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春が来る惑星(ホシ)

作者: 荒城醍醐(五代 暁)

某SF賞への応募落選作を改稿しました。シリーズ化予定で、この作品世界の設定のスペオペをいくつか書いています。この作品の冒頭部分は35年ほど前に書きました。某賞応募の祭に完成したもの。SFを書く時のペンネームは五代暁ごだいあきらです。荒城醍醐とはアナグラムですが五代暁のほうが30年ほど古いペンネームです。

 高い天井から、一筋の光が彼を照らした。真っ暗な部屋で、彼の姿だけが白く浮かんで見えている。細身の身体に透き通る桃色がかった長い髪が波打ち、味気ない灰色の全身スーツに彩りを与えている。彼の装備は、通信機器を除いては、身につけられたままだ。

 部屋には彼しか居ないはずだが、天井近くに複数の人の気配がする。通信によって接続された別の部屋に居る裁判官たちの気配だ。

「当ウェルケン第52法廷は、ただ今より、ウルガ連邦星域軍から申告があったK156星系における事件についての審議を行なう」

天井の一方から声がした。

「被告、ディビット・ロックウェル。国籍はアダムス・ペテル。職業は、惑星改造と開発権・入植権の売買。本人に間違いないか?」

 籍は確かにペテル星系第5惑星アダムス・ペテルにあるが、そこは彼にとっては祖父の出身星に過ぎない。彼も、彼の父も、宇宙船シルフィード号で生まれ、生涯のほとんどを船の上で過ごしている。船こそが故郷だ。そして、職業。祖父は自分を山師と呼び、父はぺてんを使う手品師だと名乗っていた。三代続くこの胡散臭い仕事にあんなまっとうな表現が当てはまるとは思えないが・・・。

「間違いない」

この手順は、事前に法廷コンサルタントから説明を受けていた。単なる本人確認なのだ。クレームを着ける場面ではない。

「原告が主張する容疑は、6名のウルガ兵に対する殺人と、1名に対する傷害、ならびにウルガ連邦国家の入植妨害である」

あのシャトルで生き残った兵がいるらしい。おおかたホフマン少佐に違いない。根拠もなくそう思えた。

「なお、本件の審議内容および提出された証拠は、K156星系第4惑星の入植権に関するウルガ連邦国家とトパナ難民臨時政府との訴訟における証拠となることを宣告します」

 そうだ。この裁判は彼の運命を決めるだけではない。トパナ難民が新しい星を得るか否かの裁判に直結するものでもあるのだ。ひるむわけにはいかない。ディビットは、コンサルタントに言われたとおりに発言した。

「証拠として、記憶トレース実施を希望し、その内容を提出します」

裁判官側の反応に、やや間があった。相談しているのだろうか。

「記憶トレースは、あなたが体験したことを、われわれ裁判官と原告側があなたとともに一人称で追体験します。あなたの五感と感情も、すべてあなたの深層記憶を元に再現します。プライベートなことも含めて、あなたはなにもブロックできません。そのことを知っていますか?」

あのいまいましい体験を、もう一度味わうことになるわけだ。そして、聞いてはいたが、感情もありのままに再現されるとは。あのとき、自分に殺意がなかったと断言できるだろうか。単にそれを忘れてしまっているだけなのかもしれないのだ。だが、記憶トレース以上の証拠は提出できない。特に入植権に関する証拠としては、彼の記憶トレースが必須となるだろう。

「理解している。提案は変わらない」

言ってしまって、すっと肩の力が抜けた。

「本法廷は、これより被告が提出した証拠の確認を実施します」

 こうして、4週間前に銀河の果ての惑星での体験がウェルケン法廷国家の星間国際法廷で再現されることとなった。


アラームが鳴って、ディビットが目を覚ましたのはシミュレーションルームの椅子の上だった。計器に目をやると、予定どおりK156星系の第4惑星の近くに到達したらしい。

 起き上がって船首へ続く長い通路に出ると、窓の外にはこの星系の恒星が遠くに見えていた。肉眼では惑星はまだあまたの星々のひとつにしか見えない。恒星に照らされてシルフィード号の全容が見下ろせる。

 宇宙船を良く知らない者が見れば、シルフィード号が抱えている巨大な大気圏内シャトルを宇宙船本体だと思うことだろう。シャトルが簡易ドックに係留されているように見えるが、実は、ドックの骨組みのような細い通路と部屋の組み合わせこそがシルフィードの本体だ。まとまった構造物は船首のコクピットと船尾のイオンエンジンだけだ。しかし、惑星改造を目的とするこの船の本質は、細い骨組みの節のひとつにある星系シミュレーター兼惑星シミュレーターとして働くコンピュータだと言える。ディビットの知る限り、これと同等のモノは銀河に4つしか存在していない。この船と、そして同業者たちの船だ。

 全長400メートルのシルフィード号に乗っているのはディビットひとりだ。2年前に父親が死んで家業を継いでからずっとひとりで暮らしている。惑星改造を生業としているはずだが、ひとり立ちしてからの2年は新しい星系の惑星改造に着手していない。父がやりかけた改造のつづきを引継いで星系を回るかたわら、ちょっとした環境改造の仕事をこなして収入を得ている。どこかの星系政府が、惑星の平均気温を少し上げたいだの下げたいだのと言ったり、小惑星の軌道を変えたいとか砕いて欲しいとか言うと、その仕事が回ってくる。それぞれの星系政府がその手段を開発するよりもあきらかに安価で手際よくできるからだ。

 だが、そういう仕事はあまり好きではない。たいていはその星系の学会のお偉い学者様が手段まで指定してくるからだ。やつらはディビットたちをただの作業者としか見ていない。やつらのプランが引き起こす生活環境への悪影響や、数百年後の災害の可能性についてアドバイスしてやると煙たがられてしまい、仕事が終わるころにはお互いに悪態をついて別れることになる。

 この星系に来る前にこなした依頼も妙な仕事だった。ウルガ連邦からの依頼は星系内のガスジャイアントを回る衛星のひとつを砕いてほしいというものだった。鉱物を採取し易くするためだという説明だったが、胡散臭い。実際に砕くときには、彼らの観測船が現れて作業を見ていたが、ディビットが小惑星を3個ぶつけて衛星を砕こうとしていると知るとあわてて連絡してきた。そのやり方しかないのかと言うのだが、どうもウルガ連邦軍部の科学者らしい。おおかた、衛星を砕くのにBOPP弾を使うと思って技術を盗むつもりだったのだろう。惑星を砕くこともできるBOPP弾は兵器として使用すれば最終兵器と呼べるシロモノだ。今回の場合、非経済だし時間もかかり適切な手段とは言えなかったのだが、依頼主の目的は、結果ではなく手段だったらしい。

 例によって仕事のあとで依頼主と口論になったが、まあ、後味の悪かったあの仕事も、もう数百光年の彼方だ。

 長い通路が終わり、エアロックを抜けるとコクピットだ。ぎっしりと計器が詰まった狭い室内に座席が2つ並んでいる。ここは意図的に人工重力が切ってある。計器類が増えすぎて歩いて座席につくことができなくなってしまったからだ。ちょっと飛び上がって天井の計器の隙間に手をつき、反動でナビゲータ席に滑り込む。ベルトで身体を固定すると、センサーをチェックする。

 ディビットの父親が20年前にこの星系の惑星改造に着手した際に設置したブイはちゃんとビーコンを出し続けていた。この星系が改造中であることを知らせるものだ。数少ない同業者に対して既得権を主張するものでもあり、その他の来訪者に対しては危険を知らせる警告でもある。惑星改造の手段は主に小天体の衝突によるものだ。故意に行なわれる衝突の連鎖は惑星上に存在する生命にとっては壊滅的な大災害となる。改造途中の惑星はある程度の設備で居住可能な状態になることがある。そのあとのカタストロフを知らずに住み付く者が出ないように警告することは改造者の義務なのだ。

 第4惑星のまわりでは、探査衛星4個が惑星全域を常時スキャンしている。通常のスキャンではなく、惑星の核までを細かく分析し惑星シミュレーションを行なうためのスキャンだ。膨大なログをシルフィード号のコンピュータに移す作業をはじめると、ディビットの前の画面には20年間に起きた予想外の変化だけが報告されはじめる。15年前に北半球で始まった想定外の地殻変動。年間15センチほどであり計画への大きな影響はない。ばらまかれた藻類による酸素濃度の上昇値が予測を0.7%上回っている。これも今後自然に調整される範囲の値だ。

「なに?!」

ひとつの報告に思わず身を乗り出す。3年前に小型宇宙船が来訪している。惑星上のあちこちへ行って、結局赤道付近の山地に着陸し、そのまま住み付いているらしい。

 第4惑星は、肉眼で惑星の様子が見えるくらいまで近づいていた。タイムラグは少々あるが通信可能な距離だ。通信機で呼びかけはじめて、ちらりとログ画面に目を戻すと、そこには新たな来訪者の記録が表示されはじめた。ほんの2日前だ。中型の宇宙船が衛星軌道上に現れ、大気圏内シャトルで地表のあちこちを訪れている。軌道上の船とシャトルをスキャンした情報が表示されはじめた。重武装の200メートル級の船だ。ウルガ連邦の軍艦? 偶然か? 2週間前にシルフィード号が仕事をしたばかりの星系から来た船だ。

 となりの表示に目をやると、3年前から住み付いている船のスキャン結果が表示されている。50メートル級の民間輸送船。着陸した状態で船の周囲に簡易テントなどを増設して居住空間を広げている。船の機能は正常。つまり、遭難者ではなく意図して住み付いている可能性が高い。

 通信に反応があった。地上の小型船の方だ。画面に現れたのは髭をたくわえた初老の男性だった。タイムラグは4秒ほどになっていた。

「こちらはシルフィード号のロックウェル。ビーコンがあったでしょう? その惑星は改造中です」

男の後ろには、心配そうに覗き込む少女の顔が見えた。スキャンログによると住み付いているのはこのふたりだ。4秒遅れの反応がある。

「これは、これは。やっと家主どののお出ましということか。戻ってこられるのを待っていた・・・いや、戻られぬことを待っていたのかもしれんな。ビーコンが放置されてこの星系が忘れさられているのを期待して住んでいたので。わしはロッシ。この娘は姪のジェシー。トパナ難民臨時政府の移住先開発局の者だ」

少女の方を振り返りながら男はややふざけた調子で答えた。

 トパナ難民臨時政府。それは18年前に星間戦争によって破壊されたトパナ星系首星セントピア・トパナから脱出した人々からなる母星を持たない政府だ。セントピア・トパナは現時点でディビットが知る限り、BOPP弾で実際に砕かれた唯一の有人惑星だ。BOPP弾による惑星崩壊は2週間近くかかった。セントピアの政府は一般市民に被弾を公表せず、政府の要人と関係者だけが密かに脱出した。残された一般市民は外部の善意により脱出を果たしたが、定住の場を得られず、脱出の際に用意された輸送船や客船で銀河をさまよっている。この一般市民たちの集団の政府がトパナ難民臨時政府だ。6000万人を受け入れようという政府はみつかっていない。

 本来なら惑星改造を営むディビットたちの上客になりそうだが、彼らは星系を買うほど裕福ではない。財産も収入もないのだから。乗っている船は善意の無期限貸与品だし、脱出時に財産は持ち出せなかったという。ジャンプ航行も続けられる経費が捻出できないから、船団は居住可能惑星がない無人の星系に浮かんでいて、ロッシのような人物が銀河に散って移住先を探しているらしい。

「残念ながら、その惑星はまだ開発途上です。ビーコンはそれを知らせるためのものだ」

「もう20年も前のものじゃないか。失礼だが20年前にあのブイを設置したのはあなたじゃないだろう?そんな年には見えん。開発も続けず、売るでもなく放置していたんじゃないかね?それに、途中だと言うが、こうして居住可能だ。わしらはもう3年も暮らしている」

 この惑星は水も不十分で呼吸できる大気もなかったが、ディビットの父が小天体をぶつけて水を追加し、自転を調節するとともに藻類を散布して大気と温度調整を行なったのが20年前だ。ディビット自身は、そのころ母に連れられてシルフィード号を降りていた。衝突でおこった異変はもうおさまっていて、現段階でこの惑星は呼吸補助機なしでも短時間なら屋外で活動はできる。だが赤道付近でやっと平均気温が0度を超える程度の極寒の地だ。この環境で人類が暮らしている例が他にないわけではないが。

「ブイを設置したのは父です。父の死後はわたしが引き継いでいます。たしかに今でも住めないレベルではないですが、まだ改造が必要なんです。あなただって、今の環境で住み続けられると思ったのなら、トパナ難民を皆、呼び寄せたでしょう?環境の変化の観測のために少人数で住んでいたのでしょう?」

ロッシは困ったような真顔になった。国際法上、ディビットに権利があることは知っているのだ。

「きみの言うとおりだ。過去のウェルケン法廷の判例で、開発途上で放置された惑星に5年間居住していた宗教団体に入植権が認められたことがあると聞いている。われわれはそのケースを狙ってここに住んでいたんだ。この3年は容易ではなかった。なんとか安定した地点をみつけて住んではいるが、温度は上がらないし、とてもトパナ難民6000万が居住できる惑星じゃないことは理解している。だが一部でも受け入れ可能であればと」

ディビットはスキャン結果の報告内容に目をやった。

「失礼だがスキャンによるとあなたは肝臓を患ってますね。この3年で悪化はしてないようですが、船団に戻った方がよろしいんじゃないですか?」

ロッシに笑みが戻った。

「そんなことまでわかるのかね。ご心配には及ばん。わしは医者じゃ。自分の肝臓の面倒は見られる」

なんだか憎めない男だ。しかし商売は別だ。

「シルフィード号はこうして改造のために戻って来ました。あなたの居住実績は認められませんよ。トパナ難民臨時政府が正規に入植権を買い取るなら話は別ですけどね」

「二、三日前にやってきた船が属するウルガ連邦というところが買い取ったのではないのかね? それできみが呼ばれて来たのかと思ったが」

「いえ、その船も招かれざる客です。まあ、買い手なら商談はしますけどね。・・・実を言うと・・・う~ん、改造の手の内をばらすのはやめとけと親父には教わったんですけど、この場合仕方ないって思うから言いますが。明日にはその惑星に再度小惑星が衝突します。今は衝突コースではありませんが、間もなく小惑星同士の衝突があり、2つが合体してコースを変えるんです。そうなればあなたの船のコンピュータでも衝突警報を出すでしょうね」

ロッシはまた真顔になった。疑っている様子は微塵も感じられない。ディビットの言葉を信じているのだ。

「わしらが居るここにも被害が?」

「ええ、衝突はそこから遠くありません。この衝突で地軸の傾きを調節し、さらに氷を追加します。地殻の活動も促進されます。しばらくは気象も激しくなる。20年前から計画されていたものです。わたしが来たのは侵入角の確認と、衝突後の植物散布のためです。あと、20年前にはなかった技術ですが、今では太陽活動に手を加えて、生命居住可能領域を広げたり縮めたりできるんです。その惑星はもっと温暖な惑星にするつもりです。3年後には楽園に生まれ変わるでしょう」

「そして金持ちに売るのか。・・・高いんじゃろうな」

惑星の買い手は、星間企業であることが多い。人類がジャンプ航法を発見して宇宙に進出したときは、開拓精神が旺盛で人類の居住領域を広げることそのものが動機となって植民が行なわれた。植民は、当時のテラ・ソル(今でも住人たちは自らの惑星をこの名で呼ばず、単に「地面」と呼んでいるという人類発祥の惑星)政府が国家事業として行なっていた。しかし、植民先の従属は長く続かない。それぞれの星系はある程度開発が進めば、いずれも自給自足が十分に可能になり、独立してしまう。移動手段は光速を越えるのに、通信手段は手紙を運ぶ以上に早くならなかったことも星系間を疎遠にした。人類は500以上の星系に広まったが、複数の星系を統治する国家が長く続いたためしはない。

 開拓精神も、その後の植民地からの富の搾取が続かないとなると萎えてしまった。今では星間企業が、新しい星系での経済の独占を条件に、移住を望む団体に惑星を斡旋するケースばかりになってきた。ある星系で、思想や宗教の違いにより複数の勢力が対立して深刻な事態に陥ると、そのうちの一者(たいていは勢力のより小さい側)に企業が持ちかけるのだ。新しい星系で再出発しませんか? と。

 そういった企業も、惑星改造の技術を自前で蓄積するのは効率が悪い。過去に惑星改造を行なった政府や企業から不要になった機材を下取りして独立した技術者が、技術と機材をさらに蓄積した専門家となっている。そういう専門家たちに改造はまかせて、必要なときに買い取るのが、企業にとって手っ取り早い方法となったのだ。

「値段はまだ決まっていませんよ。うまくどこかの企業が話に乗ってくれたら、ひょっとしたらトパナにも可能性が・・・」

「その話は待ってもらおう」

第三者が通信に割り込んできた。ウルガ連邦の戦闘艦からだ。ロッシとはつながったままで、三者での通信が確立している。右側の画面にロッシの映像が移動し、正面の画面には軍服の男が映った。見覚えがある。ウルガでクレームをつけてきた科学者の後ろに立っていた上官だ。たしか、名は・・・

「これはホフマン少佐。奇遇ですね。まさかわたしを追って来たわけじゃないんでしょう?」

ホフマンの船とのタイムラグは7秒ある。ロッシの方が早く反応した。

「きみらは知り合いじゃったのか、じゃあやはり・・・」

遅れてホフマンが返事をする。

「きみのおかげでわたしのチームは・・・ロッシさん、あなたは関係ない。黙っていてもらおう。・・・任務に失敗してこんなところまで来る羽目になったのさ。まさかきみがここへ来るとは知らなかったよ。神様とやらの導きかねぇ。ここはウルガ連邦が買い取ることになっているはずだ。20年前の商談だよ」

 ディビットは父の記録を検索した。この星系に関する商談の記録はない。

「残念ながらウルガ連邦との商談記録はありませんよ。うち以外の誰から買い取るって言うんです?」

「フルクというバイヤーが売り込んできた。きみの父上の関係者ではないかね? 当時、状況確認と契約のみ、というところまで話は進んでいた。その後進展していなかったが、そもそも改造は20年後、つまり今年終わると聞いていたからだ。そこで改造状況の確認と商談の再開のためにわたしが派遣されたのだ」

フルクはたしかに付き合いがあるバイヤーのひとりだ。父の記録によれば、この星系の情報も彼に伝えていたらしい。しかし彼からのこの星系の商談情報はない。それ以降、何度か別の仕事でいっしょになっているにもかかわらず、だ。

 バイヤーは、ディビットたちと、買い手の企業や団体を結ぶ情報屋だ。超光速の通信がないために情報は誰かが運ばないかぎり伝わらない。惑星を欲しがっている者、売買したがっている者、惑星改造している者はそれぞれ接点がない。星々を飛び回って情報を運び、結びつける者が必要なのだ。彼らは、ひとりの改造業者の専属になっているわけではない。そもそも惑星売買だけをやっているわけじゃないし。

「フルクからはウルガ連邦との商談の話は聞いていません。破談になっていたのではないですか?」

「それは、見解の相違だな。とにかく、この星系は譲ってもらおう。これ以上の改造は必要ない。ここには鉱物資源の集積基地を置くだけだからね」

「鉱物資源の集積基地だろうと、農作物の集積基地だろうと、他星系に集団で入植したらいずれその星系は独立してしまう。歴史が何度も証明しているでしょう?」

「そんなに長い話じゃない。そのうちこの惑星は砕いてしまうからね」

自前で開発中のBOPP弾の実験に使うというわけか。

「あんたのとこの学者さんの理論で作ったって、ちゃんとしたBOPP弾にはならないよ。まあ、惑星をひどく痛めてしまうことにはなるだろうけどね」

7秒後、ホフマン少佐は醜く笑った。

「この星系を買い取る任務よりも、きみから情報を入手する任務を達成させたほうが功績は高そうだな」

”やばい!”

直感がそう言っていた。シルフィード号を一時退避させるプログラムを始動させる。ジャンプでここから離れさせるのだ。

 ジャンプ航法は正確には『航法』ではない。ディビットが子供のころ父から受けた教育によれば、存在確率の置換だ。あらゆる物質は、今存在すると思っているところに限りなく100%に近い確率で存在すると同時に、宇宙全体に限りなく0%に近い確率で存在している。その確率の偏在をある地点とある地点で瞬時に置換するのがジャンプだ。ジャンプは、その距離が離れるほど精度を失う。現代の宇宙船では1000光年を超える一度のジャンプでの誤差は1000光年を超える・・・つまり逆に目的地から遠ざかるかもしれない。また、重力の影響も誤差を拡大する。重力の影響を緩和する装置は高価だしランニングコストも高いのであまり一般的ではない。したがって宇宙での旅は、イオンエンジンで重力源から距離を取り、小さなジャンプと大きなジャンプを数回組み合わせることで行なう。

 今、この位置は第4惑星の重力の影響を受け、誤差が拡大している。だからセットしたジャンプは短距離のものだ。ここから10光日の距離にシルフィード号をジャンプさせる。その位置に移動したことがこのあたりから観測されるのは10日後だ。もちろん10日後にはその位置にはシルフィード号は居ない。ディビットは自分の静止画像を発信するようセットして、コクピットを出た。この星系を離れてしまう手もあるが、父親が手がけた星系を捨てられない。小惑星の衝突角度が少しでも予想と違っていたら、すぐさま修正しなければとりかえしがつかないことになるかもしれないのだ。コクピットの下にある小型のシャトルに乗り換えてここに残ろう。シルフィード号は1日後にこの宙域に戻ってきて、ディビットの新しい指示をキャッチできなければ、退避行動を繰り返すようプログラムした。

 小型シャトルは全長全幅が10メートルほどの五角形をしている。船内の居住環境は本船コクピットよりも良く、歩いて操縦席に着ける。今回は走って、だが。席に着くや、本船との切り離しを行なう。切り離しがトリガーとなってシルフィード号がジャンプする。シルフィード号があった空間は虚空となり、その直後3本の光束がそこを通過した。ホフマンの船からの砲撃だ。3.5光秒先から撃ってきたのだ。いきなり破壊するつもりではないのだろうが、シルフィード号には何の防御もない。コンピュータが破損していたら彼の望む技術も失われるとは知らないのだろうか。

 シャトルを惑星の着陸コースに向けつつ、地表への呼びかけを行なう。ロッシが応答した。

「きみ! 大丈夫かね?」

「ええ、船は退避させました。やつら、いきなり撃ってきた。あなたは大丈夫ですか?」

「わしらも何度か立ち退けと脅されたがね。まさか撃ってくるとは」

「あなたたちも危険です。そこを離れる準備をしてください。宇宙船がすぐ離陸できないようなら、迎えに行きますからこっちに乗ってください」

「このあたりは今、猛吹雪の季節だ。昨日は、彼らのシャトルが近づけずに引き返したほどさ。きみも危ないから近づかん方がいい。わしらはここに住み続けるつもりだしな」

シャトルのコンピュータにコピーしたスキャンログをチェックする。天候はたしかにかなり悪いが、このシャトルなら近づける。

「このシャトルなら大丈夫です。それより、さっきも言ったとおり、その惑星上には、明日、居ない方がいい」

4秒のタイムラグが少しづつ縮まっている。シャトルが惑星に近づいているからだ。シャトルの計器がアラームを発した。20年前に予定されていた小惑星同士の衝突だ。コース確認をコンピュータに指示するが、小型シャトルのコンピュータでは処理速度が遅い。惑星に衝突するのは確かだが、惑星改造のためには、位置と角度が重要だ。

 数秒送れてロッシの背後のドアから少女が顔を出して叫んだ。

「おじさん! 衝突警報よ! こっちへ向かってくる天体が!」

ロッシは彼女に心配するなと言い、こちらに向き直った。

「きみが言っていたコース変更が起こったのか?どのへんに落ちるんだ」

「待って、今計算中です。・・・出ました。さすがだ、親父の仕事は正確だ」

計画通りの地点と角度。合体した小惑星の回転まで計算どおりだ。つまり、地表への衝突が巻き起こす結果も予想通りのはずだということになる。

「衝突が引き起こす地震はマグニチュード11超です。そのあたりは1フィート近くシェイクされますよ」

後半の数値はハッタリだが、あまり遠い数値でもないだろう。

「ここは2千メートルクラスの雪山に囲まれた谷だ。斜面の雪が全部なだれになって押し寄せたら永遠に氷漬けだな」

少女がロッシに駆け寄り、泣き顔でしがみついた。少女をなだめながらロッシが言った。

「きみの言うとおり、一時地表を離れよう。どうせきみが戻ってきたことで3年間の居住実績は振り出しなんだしな。さっそく船の準備にとりかかるよ。3年ぶりだ。まともに動くかどうか」

「大丈夫。あなたの肝臓よりも正常な状態でしたよ」

通信を切るロッシが、ジョークを聞いて口の端を上げるのが見えた。

こちらも回線を閉じようとしたとき、再び割り込みがあった。ホフマンだ。

「おとなしく情報を渡せ。命令だ」

「あなたの命令に従ういわれはないね。BOPP弾の技術を収めたコンピュータは船といっしょに宇宙のかなただ。誰もあの船とランデブーできないよ」

「きさま以外は、と言いたいのか? つまり捕まえて拷問にかけてほしいのか? どうして自分も逃げなかった? この星系に大事なものでもあるのかな?」

はずれだ。大事なのはこの星系そのものだ。

「こっちは仕事をすませたいだけだ。この星系を横取りするのはやめたんだろ?」

「その任務も続行中だよ。きみのブイは破壊した。もうビーコンは出ていない。観測衛星も破壊しよう」

これは笑える。彼はまったく宇宙のスケールが理解できていない。

「そんなことをしたって、20光年離れたところには、今頃最初のビーコンが届いているころだ。今の通話やさっきの通信だって、1光日はなれたところからなら明日傍受できる。タイムマシンでもなけりゃ止められないぞ」

「ああ、その通りだ。だが20光年先にも1光日先にもだれもいない。ここから一番近い居住天体までは40光年ある。そこの住人がビーコンを観測するのは20年後だな。ウェルケン法廷国家の調査船が来るにはどちらかが訴えなくちゃならん。こっちは訴えないから、きさまとトパナのヤブ医者が訴えに行かない限り、訴訟は起こりゃしないってことだ。だれも観測しない証拠など無意味だよ」

理解できていないのはこっちだった。彼の言っていることは正しい。

 ウェルケンは星々の間で起こる揉め事を裁く法廷国家だ。人類は銀河に拡がり、各星系ごとに政府があり、法がある。政治形態や思想が異なる星系国家同士であったり、星系を越えた企業、個人といった者同士で揉め事が起きたときに、それを裁定する法と法廷を国家事業として提供しているのがウェルケン法廷国家だ。裁定に強制力を持たせるような軍事力などの影響力を持っているわけではないが、ウェルケン法を批准しない星系国家は、まったく他から相手にされなくなる。ウェルケンは情報収集能力にすぐれており、訴訟にかかわるような科学技術も進んだ国家だが、ホフマンが言うとおり、訴えがない限りなにもしない。

 ホフマンは今、シャトルで近づいてきている。残念ながらあちらのシャトルのほうが加速が上だ。現時点の相対速度はマイナスだ。つまり近づきあっている。今から逃げに転じても、シルフィード号とランデブーする前に追いつかれる。このまま惑星に向かえば惑星表面には、ほんの少しこちらが先に到達できそうだ。ロッシと合流し、隙を見て星系を脱出することに賭けるしかない。

 小惑星の侵入角は調整不要だった。惑星衝突後の植物散布や太陽の調整はすぐでなくても良いから、この小型シャトルで残ったさっきの状況とは違い、ここに留まる理由はなくなった。

 シャトルをロッシたちが居る地点へのコースに乗せると、あとは1時間ほどなにもできない。この時間に睡眠を取れる図太さがあれば職業軍人にでもなれるのかもしれないが。太陽の調整案をシミュレーターで確認するためのデータ入力準備をして気をまぎらわすくらいしか思いつかない。たしかこのシャトルには親父の珈琲チューブが残っていたな。


 予測は裏切られた。

 いや、ホフマンが三味線を弾いていたのだ。彼の軍用シャトルの加速性能は当初見せたものよりも上だった。彼はその緊急加速を大気圏突入前の最終減速時に使用した。つまり減速を遅らせることで目的地への到達時間を早めたのだ。

 追いつかれるかもしれない。

 そもそもロッシが言っていた、猛吹雪で着陸できなかったという話も眉唾かもしれない。ホフマンの船をスキャンした結果は見たが、船としての性能分析は専門外だ。軍艦独特の二枚腰というものがあるのかもしれぬ。

 大気圏内で風をつかんで滑空し始めたときには、惑星の丸みの向こう、地平線の彼方でではあるがホフマンのシャトルも滑空を始めていた。眼下には雲海が広がっていた。氷に覆われていない海は赤道付近の限られた地帯のみであったが、雲を十分に供給しているようだった。雲の隙間から見える山々は雪に覆われていた。

 ホフマンが何か仕掛けてくるのは地平線のこちらまで追い迫ってからだと思っていた。先に吹雪の中に入れる、そう思ったときに、アラームが鳴り始めた。追尾ミサイルだ。地平線の向こうから撃ってきた。同時に呼びかけがある。ホフマンだ。

「まどろっこしいのは嫌いだ。降伏しろ。そうすればミサイルを自爆させる」

タイムリミットは着弾までの十数秒ということか。小型シャトルにはミサイル迎撃に特化した装備はない。が、まったく火器がないというわけではない。ひきつければまっすぐ向かってくるミサイルを迎撃できるかもしれない。時間稼ぎのためにもぎりぎりまでひきつけねば。早くに打ち落とせば、次を発射されるだけだ。迎撃のプログラムをセッティングしつつ、シャトルのコースを直線的に保つよう務めた。計算を単純化するためだ。間に合う。着弾の一秒前に発射を、と思った瞬間、レーダーの表示が分かれた。ミサイルは多弾頭だった。20あまりの弾頭が無計画なコースを取りながら、すべてこのシャトルに向かってくる。迎撃の発射ボタンを繰り返し押す。プログラムはより近い弾頭のコースを計算し、細い光束が弾頭に向かう。一発、二発撃墜。三発目は外れた、四発目よりも早く、弾頭に追いつかれた。間際にシャトルのコースを下方に転じると、数発の弾頭がシャトルを追い越すのが見えた。と、同時に大きな衝撃が襲った。命中した。続いて複数の爆発があった。

 左腕に激痛が走る。鼓膜は音を失った。シャトルが大きく割れていくのがスローモーションのように映った。身体が機外に放り出される。大小の残骸とともに、落下するのを感じた。

 高度は1万フィート以上あった。

 猛烈な低温と風の中、周囲の状況を見る。分析だ。意識を保て。まだ生きている。生存の可能性を探るのだ。考えろ。シャトルはほとんどロッシの宇宙船の上空まで到達していた。落下で生き残りさえすれば、ロッシが拾ってくれるかもしれない。下は分厚い雪に覆われた山だ。雪は膨大な量の新雪だ。雪が深く積もった勾配の急な斜面に、すこしでも斜めに落ちれば、雪がクッションになる。雪に深く埋まらずに済めば、生き残れるかもしれない。大気中で落下速度は一定になる。コースを調節し、落下直前に少しでも減速するには、小さくてもいい、翼になるものが要る。

 長さ1メートルほどの外壁の破片が真下で舞っている。こちらより落下が遅い。回転しているが運がよければ捕まえられる。両手を広げて破片に向かった。ガシン! と衝突する。左手に思うように力が伝わらない。なんとか右腕と身体で腹ばいに支えた。破片はややカーブがあり、その面が風をつかんだ。わずかだが、浮揚するような感じがある。スキャンデータで見た地形を思い出し、今見た地形と頭の中で照合する。着地する斜面を心に決めた。左前に力を込め、コースの変更を試みる。ロッシの宇宙船がある谷に至る岩山の斜面。70度以上の傾斜を持つ斜面に雪がたっぷり積もっていた。この下が、多分。いや、そうだ。意識を保て。まだ生きている。斜面は上昇気流を伴って吹雪いていた。山頂が横を過ぎた。破片を突き放す。雪と風でもう何も見えない。最後の瞬間。大気が身体を抱き上げてくれるのを感じたような気がした。

 追突した瞬間の記憶はなかった。

 目が開く。まだ生きているのか。もう落ちていない。上空は昼間だったが、今は暗い。本当に現世なのか。雪に、埋まっている?いや、雪の上に腹ばいになっている。目の前になにかある。指だ。こちらを指している。視界がやや明るくなってきた。目の前にあるのは左手、いや左腕だ。自分の左腕が肩の下からもぎ取られて目の前にあるのだ。

 腕を見ても頭は冷めていた。ほかの、身体の部位の確認をした。ほかの部位はある。動くぞ。立ち上がれそうだ。ひざをついて右手で上体を起こし、左腕を拾った。腕がつながるとか考えてではなかった。なぜか非常食になるというふうにしか思っていなかった。


 いつの間にか意識を失っていて、次に目を覚ましたときはベッドの上だった。心配そうに見下ろす少女の顔が目の前にあった。天使に見下ろされているのかと惚けていたら、天使は振り返って駆け去ってしまう。

「おじさん! 目を覚ましたわ!」

耳鳴りといっしょに天使の声で音が戻ってきた。

 ロッシが診察用スキャナーをかざしてチェックしている間、少女は心配そうに横で見守っていた。

「ふむ。トパナ一の外科医の玄関先に倒れ込むとは、運のいいけが人だな。もう大丈夫だろう」

左腕が、有る。

「残念ながら、トパナ救世主のひとり聖マクスマンのようなロボットアームじゃないよ。きみが咥えていた本物のきみの腕だ」

「おじさんが10時間もかけて大手術したのよ」

ひじを曲げて左手を顔の前に持ってきて、指を動かしてみた。動く。

「設備が完全なら、跡も残さずつなげられたのだがな。まあ、少々残るのは我慢してくれ」

見回すと、そこは簡易シェルターの中だった。壁の一面は宇宙船の外壁だった。他の面と天井、床は合成樹脂で、外気との間に空気の層がある二重構造になっている。その外では吹雪の音がしていたが、中は明るく暖かい。身体を起こして一息つくと、なにかひかかるような不安感が高まるのを感じた。ある瞬間、閃光のようにひらめいた。

「今はいつだ?! 10時間?!」

落ち着いた口調でロッシが答える、暖かい飲み物をコップに注いで差し出しながら。

「きみが墜落してから捜索して連れ帰るのに4時間。手術が10時間。きみを休ませながらわしが休養をとった6時間」

「・・・20時間」

小惑星の衝突まで2時間しかない。

「きみが心配している衝突も間もなくだが、その前に問題が起きそうだよ。吹雪が一時止みそうなんだ。やつらが来るかもしれない。呼びかけは無視し続けていたからな」

「宇宙船の準備は?」

「わしはきみの手術で手一杯。この娘は宇宙船を扱えないしな」

「とにかく、わたしが船を見てみましょう。あなたよりは手馴れている」

起き上がり、宇宙船の入り口に向かうが、扉のまえでふらついて壁によりかかって倒れてしまう。

「だいじょうぶ?!」

少女が駆け寄って肩をささえてくれる。

「ありがとう」

と言って、宇宙船の外壁の突起に手をついて立ち上がった。手をついた突起が、姿勢制御用ブースターの噴出口であることにおどろいた。これが噴射したらこのテントの中は大火事になる。

 扉を開いたとき、背後のテントでベッドの横の計器のひとつがけたたましく鳴った。

「接近警報だ。少佐殿のシャトルのほうのな。どうやら吹雪が弱まったらしい」

ロッシの言葉に、天井を見上げて見えないシャトルを睨みつけた。ムカムカと沸き起こる感情は、ホフマンに対する明確な殺意だった。


 腕に残る痛みが、殺意をさらに強めていたが、理性がそれを押さえつけた。優先すべきは復讐ではない。ロッシと少女を連れて、星系を脱出することが優先される。ホフマンはそのための障害物に過ぎないのだと言い聞かせる。

 ホフマンはロッシたちを星系外に逃がしたくないはずだ。ミサイル一発で済ませようとするかもしれない。時間を稼ぐためにも、まずやるべきことは、ディビットが生きていることを知らせることだ。彼が先の任務を果たそうとするなら、捕らえようとするはずだ。ミサイルよりも生き残る可能性は格段に上がるだろう。

 宇宙船の船橋には5つ座席があった。それぞれ役目が異なるクルーのための席だが、船長席ですべての業務を集約できるシステムだった。船長席に座り、ロッシに起動コードを聞いてシステムを起動した。まず接近警報を切り、通信機でホフマンに呼びかけた。コールを聞いているはずだが反応がない。もうミサイルで攻撃してくるつもりなんだろうか。チャンネルをオープンにして映像と音声で呼びかける。

「ホフマン少佐、聞いているんだろう?交渉だ。応答しろ」

今回はタイムラグはない。軌道上の母船ではなく、ここへ向かってくるシャトルに乗っているのだ。

「これはこれは。わたしは神とやらに何度もチャンスをもらえるらしいな。てっきりシャトルといっしょに死んだと思ったが。われわれの研究に協力してくれる気になったのかな?」

「こっちの3人の生命の安全を保証してくれ。それが条件だ。あと2時間ほどで小惑星が衝突する。それまでにここから救い出してくれ」

ホフマンはなにか横の計器に目をやった。

「そっちの船の始動を確認しているぞ。自力で飛び上がれるんじゃないのか?」

「さっき火を入れたばかりだ。衝突に間に合わないんだ」

再び、ホフマンがなにか検討している。天候や衝突までの時間を確認しているのだろう。

「ふん。おとなしく待っていろ。そこへ行く」

通信が切られた。これで時間が稼げる。あとはどうやってヤツを出し抜くかだ。

 プランを練りながら、平行して出航準備を行なう。出航準備の点検プログラムに手を加え、起動に必須なステップだけを残して、チェックをバッサリとカットした。準備にかかる時間は正規手順の8分の1ほどとなり、タイマーは110分ほどからカウントダウンを始めた。

 なんとかしてホフマンを出し抜かなくてはならない。彼らはシャトルでやってくる。軌道上に母船が居るが、指揮官のホフマンをシャトルごと地上に釘付けにできれば、その隙に脱出できるかもしれない。この船は数回のジャンプが可能だ。ジャンプして他の星系に逃れれば追ってはこれないだろう。彼らが自力でシルフィード号とランデブーできる可能性はゼロに等しい。シルフィード号は当面あのままでいい。ウルガ連邦はシビリアンコントロールが有効な民主主義の星系国家だ。この星で軍がやろうとしたことをおおっぴらに市民に対して告発すればなんとかなるはずだ。

 ホフマンはこちらの出港準備が整う前に着くだろう。ロッシが言っていた雪が使えるかもしれない。谷に着陸したシャトルをなだれが襲えば、衝突までシャトルが飛び立てないようになるかもしれない。この船の出航準備は間に合わないかもしれないが、大気圏内の移動なら可能な状態にできるか?

 パネルを複雑に操作し、シミュレーションを行なう。姿勢制御用ブースターが使える。浮かび上がることは可能だ。もちろんシャトルよりは遅いし武装もない。まずはホフマンたちをおびき寄せて、なにか罠をしかけられれば。

 星系をいじって、その行為の結果を望む姿に近づけるアイデアを思いつくことには長けているつもりだが、相手が人間となると、どう動くか予想できない。特に軍人とはあまり縁がないから、何をやってくるか。ホフマンはディビットを捕らえたいはずだが、命令に応じなければあっさり殺そうともした。迷いや未練というものとは無縁な男に違いない。今回も意のままにならなければ、あっさり攻撃してくるかもしれない。こっちが船の中に居てはだめだ。用心して降りてこないだろう。簡易シェルターで待とう。それなら降りてくるかもしれない。あそこでなにか罠を・・・そうだ、姿勢制御用ブースターだ。

 急いで船のコンピュータにプログラムをほどこす。タイマーを仕掛けてシェルターの中に向かっていたブースターを一瞬だけ噴射させる。その横にあった宇宙船に通じる扉は噴射と同時にロックするようにする。そのプログラムが終わると、後ろから覗き込んでいたロッシと少女に向き直った。

「ドクターロッシ、わたしといっしょに来てください。きみはここに残って、ええと、ジェシーだったね」

少女は心配そうな顔をした。

「きみにはやってもらいたいことがある。ここに座って、シェルターの中をモニターしていてくれ。ぼくが合図したらこのパネルの黄色い表示を押すんだ。タイマーであるプログラムを施しているが、タイミングが重要だからね、手動が望ましい」

 ロッシとふたりで簡易シェルターに戻ると、あたりを観察した。ブースターの向き、出力。テントの形状と材質、そして中にある生活用の器具や医療機器。シミュレーターで試験している暇はない。頭の中で予想するしかない。なんとかふたりが炎に巻かれず脱出できるように。

「ドクターロッシ、手伝って。このベッドとパネルをこちらに、痛つっ!」

「おいおい、まだ左腕で力仕事は無理だよ。わしに任せたまえ」

 10分ほどで模様替えは終わった。

「なんとも、おかしな間取りだな。これではベッドの患者を診察するのにいちいち部屋のあっちとこっちを行ったりきたりすることになる」

「少々の不自然さはかんべんしてもらいましょう。それより、この部屋にあなた個人にとって大事なものはありませんか?」

「あ~、う~ん」

ロッシはいろいろ思い巡らせて、人差し指を立てた。

「そうだ、亡くなった妻のホログラム」

「持っていてください。この部屋はだめになる」

「だめに、って、まさかあのブースターを噴かすつもりか?」

「ええ。でもわたしたちが助かるための工夫はしました。それに、最悪でもジェシーは生き残る」

この会話はモニター中のジェシーも聞いているだろう。知らない方が良かったかもしれないが。

「ふむ。そういうことなら、酒瓶も一本持っておこう。ホログラムは叱ったりしないだろうからな」


 予想よりも訪問者が遅く、噴射のタイマーをセットし直す必要があるのではないかと思い始めたころだった。シャトルがすぐ近くに着陸する気配がある。雪のため足音はしない。ディビットとロッシはシェルターの入り口に向かって、船の入り口とブースターを背にして立っていた。

 ボン!とシェルターの入り口が破壊され、銃を構えた兵士が2人飛び込んできた。銃口をディビットたちに向け、シェルターの中を確認すると、そとに口笛で合図を送った。ホフマンと他の兵が入ってくる。こわれた入り口からは雪原の様子が見える。吹雪はかなり収まっていた。外に見張りが立っている様子はない。それはそうだ、この惑星にはほかに人は居ない。ホフマンたちは6人だった。シャトルにはまだ残っているかもしれないが。

「また会えたね、ミスター・ロックウェル。BOPP弾の情報を渡す気になってくれたようだね」

ホフマンの視線からブースターを隠すように振舞う。ロッシも同じように行動してくれた。この行為の意味はロッシに話していない。不自然さが鍵だからだ。

「理論から製造、調整方法まで、シルフィード号のコンピュータの中に収まっている。シルフィード号の退避プロセスを停止してランデブーするためのコードは、さっき暗号化して三つに分けた。わたしたち三人が持つ暗号のパーツを組み合わせないとコードは完成しない。わたしひとりではだめだ。三人とも必要なんだ」

ハッタリだ。ホフマンはこっちの意図を読み取ろうと、表情を観察している。

「なんてことだ。きみは、あのいたいけな少女までわたしに拷問しろというのかね」

「三人をここから救い出して無事に解放したら、データを渡す。BOPP弾を持つ国がひとつ増えたところで、損をするわけじゃないからな」

「説得力がないね。うちの科学者たちと口論していたきみは・・・理想家だったじゃないか。命と引き換えにしてもBOPP弾の秘密を明かさないという職業的信念が感じられたよ。おまけにあとの二人はトパナ難民だ。簡単にBOPP弾の秘密が引き出せると思う方がおかしい。・・・ときに、ミスター・ロックウェル。後ろに何を隠しているのかな?ゆっくり、移動したまえ」

ひっかかった。この位置では噴射で最初に焼けるのはこっちだった。脱出できる位置は横のベッドに立てかけたパネルの後ろだ。最初からそこに居たら動くはめになった場合困る。だが移動させられた先がそこなら、こちらがその位置に居たいという意図を隠せるかもしれない。

 ホフマンがブースターを見つけた。その正面から避けながらディビットを鼻で笑う。

「ほほう、物騒なものがあるじゃないか。まさかこいつで我々と心中するつもりじゃないだろうな」

移動する方向へはロッシが先だ。もう一歩というところでロッシが立ち止まってしまった。もうすこし先だ。肘で押すようにして移動を促す。不自然ではなかったか?

「そうだとしたらどうする」

「さっさときみらを片付けて元の任務に戻ったほうがよさそうに思えてくる」

「BOPP弾の秘密はどうする? 任務じゃなかったのか?」

「いや。それは前の任務で、すでに失敗したものだ。わたしの今の任務はこの星系の占拠だ。たしかにきみの情報が入手できれば先の任務の失態は挽回して余りあるものになる。しかし、入手できなくてもわたしの失点じゃない。わが国独自のBOPP弾開発チームの責任者はわたしじゃない。失敗作だったとしてもわたしの汚点にはならない」

お互いに、説得力の勝負だ。

「惑星を破壊する力がどうして必要なんだ。ウルガと戦争状態になりそうな国などないじゃないか」

「連邦のまとまりを強固なものにするにはね、外敵が必要なのさ、仮想敵でもね。そして敵が居るなら対抗する戦力を国民に示さなきゃいけない」

「・・・異星人ってやつと、もしもこの宇宙で遇うことがあったら、あんたみたいに何考えているかわからないやつなんだろうな」

「失礼だな。わたしはウルガ連邦のことを思って行動しているまでだ」

良い配置になった。今合図を送ってブースターを噴かしたら、やつらは炎に巻かれ、計算どおりならこちらは脱出できる。

 合図を・・・・いや、待て、大事なことに今頃になって気がついてしまった。あの天使のような少女に何をさせようとしているのだ。あのボタンをおせば彼女はモニターで火炎地獄を見ることになる。自分が人を殺したという重荷を、彼女に背負わせるつもりか? ああ、だがここを生きのびなければ、その後悔する明日も訪れないのだ。どうする?

 いや、だめだ。タイマーが作動するまで引き伸ばそう。しかし、噴射の瞬間立っていたらディビットもロッシも炎に巻かれる。パネルの陰に隠れなければ。早すぎたらホフマンが逃げるか襲ってくるかもしれない。いったいあと何秒だ? 時計が見たい。だがホフマンがこっちを見ている。時計を見たら勘付かれるかもしれない。

 そのとき警報が鳴った。

 その場の多くは音のした方を見た。だが、ディビットを見るホフマンと、その視線を観察していたディビットは条件反射を押さえ込み、睨み合ったままだった。時計を見る隙は生まれなかった。だが、その音だけで十分だった。あれは小惑星衝突20分前を知らせるもの。それならば、噴射タイマーが0になるまでの時間は、鳴り始めてから34秒。

「どうしたね。急にだまりこんで」

数えながら応答する。しゃべりが変にならないだろうか。

「今の警報から20分で小惑星衝突だ。ここに居たら誰も助からないぞ。三人をここから脱出させろ。話はそれからだ」

「いいや、今だね。船に乗せたら、また一から拷問で聞き出さなきゃいけなくなるじゃないか。今ならその手間が省ける。さあ、コードを教えたまえ。教えなければ助かる可能性はゼロだぞ」

「だめだ、ここで・・・」

3・・・2・・・

「教えるわけにはいか・・・」

1・・・0!

ディビットは横っ飛びに、ロッシを押し倒した。ホフマンが反応しサブマシンガンで彼らが倒れこんだあたりを撃ってくる。しかし、それと同時に、ブースターが火を噴いた。炎がシェルター内で渦巻き、ほんの一瞬シェルターの構造がその圧力に耐える。ディビットたちが身を隠したパネルに炎より一歩早く突風が届き、パネルがふたりとともにシェルターの外壁を破って船首方向へ吹き飛ばされる。ふたりは絡み合うように飛ばされて雪の上に落下する。シェルターは火の玉となり、外壁の樹脂があちこち裂けて燃え上がる。

「なんて乱暴な脱出だ。内臓がひっくり返ったぞ」

「はやく! 前のハッチへ」

「お、酒を落とした」

「奥さんが放り出したんですよ。急いで!」

ブースターの噴射が収まっても燃え盛っているシェルターの残骸から、火だるまになった人物が出てきた。うめきながら手にした銃を乱射している。狙って撃っているものではないが、ロッシを急かせるには十分だった。前部のエアロックを開けて、ふたりが中に飛び込むときには、銃を乱射していた人物は雪の上に倒れ、まだ燃えていた。

 船橋につくと、今にも泣きそうな少女が出迎えてくれた。座席をディビットと代わる。

「ごめんなさい、わたし、押さなきゃいけないって思ったけど押せなくて・・・」

「いいよ、合図は送らなかったんだ。そもそも、どんな合図か決めてもいなかったし」

離陸のためのプログラムを急ぎながら、振り返らずに答えたが、少女は泣き出してしまったようだ。ロッシの無事な姿を見て安心したのだろう。だがまだ早い。シャトルにはホフマンの部下が残っているかもしれず、こちらを何百回も破壊できるほどの兵器で武装しているのだ。そして・・・。

「なんだ? 揺れてるぞ! もう衝突の地震が?」

「いいえ、ドクター、噴射で起きたなだれです!ふたりともどこか席について! 飛び上がります!」

ふたりが座席に身体を固定したかどうかも確かめず、ブースターを5つ噴かして船体を持ち上げる。メインエンジンの始動プロセスが完了するまで、バランスを取って空中に浮かんでいなければならない。

 モニターで下の様子を見下ろすと、黒いウルガ軍のシャトルが、三方から同時に押し寄せたなだれに飲まれて見えなくなっていくところだった。その傍らの炎も雪が覆っていった。


 小惑星の衝突以前に、予定通り宇宙船のエンジンは始動できた。あと残る障害といえばウルガ軍の母船だったが、その母船はこちらへはなにも手を出さず、かわりに新しいシャトルを遭難したシャトルの方へ向かわせていた。生存者がいるのだろうか。

「どうやら、助かったようですね。一度安全な星系へ行って、ウルガの国民に広くこのことを知らせる方法を検討しましょう」

ロッシとジェシーにもようやく安堵の様子が見えた。

「・・・それで、この星系はこれからどうする?バイヤーを通じて売るのかね?」

「落ち着いたら、衝突後の仕上げをします。この惑星が温暖な楽園になることを見届けたら、ゆっくり値段交渉をするとして、わたしの腕を直してくれた手術代を手付けに仮契約しませんか?」

 記憶トレースは唐突に終わった。


 法廷の外へ出ると、明るい通路で数人が立ち話しながら彼を待っていた。通路の大きな窓からはウェルケンのにぎやかで美しい都市の風景が広がっている。

 ロッシがトパナ難民臨時政府の高官たちとの話を区切り、ディビットを出迎えた。

「おつかれ、ミスター・ロックウェル。猛吹雪で寒かっただろう」

「ええ。それに、腕が取れちまうのも、もうごめんですね」

ロッシの横には笑顔のジェシーが居た。

 通路の反対側から、法廷コンサルタントの男が近づいてきた。

「ご苦労様。判決は午後には出ます。正当防衛で無罪は間違いないでしょう。それに先立って朗報です。ウルガ連邦が入植権の訴えを取り下げましたよ」

 トパナの一行が手を取り合って喜んだ。

 ロッシが握手を求めてきた。

「すべてきみのおかげだ。あの星系の最新データを拝見したよ。わたしの3年間の極寒生活が嘘のような楽園になりつつある」

「ええ、ですが一からの入植です。地殻変動や異常気象もしばらく続きます。あなたたちの苦労はこれからですよ」

トパナの一行は口を結んで一様に頷いた。

「ドクター・ロッシ、星系の価格を決めていませんでしたね」

ロッシたちはディビットの顔に注目した。心配そうな表情だ。

「残りは全額後払いで歩合制にしましょう。トパナ脱出前のあなたがたの国民総生産額の0.05%」

星系の価格としては妥当なものとなる。

「あなたがたが新しい星系で、以前の総生産を越えた年に払っていただきましょう」

そのころにはトパナ新政府にとって支払い可能な額のはずだ。以前のトパナは入植後そこまで栄えるのに300年かかった。

「きみは欲張りな男だな」

ロッシは笑っていた。

「いったい何歳まで生きているつもりなんだ?」























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