第百十三話 文安六年/宝徳元年(1449):俺の子供たち
第百十三話 文安六年/宝徳元年(1449):俺の子供たち
俺もいよいよ五十五となった。元号が文安から宝徳に変わる。
最近気になるのは、伊勢新九郎長氏と畠山義就だな。九州から戻った所で、俺は二人の事を探させることにした。この時代のエース級の人材だ。まあ、戦乱は起こりにくいだろうが、戦争に強い奴はいた方がいい。
それと、妙椿の後任の謀臣も育てたいからな。どんどん体に無理がきかなくなることを考えると、おのが手足となり得る優秀な人材は一人でも多く欲しいものなのだ。
「大御所様、ご機嫌うるわしゅう!!」
「次郎は今年幾つであるか」
「十二になり申した!!」
畠山義就は、畠山持国の庶子だ。庶子と言っても、実子は一人こいつだけなので、とても可愛がっている。もう、宿老とか三管領とか関係ないくらい。仕事しろ!!
細川持之が「兄貴、俺、瀬戸内の物流整備に専念します!」って俺の大御所になったタイミングで家督を譲ってあいつも一線を退いたから、今は畠山持国が管領を務めている。が、いい加減なんだこいつ。
いや、家族思いと言うか……『公』の精神に欠けているんだよな。
「左衛門督よ、そなたに相談があるのだ」
「……何用でございましょう」
「次郎を俺の娘婿にくれぬか。猶子にしたうえで河内半国の守護代にするつもりだ」
「つまり、細川の丹波半国と同じにございまするな」
そうそう。畠山はこのまま行くと、庶子だが直系の義就と持国の弟で養嫡子の畠山持冨とで家が割れるのだ。それに、半国とは言え将軍の娘婿であり猶子の畠山の家が代々残っていくであろうから悪くない。
「家の者共が納得せぬでしょう」
「なるほど。持冨は管領にも守護にもなりとうないわけであるな。ついでに言えば、将軍の婿と争う気なわけだから、治罰されるやもしれぬな」
「……なるほど……」
年齢的には三人同じ年の娘がいるから、波留子か……でもちょっと年上なんだが。まあいいだろう。姐さん女房も悪くない。直ぐ子供もできるだろう。
孫の顔が見れるかもしれないと分かり、仕事する気はないが、『かぞくだいじに』がデフォの持国は、「全力で家内を説得いたしまする」と帰っていった。
さて、次の管領は斯波持有かな……本来はこの斯波家は早世が続いて、分家筋から養子をとって守護代台頭で衰退していくのだが俺には秘策がある。
「……養子でございまするか」
「ああ。斯波の娘を嫁がせれば良いであろう。将軍の弟が当主となるのだ。その子は斯波の娘の子にして将軍の甥ぞ」
「然り……家内を纏めまする」
こいつの側近には何年か教育した伊勢新九郎君を付ける事にしようと思っている。今のところ教育係は斯波『義郷』だけどな。斯波君兄弟ももう五十近いから、後のこと考えないとね。
大体、甲斐氏が脳筋爺義将時代から生き残っているのがいかんね。
もし、本家室町幕府将軍が途絶えたとしても、斯波家の子が男系で伝え、それでもダメなときは畠山が女系の子供を出すという事で保険が掛かることになる。細川? 分家が多すぎて駄目なのと、当代があの『勝元』だから絶対的に信用できない。
細川ってのは、天皇家に対する藤原家みたいな感じだよな多分。そして、自分たちは三好家に上書きされるという展開で歴史の中に消えていくわけだ。
さて、征夷大将軍足利義法に正室が出来ました。右近衛大将近衛教基の娘だな。年は十一歳で太郎は十七歳だから孫はもう少し先だろうな。
次郎も三郎も四郎も……どんどん大人になっていくな。俺が爺さんだから早く大人になってもらうに越した事はない。
山名は蠢いているものの、赤松を追い落とし、大内を義理の息子にするという作戦が史実の様に成立していないので静かなものです。
そういえば、最近宗子が山口に二月ほど滞在し、「孫が出来たら山口に移る」等と意味不明の事を言い始めた。近衛の姫さんが御台所できるようになるまでは、家にいてもらわないと困るんじゃないか? いや、尹子でも問題ないのかね。
とはいえ、尹子さんはまだまだ子育て中だ。二歳違いで立て続けに三姉妹産んでいるからな。正子親子町子と、三姉妹が姦しい。爺になっても可愛いものは可愛いと思うな。
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