第五十二話 時を待てるか:勘合貿易を再開したい
第五十二話 時を待てるか:勘合貿易を再開したい
早く勘合貿易を再開せねば。とは言え、確か隻数制限とか入るんだよなこの時代。
義持兄が斯波義将の献言を受けて中止したのが随分前だな。最後の遣明船が応永十八年、明使の入京拒否による国交断絶から途絶えて約二十年。こんな切り方したら失礼だよね。
ほんと、脳筋共は後先考えてないから質が悪い。
普通に「国内事情が不安定なので、しばらくお休みします。今まで本当にありがとうございました」っていえばいいじゃねぇか。馬鹿だろ。
明から様々な利益を受け取っていたにもかかわらず、こんな断り方するというのは、この時代ってやっぱりまともな外交関係ってのは存在しないんだろうなと思う。言ってやった、やってやったで精神的勝利を得ようと浅はかなことをしていると気が付けない。困ったもんだよ。
だってさ、どれだけ幕府のお財布に入る利益を稼いでいたか分かってないだろオマエラ。
足利義満の治世……大陸では明の治世で安定した政権となりつつあった。元寇のあと、元はモンゴル高原に去っていったしね。
義持兄が止めてしまった勘合貿易、こっちからすれば「貿易」だが、明からすれば「朝貢外交」なわけじゃないですか。それを途中でことわったってことは、あまりいい意味ではない。
義満親父が「日本国王」の称号貰って穏便に貿易やってぼろ儲けしていたわけですよ。それを、途中で辞めたっていうのは向こうからすれば失礼千万じゃない? とはいえ、明は日本との貿易を求めていないわけじゃない。手に入れたいものがあるからね。
去年の九月に薩摩の島津宛に俺は手紙を出した。「イオウオクレ」という内容だ。電報風じゃないよ。要点を述べただけだ。硫黄は薩摩国硫黄島で採れるのだが、調達は薩摩守護島津家の任であり、指揮は京から派遣される禅僧がとるんだ。
義満時代、明への硫黄交易の独占で莫大な富を幕府は得ていた。それが有ると無いとでは財政が大違いだ。十五万斤の硫黄採取を頼んだわけだが、これは義満時代の六倍になる。「火薬の原料」である硫黄は銅と並ぶ戦略物資・貿易の要なんだよ。
という事で、永享四年の六月に、遣明船を送ることが決まりました。
十五万斤というと、一斤が600gなので、九十トンになるだろうか。どんだけよ。そりゃ、薩摩で小競り合い起こるわな。臭いだけじゃないんだぞ。
さて、ここで山名時煕が「山名の分を五万斤上乗せして寄越せ」と言って来たんだが……全ツッパ。だって、勘合貿易ってこの先、先細りだからな。山犬にいい顔しても俺たちにはメリットが無い。
山陽道の大内、山陰道の山名が日本海交易で大きな利権を持っているのはよくわかっている。尼子あたりがその部分を継いで美保関あたりで大陸商人を受け入れていたよね。
大内ですら、そんなこと言わないのに、なぜ山名に協力せにゃならんのよ。どの道族滅手前くらいまでは潰すつもりなので、話は聞かないことにする。
「天下の御政道に不公正があってはならぬから」
と言っておいた。だって、山名君って弱いものに対してだけ強いじゃん。一色とか赤松は自分たちが不利でも構わず突撃してくる危険性があるけど、山名はその辺きっちり計算してくるから分かりやすい。
俺は山名をのさばらせるつもりはない。赤松を潰したのち、山名は山陽道に出る美作備前を与える代わりに、但馬を回収。京から遠ざけたのち、山陽道側を赤松屋敷で俺と一緒に殺されることになる山名熙貴に継がせる。
赤松も西播磨の半国守護で赤松貞村に継がせる。満祐一党は族滅です。
因みに勘合貿易は再開されるが大いにスケールダウンする。
義満時代、明との交易船団は十隻に及んだという。銅銭八万貫文の獲得である。船団の二年一往復で、600%のリターンを生む取引ができた。これは、京五山の影響下にある荘園の収入140万石に匹敵する収入になる。まさに、勘合貿易ウハウハで金閣だ能だとフィーバーできるのである。
それが、永享六年に結びなおした宣徳要約じゃあその十分の一、「十年に一度・一往復二万四千貫文」にしかならないもんね。義持兄……のせいだけではないのだが少々恨みたくもなる。
まあ、それ以外の方法で外貨を獲得しなければならないというわけだね。明が銅銭を輸出した理由?紙幣に置き換えたから。銅自体が輸入品であり、インフレが加速する中、銅銭の素材を輸入に頼るのは良くないということからデフレ政策と共に実行され、日本がその銅銭を輸入することになる。
銭座……作れないかね。寛永通宝みたいなの作りたいね。銀でもいいわ……銅の上位互換でな。




