イジメられるシンイチロウ
……ヘンドリックを救う?どうして、彼が救うべき人物なのか。彼には何処か陰を感じる、以前困った事があるかと聞いてもあやふやに誤魔化された。沢山助けてもらっているお礼をしてスッパリと彼と別れろという事なのだろうか?
先へと歩く彼の肩をつかんで引き留めて、シンイチロウは言う。
「ヘンドリック……お前、お前は“ゲームの女性行方不明事件”と一体どんな関わりがあるんだ。」
『きっと、ゲームのシナリオ壊して解決する事が私を天上世界へと解放する条件なのかもな。私は側にいるから救うべき人物としてあてがわれただけだ、きっとそうだろう。』
「本当にそうなのか……?お前、本当は“この件”ともっと深い関係があるのではないのか?」
『そんな訳ないだろ、そ…んな…わ、訳、ない。シ…ンイチロ…ウ、お前は真犯人を捕まえるのに専念すればいい。』
これ以上触れるなという気を纏い、彼は肩の手を払い除けて行ってしまった。また追いかけて何が何でも問い詰めようとしていると、急に彼の姿が透け始めた。ポロポロと指先から砂の粒子のようにサラサラと消えていこうとしている。
「ヘンドリック!」
俺は彼の手をつかんだ。彼の手は光彩を放って、すぐに元のゴツゴツとした手に戻っていた。今まで彼の存在が時折頼りなく見える瞬間が幾度かあった、しかし、ここまで顕著にその兆候が現れたのはこの先程の現象が初めてだ。
『シンイチロウ、君は良い子だから私を安心させたいのならこの事件を早く解決しなさい。見ただろう?どうやら私の帰還は近い、一月持つかも分からないほどにこの頃は物に触れられる機会も薄れた、身体もそのうち内側から崩れていくだろうな。この身体は本来埋葬された筈の存在しない肉体なのだから。ただ、式神の術によって魂の時間が巻き戻されたほんの一時のものだから。』
「そんな……お前、お前は…」
『私は“ゲームのシナリオ”に直接的な関わりがあるわけではない。だが、教えられる事はある。ミラーナ様がゲームのシナリオを壊そうとしているのなら犯人を変えたりするなどというまどろっこしい手は使わないだろう、だからお前の知識と私の知識とを使えば犯人をどうにか出来るだろう。それを夜に話そう。』
ヘンドリックは苦しみながらそのまま行ってしまった。
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大陸暦1832年8月のマルチウス帝国首都ランディマーク内にあるメスリル伯爵邸は今日もそれなりに忙しい。そして、使用人はエリス、アリサ、シャウムヒルデの3人が加わり賑やかになった。
……ああ、俺の使用人生活もだいぶ板についたなどと勝手に思い込んでいた。だが、それは勘違いだったことをここ一月思い知らされている。元の世界には炊飯器や洗濯機など便利な物が溢れていた、そしてそもそも山内信一郎は家事などしない男だった。異世界に来て、使用人となりエレノア達に教えてもらい少しは出来るようにはなっていたが、それも以前の彼に比べれば大進歩ではあるが、本物の使用人に比べればスピードは遅く、付け焼刃に過ぎないと目の前でてきぱきと皿を洗ったり、炊事洗濯をする彼らを見て、嫌でも思わされた。
ネガティブな心を隠しながら皿を棚の方へ運んでいると
「あらあ、ごめんなさい。そこに居るの気づかなくってぇ。」
醜悪な顔のエリスにそう言われ、足を引っかけられバランスを崩して俺は転んだ。この女、一体何がしたい……俺を追い出したいのか。その為にこんな事を……そんな手の込んだ事しなくても俺だってヘンドリックよりは長居するだろうが、この国、この世界から去る運命が待っているから意味無いのに。
「……そうか、よそ見はよくない。気を付けた方がよろしいかと。」
「ふん、何よ。あんたなんて使えない男なのに。ただ、エレノア様に気に入られて側に居ることを許されたからってイイ気にならないで。あたしがすぐに奪ってやるんだから!」
「……すぐではなく、もう少し猶予をくれないか。そうしたら私は居ない者になるんだから。貴女が手を汚さなくてもそのうち思い通りになるから。」
「はあ?何言ってるの、あんた。」
エリスは意味分からないという顔をして行ってしまった。他の2人、アリサとシャウムヒルデは居たたまれない顔をして視線を逸らしてしまった、巻き込まれたくないのだろう。
別にいい、彼女の事を除いたら俺は恵まれているのだから。だが、ぶつけた膝に鈍い痛みが走る。
「……ッ!イテテ、あの女…派手にやってくれるな。俺の身体は見かけほど頑丈じゃないんだ。」
その後も黙々と俺は仕事をこなした。エリスの仕事振りは他の2人とは違って俺とどっこいどっこいなレベルだし、おまけに伯爵一家うまく隠しているが、俺への行為が露見すればクビにされてもおかしくないような仕事振りだからな……だからってどうして、何が何でも俺を蹴落としたいのか?彼女の考えはよく分からん。
「………はあ、ただでさえ指令やらなんやらで忙しいのに人間関係まで……面倒くさい。」
それにしても彼女には困らされた。ある時はスープに生煮えの野菜、ある時は服をごみ箱に捨てられ、またある時は服を切り刻まれ……イジメの典型例を見事に彼女はやってくれた。
よく飽きないね、ギシギシと音を立てるキッチンで炊事の準備をしながらシンイチロウは思った。
「シンイチロウ、なんか疲れているみたいだけれど大丈夫?」
「エレノア、大丈夫だ。心配する事はない。」
「そう……?なら、どうして隈が出来ているの?ちゃんと眠れているの?」
「あ、あ…その事なんだが、実は指令が来たんだ。」
本当は指令は今朝になって送られた。しかし、彼女に心配かけたくなかったし、もしエリスの行為が露見しても『お前、チクっただろう』とイジメが酷くなるのは眼に見えているので昨夜来た事にして黙っておいた。さいわい彼女は俺の小さな嘘に気づかずに『まあ、そうなの……』と寂しそうに涙を浮かべて頬笑むのみだった。
「5つ目ね……後、2つか。いつまで貴方と居られるのかしらね。」
「俺はしばらくは居られるだろう、俺よりもヘンドリック様との時間の方を大切にしないと……彼はもうじき迎えが来るからな。
それで、今回救わなきゃいけないのは彼なんだよ。……行方不明事件の犯人を逮捕する事で彼を救えるらしい、指令によれば。」
「でもその話おかしくない?彼はもう半世紀も前に死んだのよ?数ヶ月前に起きた行方不明事件と半世紀前に死んだ東の国の貴族がどんな風に繋がるって言うの?」
「それについては夜に話してくれるんだとよ。」
エレノアはしきりに何度も『貴方とはいつまで居られるのかしら』と繰り返していた。俺はその度に『しばらくは居られるだろう』と根拠のない返事をした。そのうちアリサがこちらの方へと向かってきていたので俺は慌てて準備をした。サボっていると思われて彼女の信用まで失わせる訳にはいかない、彼女まで敵に回すのは勘弁だ。
「シンイチロウさん、先程貴方が話していたのはエレノア様ですか?ちゃんと敬語くらいお使いになっては。」
「そうですね、気を付けます。」
彼女にチクリと釘を刺された。はあ、元の世界から秘書の後藤がこの様子を見ればどう思うのか?俺だと信じてもらえないだろうな。
アリサ達マトモに働いている2人の仕事を見よう見まねで取り入れてシンイチロウは真面目に働いた。アリサはコツなどを教えてくれて少しではあるが俺の仕事のスピードは速くなった。シャウムヒルデで相変わらず何かに怯えていた。
「はあ、ミラーナ様にも困るな。俺に忍耐力なんて無いぞ。」
これでも耐えている方なんだ。昔なら玩具が気に入らなければ2つ年上の後藤に押し付けていた、その俺が一ヶ月近く耐えたのは奇跡とも言える。そこを考慮してみると以前の俺は100回以上はキレた事になる。……まあ、生まれ変わった俺もそろそろ限界が近づいている。
「シンイチロウさん、悩みがあるのか知りませんけど口を開く暇があるなら手を動かしてください!」
「は、はい!」
スパルタなアリサによる指導に心の中で泣きながら仕事を終えたのは夜の12時を回った所だった。
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夜も回った頃になってようやく俺は部屋に向かい、話を聞くことが出来た。エレノアは待っていたようだが、芋虫のようになって布団に丸まったまま寝ていた。
ヘンドリックはテーブルの上に酒を用意し、つまみをモソモソと食べていた。……酒と共に食べるから美味しいのにとシンイチロウは思ったが、もしかすると自分を待って酒に手を付けずにいてくれたのかという心づかいに気づき、申し訳ない気持ちになり部屋に入った。
『随分と時間がかかったな。』
「いや、ちょっと準備に時間がかかっただけだ。いやあそれにしてもアリサさんは鬼だ、包丁すらまだ満足に扱えない俺に料理を任せるなんてな。かなりスパルタ教師に向いているな、彼女は使用人じゃなくて教師にもなれそうだ。」
『指が真っ赤なのはそういう訳だったのか……』
「ぇ…指?うおお、いつの間に!」
疲れすぎて指を切って血まみれになっていたのに気づかなかった。慌てて手当てをして、ついでにエリスに引っかけられて痛む膝もテーピングしておいた。一通り手当てが終わってから、エレノアを起こした。
「おい、エレノア……起きろ。」
「むう……貴方、来るのが遅いじゃないの!」
「いや、それはごめんなさい。
で、ヘンドリック……話してくれよ。お前、今回のイベントとどんな関係なのかを早く話してくれ。」
俺が話すように促すとヘンドリックは甘いお茶を飲み干してため息を吐いてからポツリポツリと話始めた。
おっと、ここで鍵となる事件についての説明がまだだった事に気づいたので説明しておこう。
数ヶ月前から女性が行方不明になるという事件が起こっていた。被害者は皆、女性という以外に接点はない、職業も身分も容姿もバラバラな彼女ら。それが解決したのは唐突な事だった、男達は大胆にも明るいうちに犯行に挑み、そのまま憲兵達に包囲されて捕まった。だが、被害女性達は……まず、行方不明になった者のうち5人は白骨遺体として、首都の外れの森の向こうにある屋敷の庭に埋められており、後の数人は“迷花草”という東国伝来の麻薬によって心身共に毒されており精神病院にて面会謝絶状態だとか。犯人に何をされたのかも邸内の様子から判断するしかなく証言が得られないようなのだ。
『私は、行方不明事件に関係があるのではない。その行方不明事件で被害者達に使われたという“迷花草”に因縁がある。それは、レミゼ東部原産で本来なら練り香などの原料なのだが麻薬にもなる恐ろしいモノである。
かつて、レミゼ王国でその麻薬を要人暗殺や兵器として使おうと、丁度その当時サルディン王国が滅んだ頃でね、我が故国に逃げ込んだサルディンの移民を麻薬の実験台にした御方がいた。その企みの為に非人道的な実験が行われ、後々私や一族が物凄い恨みを買った。………その大義名分に使われたのは、当時私が作っていた私的サロン『サルディン移民検討委員会』での移民対策についての議題だ。私はただ、どれほど彼らを受け入れるのか、受け入れるとしてもどうするのかを議論したかっただけだった。しかし、周りはそうは見てくれなかった……その結果が移民の排斥運動の助長とその運動に乗じて農産物の栽培研究所としてカモフラージュされた軍の施設での移民を実験台にさせただけだった。その実験を行っていた施設は表向きは私が当時務めていた農産大臣の管轄だったからその予算編成を徐々に縮小させながら閉鎖させていくつもりで動いていた。しかし、その企みには私の恩師も関わっていた……その恩師にだけは踏み留まって欲しかった、彼を止めようとして私は彼がワインに毒を混ぜているのを知っていて、あえて飲んだ。……その施設の封鎖がされたのは息子やアベルのお陰だ。今じゃ黒歴史だ、私が死なずにいれば…息子にツケを払わす事も無かった。人の可能性などというモノに期待しすぎたんだ、私はね。
………これが私が知る今回の件との関わりについての心当たりだ。』
ヘンドリックは重々しく、自らの半生についての話をした。唇は蒼白で声は震えていた。
「ヘンドリック……お前、そんな過去が……」
「ヘンドリック様……」
同情するような目を向ける私達に居たたまれなくなったのかヘンドリックは軽口を叩いた。
『それにしても、自分がかつて関わった物が再び利用されるなんて笑えないな。画面の外から見るのは面白いが、中の人間になってみると本当に洒落にならない。』
「笑い事じゃねぇよ。」
あぐらをかいたヘンドリックはグラスになみなみ一杯ついでからゆっくりと酒を飲んだ。
『はぁ……この美味しさも天上じゃ味わえないのか、これからは酒を飲む暇も無くなるだろうからこれが最後。ああ、エレノア嬢にシンイチロウ、君達も飲んだらどうだ?美味いよ。』
ぐいっと豪快にグラスの残りを飲み干した。
これが別れの酒になるかもしれない、そう思うと断れない。シンイチロウもグラスについでからイッキ飲みした。エレノアもその後に続いておずおずとグラスに手を伸ばし、『酒はあまり強く無いんだけど』と苦笑しながら飲んだ。
『ありがとう。
……なあ、ゲームの方はどうだったんだ?元々10年後の予定で参考には出来ないだろうが、そちらも聞かせてくれ。』
「なんだよ、こんなしんみりとした空気でいい感じだったのに。
えっと、ゲームでもこんな風に事件が表向きに解決してたんだけどヒロインが『それっておかしいわ』と言い始めて麻薬に毒された生き残りに面会するのよ、そこでこれが因縁の“王の集い”絡みで黒幕がまだいるんだって知る。それで、攻略対象…誰選ぶかでちょっと違うんだけど最終的に憲兵が女性を誘拐して“王の集い”に献上して甘い蜜吸ってたっていうオチで『アイツら……やっぱり許せない』っていうヒロインのセリフで最終決戦へと続いていく筈だったな。
いや、普通あり得るかって思うけどあれはヒロインが憲兵に囚われて恥辱されかけるのを攻略対象が助けに来るのが見せ場だから、檻とかそういう施設が必要だったんだろうなと俺は思う。だいたいこんな感じだったかな。」
「そのヒロインさんとやらはどうして真犯人が居たと分かったのかしら?」
「そこはご都合主義だから突っ込んじゃいけないぞ、エレノア。」
『……しかし、謎に自信があるヒロインだな。
おい、シンイチロウ…もっと飲め。』
ヘンドリックがやたら酒を勧めてくる。
俺もそんなに酒が強い訳じゃないんだけどな……しかも、お前が勧めてくるこれは眠れぬ夜のお供ブランデーじゃないか。明日も朝早いんだぞ、俺は。
「ハイハイ、飲むよ。」
「シンイチロウ、飲みすぎないでよ」
「分かってるって!」
その後、ヘンドリックは愚痴っぽく酒を飲んでどてんと寝転んだ。シンイチロウは、そのままヘンドリックに毛布をかけてから酒をグラスについで飲んだ。
「全然分かってないじゃないの……朝早いんだぞとか言ってたくせに。」
酒を飲むシンイチロウの横顔が硝子窓に映り込んだ。エレノアはその向こうに映る真っ暗闇の風景を眺めた。




