第五十三話 京の空:駿河と山口と九州探題
第五十三話 京の空:駿河と山口と九州探題
「上様、御寛恕が肝心でございますぞ」
何々みんな集まって。俺がキレやすい危ない人みたいな対応するの止めてもらえますか?
富士遊覧が近づくにつれ、色々心配になる人が増えている。確かに、鎌倉公方の一族は根切にするつもりではある。但し、段階を踏んで、「征夷大将軍と帝がこれだけ配慮したのに、何ヤッテンダこいつ」という空気を作るためには時間が足りていない。
持氏君が様々に暗躍し、それを叩き潰して影響力を削った後、散々に悪行を白日の下にさらけ出し、反乱を起こさせ朝敵として討伐すると……まあ綺麗になると思うんだよね。
それにだ、実は大内盛見が戦死した。九州の仕置きが先だろうな。ただ、大内も混乱しているから、今すぐどうこうという事も出来ない。
「関東の事は後回しにして、九州の事を先に片付けるべきでしょう」
おう、それなら、お前行ってくれって言ったら誰かやるのかね。勘合貿易が止まっているとはいえ、九州・博多を抑える事はとても大きな経済的メリットがある。戦国時代に何度も焼討にされたものの、博多は遠くイスパニア辺りまで知られていた商業都市だ。
この時代、大内が北九州に手を伸ばし、また、大友・少弐がそれに対抗したのは博多の権益の取り合いの要素が大きいだろう。大友宗麟時代、臼杵に直接南蛮船が来ることもあったが、メインは日明貿易・特に倭寇絡みの私貿易だったと思われる。
明の倭寇の親玉が大村や五島列島に拠点を持っていたのは割と有名なお話だ。
因みに、幕府には九州探題と言う役職が存在する。その昔今川了俊が付いていたが、今は連枝の一つ、渋川氏が務めている……はず。なぜ「はず」かというと、存在感が無さすぎだからだ。
斯波氏経・渋川義行と九州探題に任じられ、最も有名なのは今川了俊こと今川貞世が義満親父の頃に活躍した。南朝方と戦い、御家人を被官化し日明貿易の立上げ期貢献、朝鮮使節を受け入れるなど様々な活躍をし九州探題から……駿河半国と遠江の守護となる。降格人事か。
その後、三代ほど渋川氏が務めているし、このまま世襲する可能性も無きにしも非ずだが……そうはいかないよ多分。
基本的には、ここも将軍の親族を下向させるつもりです。渋川君はその代官のようなポジションになるでしょう。だって、全然地縁がない連枝の人間なら、同じ地縁が無くても将軍の弟とかの方がいいじゃんね。
担いで反乱……ない事もないだろうが、短い期間で入換えていくつもりなので多分大丈夫だよ。それはそれで美味しいじゃない。
九州南部は兵站や経済圏的に関係ないので、明や琉球みたいな感じでお付き合いすればいいと思います。薩摩大隅日向肥後辺りまで。土佐も同じ枠だな。
渋川さんちは足利の支流なんだけど、血縁薄くなって足利義詮の正室に娘を送り込んだりしているが、義満さんにその血は流れていないので今は遠い親戚だな。
九州探題は肥前守護を兼ねていて、少弐氏・菊池氏と戦うのだが、よくよく負けている。応永の外寇に対応しようとしている最中に少弐に攻められ博多に逃げ込んだ後敗走したりするのだ。
故に、大内氏に頼らねばならないのが現状だったりする。大内が力をつけ過ぎるのを嫌い、大内義弘を討伐した結果、九州はさらにどうにもならない状態になっているわけだ。足利義満の勢いに任せた行動って、結構今の時代に爪痕残してるんだぜ。
大内は自前で京都風の街を作ろうとしているんだから、京を支配するより、北九州と自領の中国地方西部で商業圏を作ろうとしているのだ。つまり、
山犬よりはうんとましだ。
理想を言えば、山口・駿府を京と小京にして九州・大陸、関東の交易の窓口にして発展させるのも悪くないと思うのだよ。戦で従えるより、自分たちの目にできる「京」に憧れさせて、交流したいと思わせる方が簡単じゃない。
どこぞの戦争に負けた国が冷戦時代の西側のショウウインドウになったのと同じだよ。ベルリンの壁もTVの電波までは遮断できなかったからね。
「駿府で持氏ら関東の諸将に会えるよう、各自務めよ」
「「「ははっ」」」
まあ、あいつは来ないんだろうけどな。それでも、呼び出してこないという事実は大切。こっちはわざわざ下向したわけだからな。それを蹴ったのは鎌倉殿なのだから、非礼は向こうにある。
それに、自分が暗殺されてもそれをネタに室町殿と対決できるように布石を打つくらいの事が考えられないで、将軍になりたいなんてのは馬鹿げた考えだと思うな。
へいへい、持氏ビビッッテンノ!! と手紙で書いてやろう。望嶽亭って名前の迎賓館が建てられているらしいよ。精々、東の小京らしい素晴らしいものを期待している。小東京……リトル・トーキョーじゃありませんか。




