第百八話 この街:四神相応『山口』
第百八話 この街:四神相応『山口』
山口が『西ノ京』と呼ばれるのは、何も俺の時代からではない。義満の禿げにはめられた大内義弘の父である大内弘世が大内舘を山口に移し、京に倣って一の坂川を京都の鴨川に見立てた街路を整備した。
平安京に同じく、四神相応の地である。勿論、駿河もだな。
大内義弘の父親弘世が館を山口に移転し、条里制に基づく街を建設し始めた。瀬戸内海から川を遡り10㎞程であろうか。駿府や尾張津島などに似ているな。川と海の水運を両方使える。
一乃坂川に沿った方形の館を建設し、その周りに重臣屋敷を配置。土塁と壕を巡らせた所は今川館と同様だ。最近、築山館を建設し、俺の来訪に備えたらしい。まあほら、俺は『義父』になるわけだしな。
この館の西側に『竪小路』と呼ばれる南北の道路、南側に『大殿道路』と呼ばれる東西の道路を通している。竪道路の南端は石州街道に交差し、街道沿いには大町・太刀売町などを築き商人を住まわせている。
この竪小路や大町筋から数多くの横町・小路が枝分かれし、相物小路・糸米小路など商人・職人が業種別に街やを築いている。『相物』ってのは魚の干物や塩漬けの総称だな。海で採れた魚を加工し商人が買って石州街道から山村などに行商するのだろうか。
――― 鮮魚最高! 瀬戸内の山口、太平洋の駿河、玄界灘の博多それぞれ魚種が違うからね☆
醤増産計画を加速させねば。全国の禅寺で強制的に作らせるか。綿花もな。
町割りだけではなく、京ゆかりの祇園社・北野天満宮も勧請し、多くの寺社を配置しているのは小京と言うにふさわしい街並みだろう。
とはいえ、大内は西の最有力守護であり、その居館を構える山口は軍事都市・防衛拠点としても優秀である。周囲の尾根には複数の砦や城が築かれており、小さな甲府盆地のようにも見える。
「大樹、如何にござりまするか」
「大姫が嫁ぐにふさわしい『西ノ京』には足らぬものがあるな」
「……人にござりまするな」
五山の禅僧を抱える京・鎌倉と比べると山口はハード面は整えられてもソフト面では二歩も三歩も遅れている。応仁の乱で京を逃げ出した公家や僧侶が山口に下向し、生活したことで京風と大陸風を掛け合わせた『大内文化』と称されるものを作り出すには、環境的に不足しているのだから仕方ない。
故に、積極的に招く必要がある。
「京の商人の支店を出させよ」
「……それは……」
座の者がどうこうというなら、こういって黙らせるのだ。
「京から雅な者共を呼び寄せようと思わば、京の生活と変わらぬ者を供さねばなるまい。食べる物、着る物、住まいに生活道具、何から何までだ。その為には京の物を扱う商人が山口に必要だな」
「……なるほど……」
大内親子、いいか、これは山口の大陸風を京に持ち込ませるマーケティングでもあるんだよ。
金を払ってでも京の有力な公家、摂関家の若隠居とかが良いな。そいつらが京と同じ生活ができ、エキゾチックな山口の生活を喧伝する。つまり
『俺、最近西ノ京っつーの、山口に招待されたんよ。あれ、マジヤバいわー。明の流行と京の流行のミックスした物が沢山あって、同じ日本とは思え無いんだわー。え、なに、バッカじゃね? 大樹が瀬戸内の交通網整備して今じゃ京の商人も山口に店出してるからかんけーねーっつーの。マジ知らないとかダサ』
と、流行りもの好き、見栄っ張りの貴族どもが喧伝してくれれば、こぞって下の者共が自腹で山口を訪れる。
となると、今度は京の貴人と知り合いたい九州や四国の者共が山口に集まる。人が集まれば物も情報も金も集まる。ついでに、人望や権威も集まるというもんだ。つまり、一粒で何度も美味しい。OK?
「「……慧眼……恐れ入りまする」」
「なに、大内の武名ばかりでなく、政も巧みであることを知らしめたもらいたい。我が娘の夫にして、権副将軍となるのであるからな」
権が付く場合、副将軍『並』というやつになる。近藤勇が陸軍奉行『並』とかに任命されたのと同じだな。同格だが、序列は下になる。
この場合、大内教弘には何ら実績が無いので、『権』付きにしておくという意味だな。九州征伐で武功を立てれば問題なく副将軍となるだろう。
「来年にはいよいよ九州親征を行う事になる。そなたたちも九州の者共に先触れを出してくれ」
「畏まってございまする」
二週間ほど滞在し、大内の配下の国人や近隣の守護・国衆等と顔を合わせ大内の箔つけに大いに協力した後、俺は京に帰った。それにだ、『大姫』だって、京と同じ商人がいれば気持ちも和らぐってもんだ。
ばっか、娘に駄々甘ってわけじゃないんだからね! おまけなんだからね!!
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