第十五話 誇れるのはたゞ:宿老会議
第十五話 誇れるのはたゞ:宿老会議
いやー 発生しちゃいましたね播磨の国土人一揆……え、土人じゃない?鬼一揆でもいい気がする。言葉が通じないんだろうなぁと思う。
「じゃあ、俺も!」
って感じで気軽に参加してるんだろうな。今後は京の安全は将軍宣下後の俺に任せて、自分の領国の治安くらい自分で守れるようになると良いと思う。赤松君の領国出身の兵じゃないのかね、なんで国に入れるなって言われるほど嫌われているのかな? 京の方でもお断りなので、どこか余所に行ってもらいたい。
赤松君のマッチ・ポンプで正長の土一揆って起こったのかもしれないね。ほら、土倉で借金棒引きにしたんで税金もらえませんって言い訳して幕府への納税バックレて、利益山分けとかさ……みっちゃんずる賢いからなぁ。
赤松氏は播磨・備前・美作守護を任されているから、山陽道の京側を抑えていることになる。戦国時代的には宇喜多直家もそこにはいるので……あの辺りはまあ、そういう人物が多いのかもしれない。岡山ってメンドクさい土地柄みたいだからねー。岡山で成功すれば全国でも成功できるとか、ぼっけぇきょうてぇ話も聞きます。
さて、宿老の皆さんと顔を合わせる機会も年が改まると増えてきました。畠山『左衛門督』満家は当代の管領を務めている。左衛門督は唐名を『金吾』というので、心の中では金ちゃんと呼ぼう。御年五十七歳である。
『金吾』と言えば小早川秀秋を思い出すね。
金ちゃんは管領がお財布に優しくない……色々大変なのでそろそろ返上したいと聞いている。多分、俺の宣下と交代で辞めるつもりだろう。
斯波『左兵衛督』義淳は、越前・尾張・遠江守護を兼ねている。伊勢守護の土岐持頼とは別の土岐さんで、左兵衛督の唐名で『武衛大将軍』から『武衛』と呼ばれる。御年三十二歳。
祖父の斯波義将が将軍の座を左右するほどの力の持ち主であったことから、その死後、若くして管領を担わされ懲り懲りしている風でもある。だって十三歳で管領だよ! でも、金ちゃんの次は武ちゃんしかいないよ。若さで頑張れよ。
山名『右衛門督』時煕、色々あって義満親父の馬廻を振り出しに最後は家督を継いだ男。家督争いが色々あったのだよ、将軍の介入で。でも、このおっさんも『義嗣擁立』に関わっているのでお互い様だ。その辺もあって、後継者はお前らの好きにしろって意趣返しされたんだろうな。但馬・備後・安芸・伊賀守護にして御年六十二歳。
この人の三男が応仁の乱の一方の大将山名宗全になる。既に元服して持豊と名乗り、後継者として指名されているらしい。だがしかし、将軍側近には次兄『持煕』がいる為、俺の横槍が将来的には入る事になる。
え、誰がどう考えても宗全一択でしょ。既に、国人討伐とかで実戦を積み重ねているんだぞ。
赤松『左京大夫』満祐の事もたまには思い出してくださいね。都合この四人が今の宿老であり、俺は頷き人形と化している。
「……以上でございます」
「なるほど、よくわかった。それでいいだろう」
「はっ、承知いたしました」
まあ、盲目印押すのはサラリーマン時代で慣れている。責任だけ取らされる立場が今の俺の役どころ。まだ、宣下前だからどの程度の責任があるか知らないけどね。
「然るに、将軍宣下の日にちが内定しておりまする」
司会進行役の満済さんからのご報告です。どうやら、三月十五日に参内して参議近衛中将に昇った上で征夷大将軍となるらしい。従三位とかかね。このシステムって、位階を賜るたびにお礼をするんだろうね。銭ゲバやん。
「朝廷には、名前を改める件は伝えてあるのか」
「はい。宣下を頂くので『宣』を改めると」
だよね。世を宣のぶってなんだよ。まあいいけど。という事で、俺は改めて『義教』と名乗る事になったわけです。いいでしょ。
さて、将軍宣下を受けたなら、こつこつと将軍のすべきことを熟して行こうかな。
義持兄が倒れてから、いや、それ以前に五代将軍足利義量が病死してから三年以上将軍不在で幕府が運営されていたわけで……いやもうこれ無くても良くない? と誰も思わないのでしょうか。
いや、武家の棟梁という象徴的存在として必要なのと、スケープ・ゴートにするつもりだから大切です。今のところ『管領奉書』を発行して『将軍御内書』の代わりに運営しているんだからさ。あれだ、代行印だね。
因みに、『御内書』は私信の形式を持った実質的には将軍の命令書で『御教書』は綸旨・院宣に相当する三位までの位階を有する者の発行する緊急性の高いやや略式の命令書。『奉書』は四位以下の管領や守護が発給する同様の書類の事を言うんだそうだ。あ、だから、おれ参議に昇進させるのね。将軍なのに『奉書』ってカッコ悪いもんね。
やっぱ、御教書連発してこその将軍でしょ! いや、それあかんやつやん。