終幕 明応三年:百歳
終幕 明応三年:百歳
さて、俺の人生は百を迎えた。生きているだけでやっとなのだが、嬉しいことに、尹子はまだ存命だし、太郎義法も大御所として孫の義宗を後見している。
生きているのは、もうかなり限られている者たちだな。伊勢新九郎は生きているな。
大内教世の正室になった真理の産んだ大内『法弘』が鎮西副将軍として西の守りを固めている。あと、博多でも京でもかなり儲けているらしい。悩みの種であった陶氏が将軍の直臣となり家宰は別の者に委ねたので、かなり気が楽になっているという。
細川京兆家は政元が独身童貞を全うし未だ存命なのだが、嫡子はいないため、備中家の『細川義春』の息子を嫡子として養子にさせた。俺の孫だな。これで、三管領家全て俺の子供たちが入ったわけで、実際、足利家の庶流で間違いない存在となった。
山名宗全は応仁の終わりごろには中風にかかり半病人になったな。多分、酒の飲み過ぎだろう。
宗全の息子教豊は父親に先立ち応永元年に死亡、嫡子『正豊』が継いだ。この時点では宗全は生きていたものの、備前と美作・安芸・備後の守護を務めていたものの、他の守護領国と比べ、経済的に行き詰っていた。
何故なら……俺は流通網から弾き出していたからである。だって、宗全が元気になるのは嫌だったんだよ! お陰で、山名が守護を務める国は近隣と比べ貧乏であることが知られており、一揆が頻発しているぼっけぇきょうてえ国ばかりとなっているのだ。
守護代とか直臣にしてあげてもいいよ☆
直臣化した出雲の尼子氏などがしきりに経済的に山名の領国を侵食しているらしいが、それは民間の取引の問題だから。守護は関係ないからね。あ、備中家や播磨の直轄領からも浸食されているよ。ある意味、経済植民地化されているらしい。資本力が違うから仕方ないんだよベイベー。
少しずつ、日ノ本の各地に京が出来上がり、人とモノの流れも大きくなり始めている。まだまだ織豊期にすら及ばないが……でも百年続く戦乱の時代を避けられたのは悪くない。
南蛮人? 元寇の方が余程大変だったわ。兵站も兵士の移動も鎌倉の時代より余程進んでいる事と人口は当時の倍近いんだから、イスパニアなんぞに負けるわけがない。
「……上様……」
「おお、尹子か。どれ、たまには手でも握らせてもらおうか」
「すっかり皴だらけでござりますれば……」
「なに、骨と皮ばかりの御同輩よ」
「ふふふ」
「ははは」
俺は、皴だらけの随分と年下の年老いた妻の手を握る。宗子も重子もその他の側室たち、大姫ももうこの世にはいない。
「先にいってもいいだろうか」
「ええ、直ぐにあとを追いかけますれば、御安心なさいませ」
尹子の手を握りつつ、俺は意識を永遠に失った。
いよいよ俺も、この世とお別れだ。様々な思い出が走馬灯の様に流れていく。
気が付けば坊主となり、やがて還俗し将軍となった。宗子に重子、そして尹子に沢山の側室、沢山の子供たち。
桔梗屋になって店を切り盛りしたこともあった。尼寺と孤児、餅を配り、紙漉きを教えた。愛宕聖たち、元坊主の近習どもの顔。何もかもが懐かしい。
俺は武力による統一を断念した。土木工事の技術とそれを支えるだけの資金をこの時代の幕府単独では持つことが出来なかったからだ。大規模な築城と繰り返される戦乱の中で培われた信長・秀吉・家康の築いた江戸の世に到底追いつくことはできない。
故に、関東を緩衝地帯、南部九州と奥州は一旦、日ノ本の直接統治から除外することにした。用があれば、お前らが来いと。そして、駿府や山口での交易を通じ、自らの意思で日ノ本に加わる選択をさせる。戦に負けて支配されているなら、その支配が弱まれば牙をむくのは当然であり、その都度
兵力や権威を損耗するのはバカバカしい。
――― 貧しい生活がお好きならどうぞご勝手に
さて、その後は……様々な文字が俺の目の前を横切っていく。
監修……製作スタッフ……おい!
『 VR 真第六天魔王『義教記』 βテスト・モニター以上で終了いたします。お疲れさまでした!』
そうだ、これは……VRゲームじゃねぇか!! 確かに、百歳まで恙なく生きられたのもVRなら納得だわ……
皆さんも、是非、『義教記』をプレイしてみてください。それぞれの心に、それぞれの足利義教を。ではでは、お付き合いありがとございました。
これにて本編完結となります。長い間お付き合いいただきありがとうございました。