第五十話 可夢音:永享四年京正月
第五十話 可夢音:永享四年京正月
さて、尹子が思う存分餅を食べる姿を横目で楽しみつつ、今年も正月がやってまいりました。早いもんだね。
今年の最大のイベントは『富士遊覧』です。予定では九月の上旬に一週間ほどかけて駿河に下る事になる。勿論、足利持氏ら関東の諸将にも声をかけている。甲斐や信濃の守護らは鎌倉と京に両方縁があるが、関東の者はそうではないので、この機会に顔合わせをしておこうかと思う。
――― 首実検の時に分からないと困るじゃない?
因みに、その軍勢? 供奉する者たちの列は五里に及ぶという。まあ、霧にでも囲まれたら本気で五里霧中である。
「守護回りが面倒だな」
「……替わりとうございます」
尹子さん、餅食ってる場合じゃねぇ! って話なんだぞ。将軍を迎えるのは家の格を示す為の重要なイベントなので、その為に協力するのだよ。幸い、全員在京しているわけではなくなったので、三分の一ほどで良くなったのは幸いです。
室町幕府の在京制というのは、歴史的には応仁の乱以降終わる。帰国しちゃったんだな。では今となにが違うのだろうかと考えてみる。
話は少し飛ぶが、江戸幕府の大名統制がこれに似ているというのは最初に述べたと思う。
畠山恵さんの著作に『ちょちょら』というお話がある。江戸留守居役に任ぜられた兄が自殺し、急遽その後を継がされ、何故死なねばならなかったのかその理由が明らかになるという話。江戸時代は江戸に大名の妻子を住まわさねばならなかった関係から、大名同士の交流を江戸に住む留守居役が担っていた。
江戸家老は名ばかりの大使であり家柄だけの存在。その下の留守居役が他家の留守居役や江戸の商人たちと交流しつつ情報を収集し、お家の不利にならぬよう……幕府からつまらぬ依頼を受けぬように立振舞わなければならなかったということが分かってくる。
それと同じことを、この時代の在京守護の家臣団はになっているのである。幕府の奉行衆と守護の間で婚姻が為されるのはそのためだな。今川家の当主の嫁が素浪人の妹っておかしいだろ? 伊勢氏の庶流の娘であれば、養女にでもして嫁がせたとすればそれほどおかしくない。
つまり、在京家臣団が幕府とのつなぎを保ちつつ、本国にいる守護と連絡を取りつつ対応しているということだ。
江戸の参勤交代制度は大名家に負担の大きい制度であったと言われる。江戸は一大消費地であり、そこで何から何まで調達しようとすれば国元では考えられない金額が掛かる。それに、他の同程度の大名家に後れを取るわけにはいかないので、掛かりも増える。
但し、メリットだってある。まず、街道が整備され安全に移動ができるようになる。大名行列は行軍段列を模しているので、皆武装しているし、大名の数が多いので、行列が重ならないように本街道の他脇街道など『複線化』されている。
大名に従う者たちの中には、江戸で雇われたものもいるので、地方の名産を買って帰って江戸で売るなどちょっとした商売も成り立つし、地方の商店も支店を江戸や大坂に取引の為に出店する事も増える。本格的に商品が江戸から地方へ、地方から江戸へと移動する。商圏が広がり、販売数も拡大するというわけだ。
室町にはなくて江戸期にある経済の拡大はこの辺りも影響しているだろう。『地産地消』では経済は拡大しないからな。
「上様、今年は富士を見に行かれるとか」
「そうだな。鎌倉公方と関東の諸将の顔も見ておかぬとなるまい」
「まぁ、そのような者の顔なら、京にも大勢おりますでしょう」
重子さん、冗談ですよねオホホホ、ほら、尹子が頷いてるじゃねぇか。そうじゃないってわかっていない人の横でそういうこと言うのは良くないですよ。
「何度か反乱も起こっているので、今川らを助ける為に下向するのだよ」
「……さよでございまするか……」
餅好きの尹子さん、この時代にはまだ安倍川餅は存在しないので、そんなに残念じゃないと思うよ多分。
さてさて、駿河下向に供奉する供の中に、何故か奉行衆の娘どもが含まれているのは……多分そういう理由なのだろうな。いいぞ、どんとこい。
因みに、歴史的にみると側室の累計は二十三人もいる事になっている。特別多いわけではなく、義政も二十四人いるので恐らくは普通の範囲内なんだろうな。若死にした五代義量は一人だったり、尊氏・義詮は三人くらいなのは戦戦でそれどころじゃなかったからだろうか。
子供の話と言えば、今川範政は御年七十歳……そろそろ寿命です。やっぱり老いて生まれた子供は可愛いらしく、未だ成人しない幼い息子に跡を継がせたいと望んでいると聞く。
おい、ただでさえ持氏が蠢いているのに、そういうお家騒動になりそうなこと、思いついても口にするんじゃない。やっぱ、公私の別は大事だわ。副将軍家格の今川でもこの程度の見識かよ。




