第四十話 京の街:大内盛見と山口
第四十話 京の街:大内盛見と山口
年が改まり、いよいよ……尹子が我が家にやって来た。豊子はもう少し先になりそうだ。
「よしなに」
「ああ、しばらくは実家で過ごす事も多いのであろう」
「……はい。ですが、和子たちの事もございますので……」
日野姉妹に男児が生まれ、色々言われているらしい。いや、まだほら、子供子供だからね尹子は。背は少し伸びたが、少年のような体型だ。むしろ、バンバン生むためには体を鍛えなさい。
家康が選んだ側室が、出産経験のある女性ばかりであったことに加え、下級武士の娘が多かったと記憶している。この時代に限らず、出産はとても体力を消耗するものだ。公家や上級武士の娘より、日ごろから下女同然に家事を熟す下級武士の娘は体力が違う。
水汲みに食事の用意、洗濯に掃除、全て力仕事だから、体力に差が出るのは当然だろう。秀吉の姫様好きにはその辺の問題もあったと考えられる。信長も斎藤道三の娘には子供いなかったしな。
ということで、尹子には馬に乗る時に鞍の前に乗せたりして、ちょこちょこ連れあるくようにしている。馬に乗るにも体力が要ります。餅配り姫めざして今年は頑張れ。
「海苔漉きがしとうございます」
「あれな……まあ、もう少し待ってくれ」
尹子のみならず、紙漉きの海苔は御所周辺で大ブームなのだが、この時代海苔は岩海苔しかないので、志摩とか紀伊、あとは若狭なんかで採って送らせるわけだが……難しいね。あのあたりの寺で紙漉きの海苔を作る工房を持たせる方が話が早いと最近思っている。
なにより、紙漉きの機材だってポンポンと揃うわけではないので、時間が掛かっているのだ。ついでにお金もね。
桔梗屋にも街娘風に着替えさせ「姪だ」と言って店頭に出したりする。話すと言葉でバレるので、会話が無くてもできる、返事だけすればいいような仕事を頼んでいる。手習いの一環だな。え、立っている者は姫でも使えと昔からの言い習わしじゃないですかー。
仕事をした日は、餅が食べられるという「餅かぶり姫」と化した尹子は高いモチベーションで仕事に取り組んでいる。やっぱり、適切な動機付けというのは、この時代でも有効なマネージメント手法だね。
あー 赤パグ君も山犬君もこのくらい楽だと良いんだが……
「これほど多くの者たちが仕事を探しているのでおじゃりますね」
「ああ。尹子のように雨風しのげる家に住み、餅を好きなだけ食べることのできる者など、京においてもほとんどおらんのだぞ。知っておくとよいわ」
「……それはたいへんなことでござります。皆がたらふく餅を食べることが
できるような世にしてくださりませ」
そうだな、それが理想だな。『住めば都』というが、本当に日ノ本中を沢山の京にしてしまえばいい。それが理想だ。
大内盛見君の実家のある山口の噂を最近耳にするようになっている。 大内氏の本拠地『山口』。西の京を標榜し、それを具現化しつつある存在だ。
「大内君の家は貿易で儲けているし、瀬戸内の水軍を使えば京との行き来も難しくないからな……ちょっとチートではある」
博多の商人とも連携し、大陸との貿易(表も裏も)で潤っている。あと百年位すると、石見銀山&灰吹き法でブレイクし、明相手に銀の輸出で大儲けすることになるのだが、それは未来の話である。
最近、パパ園君と話すのは『山口いってみてぇ』である。越前は今だ朝倉支配下でもないし、応仁の乱後で京の騒乱と守護代家の台頭が噛み合わさっての成長なので大した事はないのだ。『谷』にあるというのは、防御に適した要害にワザと街を作っているということであり、時代が反映された場所でしかない。だから、存在しないのだ。多分。
例えば、茶の栽培なんかが盛んになるかというと、先ずならない。ヨーロッパでワインを作る為に修道士たちが山の斜面をブドウ畑にして、パンとワインで生きようとしたのも飲料水の確保の為であるし、英国の紅茶、ドイツのビール文化も同様だ。つまり、浄水の為の技術なのだ。
日本でお茶を飲むのは……嗜好品であり必需品ではない。もっと豊かにならないと数が出ないので商売としては成り立たない。綿花……江戸時代の初期から盛んになるが、農業生産が増えないと無理だ。米以上に施肥が大変なのが綿花だから……むり。
街だけ綺麗に作っても難しいかもしれないねこの話は。やっぱり、経済をグルグル回さないとね。戦争か公共事業……まあ、戦争も農兵の出稼ぎ的要素は強い。越後・甲斐が強兵なのはその理由が大きい。集団強盗団だからだ。
そりゃ、木曽義仲よろしく略奪し放題になるから、関を設けて「こっちくんな」するよね。上洛? そんなものは望んでいません。
大内弘世が作り始めた京の街風の山口の文化が花開くのはかなり先の話である。具体的には俺が再開した勘合貿易の効果が出始める五十年くらい先だな。その頃は応仁の乱の影響も出始めるので、効果が加速することになる。『北山』『東山』に大陸風をブレンドした大内の文化が花開くには百年くらい先になるだろう。
言い換えれば、百年くらいかければ、全国各地にそれぞれの特徴を捉えたあたらしい中心が生まれない事もないだろう。まあ、甲斐とか無理だろうけど。文化より米を作り給え。粟でもいいよ。




