の下、甲斐に戻るが逸見氏(武田支族)と戦い、二十七年に死去したため再び守護不在となる。
信重が守護を継ぐことも可能であったが、実は問題もあった。甲斐の守護は「在鎌倉」する義務があるが、反鎌倉公方派の守護が粛清される事件が発生しており、わざわざ殺されに行くようなものであったからだ。そりゃ嫌だよな。
その後、応永三十三年に甲斐の国に鎌倉公方軍が攻め込み、甲斐に残っていた信満次男の信長(信重弟)が鎌倉公方に臣従することになる。鎌倉公方は信長の嫡子伊豆千代丸を甲斐守護と認めるとともに、自ら直接支配を試みる。
これに対抗するために、武田信重を甲斐守護に補任し、鎌倉公方討伐の先鋒に仕立てようというのが俺の腹案だ。
「駿河で会おう」
「承知いたしました。駿河でお待ちしております」
彼が甲斐守護に復帰するタイミングは、足利持氏追討が決まってからだ。信濃小笠原を帯同させ、錦の御旗と共に甲斐に入らせるつもりだ。勿論、村上にも兵を出させることになる。
「手筈は進んでいるか」
「勿論でございまする」
退出した未来の甲斐守護を確認すると、近習たちに声を掛ける。彼らが将来的には俺の近衛軍団を指揮する幹部であり、隙あらば本家を乗っ取る庶流の管領四職に連なる者たちだ。
考え方は簡単。この時代の武士は、一所懸命に生きている。欲しいものは所領だが、何も新しいものでなくても構わないのだ。将軍の添状のついた武田信重の所領安堵状だけでも、十分に有力な国人を味方に付けることが可能な魔法の杖になる。
国人=旧御家人、つまり、元は鎌倉の将軍に忠節を誓う代わりに所領を安堵してもらった者たちの末裔だ。建武の新政で『御家人』という、個人的な紐帯に基づく身分が排除され、等しく「守護」の下に統率されるようになった元御家人を「国人」と称する。
国人の支持を得られるものが「守護」を務められるのである。信濃小笠原のやらかし先生を見れば、守護が成り立たなくなる理由も分かるだろう。それを更に尖鋭化させると、加賀の一向一揆による守護の殺害まで至るわけだな。
この場合、地上の楽園どころか……まあ、日ノ本の統制下から離れた独立国家みたいなものだな。もしくは、強大な武装組織が支配している……まあ中共とか人民労働党支配下の朝鮮みたいな場所になる。あとISか。タリバンでもいいな。つまり、こっちとは違う仕組みになっているので、話し合いという手段が成り立たず、どちらかが殲滅されるまで続く闘いが始まる。
ま、蓮如君は一足先にあっちの世界で極楽浄土の王国を建設しているだろうから、安心してあと追おうと良い。
というわけで、最近、宛行状に花押を書くだけでも大変なんだよ。
花押というのは、正式な文書なら黒印もしくは朱印を押すわけだが、やや略式の場合、俺のサイン的な花押を使う。これを立場が変わると変更するわけだ。位階が変わったりだな。
七月内大臣に転任右近衛大将兼任如元となった俺は、更に、駿河下向を前に左大臣となった。前年末従一位となっているので、ある意味摂関家以外としては位人位を極めたと言えるだろうか。
いやー 帝の信頼が重たいです。お前にこの重さが耐えられるのかと足利持氏君に問いたい。
ここで、義満爺は花押を「武家印」から「公家印」に変えたのだという。義持兄は終生武家印を使い続けたのは公武の別を示したかったのだろうか。
俺? 俺も変えるよ。
織田信長は花押に『麒麟』の麟の字を用いたという。それは真似しようかなと思わないでもない。故に『麒』の字を用いることにしようか。
因みに、麒麟が麒がオスで麟がメスだそうです。其の鹿と書いて麒だね。バカモノ、この時代は右から左に読むものだ。




