第十九話 春風に乱れて:改元永享
第十九話 春風に乱れて:改元永享
どうやら、将軍宣下も終わったので改元しましょうという事になっているらしい。確かに、天皇が儚くなったり、土一揆頻発で縁起が悪い気もするね。帝も将軍が新しくなったんだから元号も新しくしましょうってことなのかね。
近代的精神からすると、縁起の良し悪しよりも、君たちの生活態度を改めたまえと思わないでもない。『穢れ』の思想は日本人の精神の奥深くに根差す考えだから、中々払しょくすることはできません。病も気からというので、変えればいいんじゃないかな。
小松君が上皇から引退したいといい始めた。出家したいのだというが、多分、新しい御所を建てたいだけだと思う。直接、言ってくるわけではないのだが、何とか阿弥さん辺りから聞こえてくるのだ。
俺? 金は出さんよ、相談も受けていないしな。それに、余計なことに金を使っている暇はない。これから、比叡山に喧嘩を売り、鎌倉公方に、南朝方の残党、あー 大和の国の騒乱にも介入しなきゃだし、京の……帝の安寧の為にはやっぱり将軍直轄の軍を整えなきゃだわー
という事で、ある提案をそろそろ始めよう。だって、みんなあと数年で死にそうな宿老ばっかりなんだから、自分の死んだ後の事が不安でしょ?
誰ですか、鳥辺野か化野に放り出せばいいとか言ってるのは。死体回収は所司代から口入屋経由で発注している仕事の一つですがね。
宿老の皆さんと相伴衆の中で関係のある者たちが集められている。
「ふー 確かに、一族の者を守護代に任ずることができるのなら安心ではありますが……」
「さ、左様。領国では陪臣である守護代どもが我ら以上に重んぜられかねませんから、その考え方は理解できまする」
畿内と一部その周辺の守護代を一族の者から指名し、その上で、将軍親征の際には供奉してもらうという提案を行っているのだ。
「名目上、将軍の直臣扱いにすることで、主家に反乱が起こった際に、将軍の名代として討伐に当たる事も考えておるのよ」
「なるほど…他家の者が行えば、恩賞に守護を取上げねばなりませんからな」
そうです。それで、山名君とか土岐君は、あと大内君なんかは随分と守護職を取上げられているのです。嫌なら反乱すんな。
「各々の身内でありながら、幕府・公方様の権威も分け与えられるというのは、中々妙案ではないかと思うのだが」
「「「然り」」」
そうなんです。徳川幕府ってのは、将軍の力が確固としているから、その下の諸大名の権力・権威もしっかりし、家内を統制できているわけです。まあ、家臣団が替地して出身地と切り離された本社勤務ばかりになっているという面もあるけどね。
守護も同様で、配下の守護代や国人は地元の『お殿様』なわけで、本来、将軍の権威が無ければ命令に従わないんだよ。それを、自分たちで弱めて喜んで、最後には下克上されるってわけだから、多分こいつら馬鹿なんだと思う。
土地の権利を認めるという『権威』を朝廷から負託された幕府が『政所』で管理しているから、その配下の守護の管理下に置かれることを認めているのが守護代以下の存在なわけでしょ? その幕府の価値を生み出す機能を停止させたうえで、何をしたいのかね君たちは。
京から離れて世間を見て回り給え。
満済に唆され、何人かはこっそり領国に戻って見て……現実が見えたようである。
守護がローテで一時帰国するようになってきた。「おい、お前の所も多分ヤバいぞ」といわれ、見に行っているらしい。中間搾取されまくりだろうな。あと、知らない間に禁裏御領を国人共が押領していることも発覚しているらしい。応仁の乱以降は当然だが、既に萌芽はあるんじゃないかと思っていたがやっぱりか。
人の物を盗んではいけないという当たり前の常識が江戸期以前の武士には存在しない。『切取強盗武士の習い』なんだよね。徳川綱吉の時代の意識改革以降に変わったわけだが……それに水を差したのが阿呆浪士であってだな、色々匠君には問題があったのに老人相手に刃傷沙汰を起して、不意打ちにもかかわらず殺し損ねるという武士にあるまじき失態を起した男の仇討騒ぎを意識改革中に行った故に……当然処罰された。
つまり、この時代の武士というのは、自己中で脳筋なのだ。真剣に。だからまともな倫理観を持つ将軍とその周りの守護が是々非々を説かないと偉い事になる。
あれだ、平氏も清盛に期待したのはそういう事だし、鎌倉幕府の執権北条氏が支持されたのもその辺りをきちんと行ったからだね。最後は、両方とも貴族化して、自分たちの支持母体を良く理解しない得宗とかが現れて……倒幕されたわけです。
この時代の守護も将軍も管領もその辺りが貴族化し始めている。原因は、あの、日本国王の成金趣味親父の影響だ。北山文化ってのは、宴会文化・パリピだからね。まじ、余計なことばかりしやがる禿げ。
東山のヒキニート文化の方が金はかからないし、庶民も楽しめる面も少なくないから、良いんじゃないかな。このままだと……生まれないかもだけど。
という事で、この年の九月、元号は正長から永享に変わった。




