第一話 天台座主は突然に
第一話 天台座主は突然に
とてもスッキリした久しぶりの目覚めを味わいつつ、俺は見慣れない天井を見つめていた。それは、高級料亭か旅館の離れのような場所であり、見事な襖絵を見ると、修学旅行でみた京都の古刹を思い出すような場所であると気が付いた。
畳の新しい香りが部屋に満ちており、掛布団はどう見ても絹織りであり、着物で仕立てたら家が買えるんじゃないかと思うほどの豪華な蒔絵のような柄だ。なにこれ、怖いんですけど。
俺って大学卒業して一人暮らしを始めて早十年、そこそこの会社でそこそこの評価を貰い、そこそこの給料でそこそこの家賃の1LDKのマンションを賃貸で借り、将来約束した女もいないお気楽お一人様生活をエンジョイしていた一小市民だったはずだよね。なんなのここ。
それに、大問題なのは、俺のふっさふっさの髪がつるっつるなんだけど。触るとざらざらしているので、いつの間にやら剃られたらしい。
ふうぅー 焦らせてくれるぜ。誰だよ、俺が熟睡している間に髪の毛剃り上げてこんな豪華な部屋に寝かせている奴。なんかの企画? なんとかチューバーとかでどっきり動画でも作っている同僚とかいたっけ?
「座主様、お目覚めでしょうか」
ざすさま……ザウスとかザウルスじゃないよね。座主と言えば、その宗派の頂点に立つ存在。明らかに坊主だな。つまり、俺は知らない間に、出家し、得度し、さらに高僧中の高僧に成上ったわけだ。途中経過は?
「目覚めている。入るがよい」
「……失礼いたします」
どうやら、寺小姓の様なものなのだろうか。身の回りの世話をする年初の僧だと思われる。いやー この美少年と爛れた関係とかじゃないよね。俺、そういうの無理だから。そっちの穴はいくら綺麗にしても限界あるし。
手際よく洗顔と頭を剃り上げていく。そして、お勤め用の服に着替えをし、朝食の前に一仕事が待っている。うん、間違いなくここはかなりの格式のお寺さんだ。お経をあげるのとか無理なんだけど。南無阿弥陀仏しか言えないよ。
心配していたのだが、どうやら俺は自分が思っていた以上に優秀……な人に憑依だか転生したらしく、自分の知らないこともスラスラとできるので正直びっくりした。VRとかじゃないんだよね。
朝食を部屋でとると、若い秘書のような僧が入ってくる。何この人、凄く優秀そうなんだけど。この寺は……寺というよりも延暦寺の門主? 門跡?である青蓮院という寺院なんだそうだ。有名なのは大原の三千院だが、天台座主は、ここと三千院と妙法院の三門跡から選ばれることになっている。
俺は、この寺院のトップ兼天台座主様なのだよ。今知った。
「本日は、三宝院満済様がお見えになります」
「左様か」
誰? 三宝院満済……どっかで聞いたことがある人だね。天台座主に会いに来る坊主がいる。三宝院というのは真言宗の門跡寺院だったと記憶している。え、神社仏閣巡りも趣味の一つだ。じじむさいって、黙らっしゃい!!
真言宗の門跡坊主が天台座主に会いに来る。宗教的な交流ではないのは明かだ。つまり、俺は、何らかの政治的な存在という事だな。天台座主というのは、大概『法親王』と呼ばれる天皇家出身の男が務める場合が多い。国家鎮護の為の存在であり、また、様々な宗派の開祖が学んだことから「日本仏教の母山」なんて呼ばれていたりする。
えーと、 ほら、喉元まで答えが出ているんだが、いたよねそういう人。何だっけ、天台座主からの……成り上がり人生の人。
畳の部屋が便利なのは、ちょっと座具などを整えれば寝室から応接間に早変わりするってところだね。中年を過ぎ壮年に差し掛かるだろう知的で穏やかな容貌の僧が目の前に座っている。お茶が出されたという事は、栄西さんの時代よりは後って事なんだろうね。
「義円様、本日はお時間を頂き、誠にありがとうございます」
「御坊も忙しい身であろう。早々に話を始めるが良いだろう」
「はは、お気遣い申し訳ございません」
柔らかい笑顔で答えるが、タフなネゴシエーターと感じさせる心の動きの無さが見て取れる。あー この人、取引先にいたら嫌だわー。
「公方様のお体がかなり厳しいご様子と相成りました」
「さて、公方様の身が悪いとは……その事に何のかかわりがあるのだろうか」
一瞬訝し気にこちらを見据えると、目の前の満済さんは言いました。
「既に、跡を継がれた長得院様は先んじてお亡くなりあそばされております。次の公方様には、あなた様か他の弟君に還俗していただき、次の公方様になって頂かねばなりません」
はい、問題です。『公方様』という言い回しをする時代で、還俗して将軍を継がなければいけない人って誰でしょうか? あれだ、これあかんやつや!!