第百十四話 宝徳四年/享徳元年(1452):細川家どうする
第百十四話 宝徳四年/享徳元年(1452):細川家どうする
俺もいよいよ五十八となった。元号が宝徳からに享徳に変わる。
もっちーこと細川持之が死んだ。その昔は「兄貴が百まで生きるなら、俺も一緒っす!」とか言ってたのにとんだ嘘つきだ。マジで寂しいなこれは。
細川は瀬戸内の本州側にも四国側にも拠点を持っていて、西への物流を抑えている。平家がそんな感じだったんじゃないかと思う。
細川は分家が多くて、もっちーの爺さんの代であちこちに別家を立てている。阿波・和泉・備中家だな。それに、叔父さんの代に野州家というのも出来ている。
同じ細川でも、国人に担がれている存在だから、ある程度利益誘導ができないと話を聞いて貰えないんじゃないだろうかと俺は思っている。
管領を担う家は『京兆家』と称される本家筋にあたる。今の当主は細川勝元君だ。御年二十二歳。何だかよくわからぬ、むっつりさんだ。管領にしたくない。
兄弟が揃っている時は強力だが、代を重ねるごとに他人になり、更に国人共の思惑が絡んでむしろ対立していくことになるのがありがちなパターンだ。家康のように、完全に家臣としてしまわないと、宗家と分家の関係がややこしくなるのも仕方がない気がする。
俺の子供の系統もその辺りだな。有力守護の家系に養子で押し込んだり、御台で押し込んでコントロールする方がいいだろう。
細川家は又従兄弟同士の段階に来ているので、更にバラバラになりそうなので、俺の子供や孫を押し込んで養子にしていくようにしようかと思う。
主な家系である和泉上・下守護家、阿波守護、備中守護に讃岐守護あたりがバラバラになりそうなんだよね。
備中守護家は守護代の力が強くなり、また山名の浸食を受けている。当代の細川氏久、嫡子細川勝久も力が及ばなくなりつつある。京兆家の主が二十二歳の小僧であれば難しかろう。
「……御曹司をでございまするか」
「将軍の弟を養嫡子とする。実際は、勝久が宿老として貢献し家を維持する。お前の娘との間に子供が出来れば、将軍の甥・姪ぞ。誰が歯迎えよう」
「……確かに。その通りにございますな」
備中守護代庄元資の台頭も頭の痛いところなのだ。
「野州家も大樹のご舎弟がおらっしゃれば、こちらを立てるでありましょう」
細川『下野守』を名乗りとする、分家の一つ。備中国浅口郡と伊予国宇摩郡の分郡守護を務めている。当代は『教春』だな。
備前では赤松残党が時折挙兵し、山名と争っている。殺し合え!!俺は両方に与せず傍観するように備中・播磨に通達を出しているので、いつまでも揉めていて備前・美作は宗全死後に荒れそうであるんだな。ざまぁ。備中に将軍の弟が細川の嫡子で入っているのは、連携が取りやすくなる。
「どなたをお預かりすることになりましょうや」
義政と政知になる二人は正直手元に置いて……監視したいので、義視の兄にあたる六郎七郎を送り込むことにする。
「今だ八歳であるが、養子縁組をし然る後、養女也娘を娶せようぞ」
「元服は二年ほど先になりましょうや」
「なに、大樹が後ろにいると分かれば問題なかろう。国人共に手紙を書いて、祝いをよこさせるのだ。返礼の品を豪華にし、心を掴むのよ」
「……なるほど。戦するよりも掛かるがすくのうございまするな」
そして、俺は思うんだが、当然宗家の当主も金出せ!と思うので、管領を引き受けるか、備中家に協力するかどちらか選べと宿老会議で命じておけば六郎も肩身の狭い思いをせずに済むだろう。
さて、豊後半国の守護代を細川に委ねてあるが、ここには細川の娘と鎮西将軍を務める義尚の間にできる息子を別家として独立させ半国守護としておくようにするつもりだ。そのうち、大友とも婚姻があるかも知れないけど、義尚は九州で頑張ってもらいたい。山口に姉もいるのでよろしく頼むぞと言いたい。
揉める元の阿波守護家や和泉守護家も親族に組み込んでいくのも一つの方法かもしれないが、巻き込まれたくねー。その辺りは細川内部で抑えてもらおうか。
結局、管領には少し早いという事で、備中家のバックアップを引き受ける事になった細川勝元であるが、相変わらず何を考えているのか分からないな。この世界で、将軍の偏諱を貰って名乗るので『勝元』ではなく『法元』になるのではと思う諸君、分かりにくいのでこっちにしました。
因みに、孫の名前は「義正」で、義政ではないんだが、これはこれで良しとしてもらえるかな? 分かりにくいじゃんね。
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