第二十三話 だからブルーにならない:小京と行幸路
第二十三話 だからブルーにならない:小京と行幸路
応仁の乱後、京が荒れ果てて貴族や芸を持つ物が京を離れて地方の守護に身を寄せる事が結構あったよね。有名なのは、大内氏の山口とか朝倉氏の一乗谷とかだろうか。
そういえば、朝倉一族のブレイクのきっかけは、結城合戦で活躍した朝倉氏を俺が優遇したからだったらしい……正直すまんかった。あの頃君達は優秀だったのに、どうしてああなった! 朝倉宗滴が悪いよね。お前が優秀すぎたからダメなんだよ。
でも、応仁の乱が無ければそれって発生しなかったんだろうか。やろうと思えばできるよね。多分。その方が、目に見えない京より、目の前の街に人が集まると思うんだよ。商売も成り立つしな。
「寺の門前に人が集まり、街になるな」
「近江の坂本、信濃の善光寺の門前などが有名ですな」
「京もそうだが、人が集まる理由を作ればそこに金が落ちる。関所などでチマチマピンハネするよりよほど金になる」
その街を水堀と塀で囲うのよ。寺内町とかそういうのと同じね。できれば近所の川から水路を引いて水運が使えるようにすると良いね。難しい場所もあるだろうけれど、まあ、京に似た感じで街を作ればいい。
「その金を……半済の資金で行うと」
「工事をすれば人を雇うことになる。払った銭は周り回って、その国の物を豊かにする。守護共が京で宴会する為に自分の領国から米を集めているから貧しいのよ。金を自分の国の中で回せばいい」
「京が貧しくなりませぬか」
ならない。何故なら……
「京の店もその守護所に新しい店を出す。街道が整えば、そこには『私関』は設置させない。私道じゃないからな」
「……京の物が安く手に入るようになるということですな」
出来ればね。まあ、やってみないと分からないが、そう言う事も必要だ。座というのは縮小均衡の組織だよね。パイが決まっているからその中でなんとか自分の分を確保しようという考えだ。じゃあ、パイが増えたらどうなるのかを考えると、その発想が間違えているということに気が付く。
「守護所のある街は座を設けさせない……とかだな」
「何故ですか」
「参加者が増えないと価格は下がらない。下がらねば地方の貧しい民には何も買えない。買える価格の物を提供する者が生き残るようにせねば、そんなものは潰れるしかない。京の公家や守護を相手の商売とは考え方が違うのよ」
「……左様でございますな」
現代の資本主義社会では当たり前の事も、中世室町では違います。江戸期まで行くと、面白い起業家みたいなのが沢山出て来るけれど、あれは、全国が統一されて世の中が安定したからだよね。
今でもできることは有ると思うの。
俺は、行幸ネタを使って、畿内の街道を整備し、内線作戦がとりやすい体制を取るつもりだ。ナポレオンもモルトケも信長も得意じゃん。
例えば、越前に向けての気比神宮への行幸、大和から伊賀を経由して伊勢参り。これは、六角・甲賀外し兼伊賀の取り込みを意味している。伊賀にも守護代を置いて国扱いして尚且つ将軍の直轄領にしようかと思う。
甲賀は近江だが、伊賀は伊賀の国だからね。
で、「明石の浜見に行きませんか。あと、鯛が美味いらしいですよ」とパパ園を唆し、播磨にも行っちゃう。その通り道の摂津も含めて街道整備を行う。水運が主な輸送手段だが、街道を整備すれば、人・物の流れも改善されるのだから、京の物流も改善されるんじゃないかな。
とにかく、帝と将軍は仲良しだってアピールをして、どんどん畿内の経済を回していくんだよ。金が回れば景気が良くなる。地方から物も集まる。一極集中? まずはそこから始めようじゃないの。おら京さいくだぁ!ってみんな思えばいい。
そして、播磨の国人も将軍の影響下に巻き込んでいく。あれだ、京にいる番衆は四谷、播磨は朝霞みたいな関係じゃないかな☆ イメージだよ。
そして、満を持して駿河下向。帝は無理でも、パパ園と関白くらいは行こうよ一緒に。遠江くらいまでは街道整備しようかなと思う。斯波君よろしくね☆ ご褒美に、伊勢の守護を嫡流から取り上げて君に進呈しよう。伊勢湾経済圏が纏まったほうがいいよね。
そんな感じで、経済的先進地域の一体化を図るのが優先で良いかと思う。地方? 俺も混ぜてくれって言うまで無視で良いと思う。地方の活性化なんてのは中央集権の発想。地方分権の室町幕府なら「どうぞご勝手に」で問題ないはずだ。
「一先ず、畿内の相伴衆を集めましょう」
「満済からこの話をしてもらえるか」
「……承知いたしました」
「何事も、帝と日ノ本の為よ」
ということにする。え、だって、持氏倒して飲み会開いて殺されるのは嫌だからね。赤松君も、もう少しお金を回して世の中良くすることを考える方がいいと思うの。
自分たちだけ余った米で酒を造って飲んだくれているのは芸がないと思う。君たちも、ケツを蹴っ飛ばされなくても創造的に仕事を考え給え。
俺? 徳川幕府とか明治政府が行った政策で、よさげな物は取り入れます。やっぱり、字が読めたり数が数えられる人を増やすのは良い事なのだろうか。




