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『義教記』~転生したら足利義教でした。【完結】  作者: 万人豆腐
『将軍宣下』 正長二年/永享元年(1429)

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第二十話 もっと近くに:大内盛見

第二十話 もっと近くに:大内盛見


 小松君のおねだりがうっとおしい。こっちは桔梗屋兼将軍として多忙な毎日を送っているのだ。人に集りせびる前に、自ら働いたらどうかね。とは言えないので、禿げオヤジの真似をして、公卿どもにも仕事をさせることにした。


――― 勅撰和歌集の編纂である


 新後拾遺和歌集以来の勅撰和歌集で、五十年ぶりくらいになるのかね。歴史的には最後の勅撰和歌集になるらしい。応仁の乱でそれどころではなくなるからな。


 前のは千五百首も載せているので、今回はその辺りも含めてかなりの手間暇をかけてもらおう。それにだ、最近の都やその周辺の状態も見分させるために、近江あたりまで旅行に行かせるのなら、金くらい出してやる。番衆も護衛につけてやろう。


 京に住んで、御所や限られた場所しか目にしない生まれながらにして世俗に目を向けない浮世離れした集団なのだから、妄言をいちいち聞くくらいなら、実際その目で世間を確かめてもらいたい。


 近衛前久は百年くらい後の信長と同時代人だが、あんなにアクティブな関白であることは望まないが、生活が苦しいとキャッシングに走るような根本的な問題点から目を背けるような奴は……まあ、苦しめばいいんじゃないかな。お前らも働け。





 さて、これから起こる永享年間の出来事をお浚いしよう。まあ、少し歴史が変わっているから起こらない事件もあるだろう。


 持氏君の問題を考えてみよう。将軍宣下を受けた俺に対して、あいつは「正長」の元号を使い続けるという事で、「俺はお前の下じゃない」というアピールをしているはずだ。まあ、何でもいいけど。


 持氏は一つ二つ俺より年下だが、奴の親父の満隆がドジ踏んで謀反を疑われたとかで、十三で元服して関東公方に就任した。それに、上杉禅秀の乱で親父と禅秀に鎌倉を追い出され、今川範政らに討伐してもらって駿河から鎌倉に戻してもらっている。それだけの経験だ。


 その後、関東管領が若くして亡くなり、幼児の関東管領と何の経験もない少年公方という凸凹コンビのおかげで鎌倉府は機能停止状態に陥ったみたい十年位ね。


 だから、居づらくなったのか、「俺もやればできる」みたいな何の根拠もないヤンキーアピールをし始めたのかもしれない。天台座主様と比べんなよ、田舎のヤンキーが。


 因みに、関東に配置されている将軍の直臣を京扶持衆というのだが、何人かに言いがかりをつけて討伐してるのが持氏だ。義持兄貴は討伐しようとしたが、謝って来たので許してやったのだがポーズだったようだ。


――― 典型的なこの時代の武士という事だ。


 国人レベルだなメンタルが。将軍の器じゃない。視界に京の将軍の家臣がいるから目障りだと言いがかりをつけて殺す。自分が討伐されそうになるとへこへこ謝り、代が変われば「俺が征夷大将軍になる」……本当に阿呆だ。殺した幕臣やその同僚の恨みを買っていると思わないんだろうな。小栗氏の乱は義持兄の関東公方に対する嫌がらせなんだが、もう少し政治的に処理するセンスが欲しかったね。そうすれば、将軍の目も……ないな。周りにイエスマンだけが残り、暴走するまで放置するが吉だろう。




 その前に、勘合貿易を再開し、延暦寺の悪さも調査しないといけない。訴訟沙汰に関しては、桔梗屋の仕事が一段落したら積極的に参加することになるだろう。次は遊び人の「のりさん」かな……矢場であそんだりするんだよね。


 そういえば、最近、大内『左京大夫』盛見が将軍宣下のお祝いにやって来たな。とても優秀な武将なのだよ彼は。大内義弘の弟で、義満親父に降伏した弟たちと戦って全て攻滅ぼし、自力で跡を継いだ男です。そこに痺れる憧れる。俺なんか籤引だからね。


 二十年前に在京した時には、相伴衆になって幕政に参加したそうだけど、暫くして九州で反乱がおきて鎮圧に向かい……現在に至る。既に、周防・長門・豊前守護なわけだが、今回、筑前の幕府御料所の代官をお願いしてみた。つまり、俺に敵対する気のある奴を炙り出してほしいというリクエストだが、喜んで引き受けてくれた。


――― やっぱ、現場見ている人間は話早くていいわー 戦好きなだけかも。


 左京太夫殿が俺の事を直接見て、仕事を引き受けてくれたという事には意味がある。少なくとも馬関東公方よりまともだと評価してくれたと周りが理解してくれるだろう。


 とはいえ、この後、少弐・大友と筑前で争い続けた後、永享三年に戦死しちゃうんだよね……惜しい人を失くしました……


 いやまだ現役だよ! さて、大和の南北に別れた内戦も、ずっと継続しているし、まだまだ畿内すら掌握できていないのが現状です。やっぱり、大和の国って興福寺の寺領とそれ以外って区分けなのかね。どういう事なのか良く分からないね。


 どうやら、春日大社の神木を神輿にして強訴をした前歴があるらしい。鎌倉幕府は守護・地頭の設置を断念し、そのまま南北朝に突入。一乗院門跡は南朝方の井戸氏と大乗院門跡は北朝方豊田氏が対立していたのだが、いつの間にやら力を付けた有力国人の筒井氏と越智氏の闘いとなっている……らしい。


 お陰で、興福寺の求心力が低下しつつあるというが、応仁の乱後となるまではそこまではっきりと筒井氏の一円支配は完成しないようだ。ここも、揉めるだけ揉めさせるべきだな。


 因みに、松永久秀や織田信長は死に減らした国人領主たちを追い出し、自分たちの家臣団に割り振っている。取り上げられた寺領もそのままだったので……興福寺は困窮した☆



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