第四十七話 秋の気配:ただちにもちにはならない
第四十七話 秋の気配:ただちにもちにはならない
さて、永享二年は久しぶりの豊作で一安心といった状況だな。
どうやら、義満後期から義持時代は気温が高めで豊作が続いたようだな。歴史的には、この後、三十年ばかり気温が低い年が続き、全世界的に飢饉が頻発した時代に当たる。
これって、豊作の時に人口増えた分の反動もあるね多分。
この時代の日本の人口は約一千万人、平安鎌倉時代が五百万人、関ヶ原の合戦前後で千五百万、江戸期で三千万と言われている。鎌倉時代後半から鉄製農具が普及し、郷村単位での新田開発が進んだ
ことが人口増加に寄与しているようだ。
平安初期にほとんど普及していなかった鉄の鋤や鍬といった道具類が鋳物鍛冶師により普通の物となり、また、東日本では馬、西日本では牛が農耕家畜として当たり前になる事で、収穫量が増えたことによる。
また、家畜からの堆肥が間伐材の灰の代わりに使用されるようになり、部分的だが地力が増し二毛作も行われるようになったこと、溜池の普及や揚水器も郷村単位で築かれたことも影響している。戦国時代まで、大名による大規模な開発は行われていないのだそうです。へーと思う。
流石に、急激に進歩するなんてことはないんだね。飢饉が繰り返されるたび、裏作の麦や米の品種改良で収穫量を確保しようとする活動が活発になっている。干ばつも勿論だが、長雨と冷夏による収穫減に対応する為、早稲や晩稲も作られている。鎌倉末で三割くらい二毛作をしているのだが、土地が痩せるので施肥と並行して少しずつできる範囲を広げている途中だ。
平安期と比べると、収穫量は単位面積当たり二割ほど増えているのだが、さらに江戸初期には五割、明治期には二倍となっていく。まだまだなんだよな。因みに、戦後で四倍、平成の御代では五倍となっている……どんだけ熱心なんだよ! そりゃ、田んぼ余るわ!!
だがしかし、この後も、1451年にバヌアツの火山が噴火し火山灰の影響で冷夏・飢饉が発生するし、この時期、長雨・冷夏による飢饉のサイクルがその前の百年の三倍、十年毎に発生することになる。
上杉禅秀の乱の時期、正長の土一揆がこの長雨・冷夏による飢饉の発生を背景にしているともいえる。まあ、暴発しやすいよねお腹が減るとさ。
ならば、やっぱり守護が領国経営を前倒しでやるしかないじゃんね。例えば、武田信玄全盛期の天分年間は、十年で四回飢饉が発生している。甲斐において発生したり、その影響を受けている場所であったりする。そりゃ、豊かな関東や信濃に略奪出兵しちゃうよね。宿老がそう主張する。将軍も守護大名も扱われ方は一緒だろう。
というわけで、今日はゾノパパと西岡に稲刈りを見学に来ています。餅?まあ、待ちなさい。
「……初めて見まする」
尹子も連れてきた。ほぼ川舟の移動だから楽ちんだった。尹子は川舟に乗るのは初めてのようで興奮していた……危ないぞ! 舟遊びは池でするものだから、流れのある川で舟に乗るのは面白かったようだ。アクティブ!!
「一粒の米から数十の米がとれるのです」
昭和になると二百とかつくのだが、この時代の米はそこまで多くはない。江戸期、明治期で大分収穫量が増えているのは農法が改善されたことに加え、品種改良も影響している。
「今、あれは何をしているのです?」
稲架と呼ばれる刈った稲を束ねて干す台が田に並んでいる。これもこの時期でないと見る事はないだろう。
「一月ほど乾かすのです。直ぐには食べられません」
西岡の衆が横で説明をする。まあ、今日は俺の「供」ということで、下働きの娘として連れてきているのだが……所作や肌でそうではない事はバレる。手だってスベスベだし、髪の毛も艶々だ。こんな下女はいない。
それでも、『姫』ではなく『娘』として敢えて扱ってくれている西岡の衆には頭の下がる思いである。顔見知りができている方が、警固が楽なのでその為に顔見世しているということもある。
「裏作は何をするのか」
「今年は蕎麦でごさいます」
「……あのそばですか」
「ええ、引いた粉を練って細切りにするのでございます」
「……へ……」
尹子さん、あなたは小麦や蕎麦の粒をそのまま見たことが無いのかもしれんね。尹子は米より餅に近い……蕎麦に関心が移ったようである。先ず、粉ひきが君にはできないから。大変だから。
「そのように、手間がかかるものなのですね」
「故に、年末には縁起を担いで蕎麦を喰うのよ。細く長く生きられるようにな」
本当にそうなりたいのです。嫌だよ、斬り殺されるの。でもさ、蕎麦は細く長く……切り刻まれてるな。あんま縁起良くないんじゃないのかな。




