第百五話 時に抱かれて:逆堀越公方
第百五話 時に抱かれて:逆堀越公方
さて、鎌倉公方が消えて幾星霜、関東の東側は……乱れています。まあ、なんだ、担ぐものがある方が派閥が明確になっていいよね。
国が崩壊しているところって、何でもいいからまとめるトップがいなくなって、団栗の背比べ見たいな勢力が乱立して、終わらない殺し合いが始まるからそうなるわけじゃん。
アフガニスタンとかイエメンとかかね。ブラックホークもダウンしちゃうだろ。つまり、ある程度相手が纏まっているからどうにかできるわけで、ばらけちゃうと収拾が付かない。ばらけている方もね。
「上杉殿からの手紙ですな」
上杉憲実が引退……しているはずが、出来ない。子供だしな嫡子は。いや、西側は問題ないんだが、上総とか下總とか常陸とか……まあほら、京扶持衆と在地の国人とか、守護と守護代とかだね……もう全員が「元」何々だから、権威ではなく暴力でやり合わないといけないから大変なことになっているみたい。
「そろそろ鎮守府にするか」
「……太郎様を元服させるのですか」
最近、関東から戻ってきた『周泰』が俺の顔色をうかがう。
「子供の鎮守府将軍でも、帝に俺が『惣無事令』を出してもらって、戦で揉め事を修めるやつらを討伐すると宣言すればどうなるか、見ものではないか」
「……な、なるほど」
秀吉が出した「惣無事令」は、戦を止めさせ話し合いで解決させる……というわけではないけど、まあとにかく、日本の支配者が出した命令に逆らうやつを炙り出すための道具だったわけじゃない?
伊達政宗や北条氏政は見事引っかかったけどな。何で、九州の端っこまで十数万の軍勢を畿内から進めたのに、本拠地を東海道に持つ織田信長政権の後釜の秀吉が関東に出兵できないと思ってたんだろうな?
鳥取城や三木城、本願寺の包囲戦だってやり切ったのに、何で小田原城だけが無事だと思えるんだろうな。狂信者の集団の本願寺でさえ折れたのにな。三公七民でついてきているだけの後北条の家臣団が戦うわけないと何で思わないのかね。
「では、参内し然るべき官位を整えようではないか」
というわけで、大変可哀そうだが、太郎次郎(七歳)が鎮守府将軍となる為に元服します。絶対家族会議で怒られるな俺……
「……反対にございまする大樹!」
「お母様の申される通りでございまする。太郎はまだ無理でござりまする」
「なに、鎌倉まで行かぬのよ。駿河に皆で富士を見に行こうではないか」
「「「……え……」」」
俺が考えているのは『逆堀越公方作戦』だ☆
ご存知、堀越公方とは足利茶々丸の親父として有名だが、十一代義澄の父であり、すなわち義輝・義昭の曽祖父でもある。この世界では五郎六郎の事だな。さて、最初、 香厳院主清久という坊主だったんだが、応仁の乱の影響で関東も管領と自称古河公方で対立していたんだよ。
で、義教の息子を還俗させて正規の鎌倉公方にしようと思って京から送り込んだんだが……拒否られた! 伊豆の堀越ってとこに住んでたから「堀越」公方だ。我が息子ながら泣けてくるぜ。一応、天龍寺にいたんだぞ!
という事で、面倒を見させられたのはその当時の駿河の守護である今川範忠なんだ。
これと逆のことをする。双方から「是非とも鎌倉へ」と言わせておいて、先っちょだけ! と駿河に仮の陣所を設けて様子を見させる。清見寺がいいな。小姓たちも一緒に駿河の海を見ながら勉強すると良いよ。雪斎はいないけどな。代わりに誰か送り込んでやろう。周泰がいいか……
「暫くは、駿河で富士を見つつ関東の事、政の事、それに、京づくりの事など今川の者たちに学ぶが良い。そなたが、新しき日ノ本の大樹となる時に、きっと実を結ぶであろう」
「は、はい!」
太郎は宗子に似て真面目なので、とてもやる気になっている。さて、皆の範囲を今回は限らんといかんだろうな。
「この度は初めての事ゆえ、宗子・真理・太郎・次郎を連れてゆく」
「私は留守でございまするか」
いや、御台二人とも京を揃って開けるのは不味かろう。それにだ……
「太郎の後は次郎も鎮守府将軍となりて関東に下る。その時は、宗子に留守を委ね、尹子も重子も共に参る事になろう」
「それは宜しゅうござりまするな。土産話を聞き、改めて駿河に向かう方が二倍楽しめまする」
「……分かりました……」
重子、超ポジティブシンキングだなお前。だから、義政みたいな変な子供が育っちゃうんだろう。まあ、納得してくれたなら何よりだ。
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