1つ目のミッションクリア
__この世界に来てからやけに意識が飛びやすい、地球とは違う世界だ……家事だって家電製品がないからとても非効率な作業だし、掃除だって一苦労する……。貧乏で贅沢を凝らしていない伯爵家ですらこうなのだから、一流の青い血が流れている方々の家の使用人というのは、どんなに面倒なのだろう……。非効率な家事作業の他に、複雑な人間関係まで気を配らなければならないのだから。
視界が開けてきて、黒い黒い闇に一点の光が射し込んでくる。
「う……ここは、どこだ……。」
眼を開けると、見慣れぬ天井だった。天国かと思ったが、そうでもないようだ。それに天国と呼ばれる所は黄金の麦畑や湖に囲まれていて、この世界を見下ろす事が出来るということは知っている。その証拠に、管理者と呼ばれるこの世界の神様であるミラーナも眷属のヘンドリックの姿もない。
「やっと起きたのか……このまま死んでしまうのではないかと思ったよ。」
「トール先生……うう、ここは?」
「ウチの家だ、アベルおじさんがすぐに医者を呼んでくれたからなんとかなったんだ。君も無茶な人だ、もう少しで栄養失調で死ぬところだったんだから気をつけろ。座り込むのは構わないが、体調管理はちゃんとしてくれ。」
トール先生は肩を竦めて言った。
「はぁ、申し訳ありません……お世話になりました。でも、治療費とか払えませんよ……返すのはどれ程先になるか。」
「そんなの要らない、君が無事なら良い……それと彼女にも心配かけたんだから、後で謝っておけ。」
トール先生に言われて身体を少し起こして見てみると、信一郎の太もも辺りの上に、エレノアが頭を乗せて眠っていた。その顔はとても憔悴しきっている。
「彼女なりに苦しんでいたんじゃないか?売り言葉に買い言葉で君が無理だと言おうにも言いづらい状況を作ってしまったと悔いていたよ。」
「それは……」
確かに一理あるが、エレノアのせいではない。
もっと知恵を出していたらこんな方法よりも良い方法があった筈だ、40年生きてきてこんなカッコ悪い方法しか使えない自分にも落ち度は十分にあった。
「それと、婚約の方だけど……今、おじさんがフェルナンドと伯爵家の方に行って結んできている筈だから安心しろ。」
「えっ!本当ですか?」
「君の事とルイ自身が婚約をしたいって言ったからさすがのおじさんも孫は可愛いって事なんじゃないか?まぁ、前途多難である事に変わりは無いが、一段落ついたという事で君も伯爵家に帰っていいよ。」
トール先生は気難しい顔をしながらポンポンと肩を叩いた。
(………って事は!?
これで借金も返せるっていう事だよな!)
これで1人目はほぼほぼ救えたと見て良いだろうか。でも、トール先生は何故そんな微妙な顔をしているのだろうか………。
「トール先生は、ルイ君とお嬢様が結婚してほしくなかったのですか?」
設定通りならルイ君がブリザード少年に進化しなければならないが、今のところその兆候は見られない。……トール先生はただの気難しい変人だし、アベル=ライオンハートもただの貴族嫌いでルイ君に虐待をしている素振りはない、むしろ貴族と関わるのを警戒して婚約をなかったことにしようとしたくらいだ。ゲームと話が違う。
「まさか、ルイの事を考えたらセイラ嬢との婚約は喜ばしい事と思うが、おじさんがこのまま黙っているとも思えないからね。
おじさんが祖国を追われたのは貴族であったが故だ。今でこそドレリアン男爵家の居候のライオンハート家みたいな扱いだけど本当は、ライオンハート家の分家のドレリアン家っていうのが正しい表現だから。」
「昔、一体何があったんです……?」
「……好奇心が強いのは結構なことだが、人には誰だって話したくない過去の1つや2つ存在するもんだ。余計な詮索はよせ。」
荒い息を吐きながら、彼は悲しい顔をして少しカチカチと震えながら言った。艶のある威圧感を感じさせる尖った声、世捨人のような雰囲気のトール先生にそんな声が出せるのかと驚いた。
「分かっていますよ、誰にだって知られたくない過去や言いたくない事はありますから。」
俺だって、この世界からすれば異物のような存在だ。本来なら別の世界で華々しく議員様をしていたのにおみくじを破いて捨てたというクソしょうもない理由でこの世界に飛ばされたんだから。
「分かれば結構、結構!
さて、君にはまだまだ教えたい事がたくさんある!この1ヶ月と半月ほどのブランクを取り戻すために、僕やマリアが叩き込んだ事を総復習しよう。」
「えっ………それ、今からですか?」
「そうに決まっているだろう。」
お昼の通販番組のような言い方で、結構キツイ事を言う。目覚めたばかりに何が悲しくてマナー講座を受講しなければならないのか……。
「ええ……そうですね、俺だって早くこの世界に慣れないといけませんから。」
「この世界……?君はおかしな人だな、物事は知らないし、言っている事だって時々分からないし……。まぁ、良いか。早くマナーのお復習をしよう。
エレノアは目覚めたら、使用人に送るように言っておくから。」
「は、はい……!」
危ない……異世界の人間だと危うく言いかけた。
もっと気を引き締めなければと思いながら、トール先生の後を追っかけた。
________
その後、トール先生による怒濤のマナー復習講座が終わったかと思えば、伯爵一家にめちゃめちゃ謝られて、なんかしんどい1日だった。
「疲れた………」
ホコリっぽい部屋に帰った途端に布団にダイブして安眠を取ろうとするが、眠れない。
鏡に映る自分の顔を見たり、時間を潰して眠りを誘うのだが、一向に眠れないのだ。理由は分かっている、ルイとセイラの婚約も成立して借金も完済出来る見込みが立ったのに、神様からのメールが来ないからだ。
「何で来ないんだろ……私は、一生帰ることが出来ないのか?」
自分でも声が震えているのが分かった。若返ったとはいえヨボヨボになるほどにこの国に居続けたら自分は日本の事もすべて忘れて、きっと向こうでも人々は行方不明の落選議員の事など忘れたまま日常は進んでいくのだろう。
「……っ!」
悲しすぎるじゃないか。人が死ねば影響力は失われていく。たとえ、どんなに偉業を為した人でもその人の名は歴史に刻まれようとも、その言葉が悪用されてもそうじゃないとすら言えず、生き残った者達が勝手にその人の評価をするだけなのだ。
その時、携帯の着信音が鳴ってバッと身を起こして携帯の方に吸い込まれるように行ってからパカリと開くと、そこには………
《1つ目の指令クリア!
おめでとう、この調子で後6人頑張って制覇しよう!》
と書いてあった。
(この調子でとかふざけんなよ………)
こんな調子で6人も救おうとしてたら俺、そのうち倒れるわ!
そう思っていると、メールには続きがあった。ボタンを連打しながら下にやると……
《PS.この先は徐々に難易度アップしていくから、そこのところよろしくね。byミラーナ》
というクソみたいなメッセージが残っていた。
(ふざけんな……!)
いや、もう大仕事を終えた気分だしもう帰りたいんだが。……神に俺の声は届かないようだった。端から見ればおかしな光景なのだろう、見た目は20代中身は四十路の熊っぽい雰囲気の顔はややタヌキ顔の男が唸ったり(小声にしようと努力はしているが)怒鳴ったりしているのだから。
怒りに我を忘れた彼は知らない、防音設備のない古い屋敷内には彼の無意識のうちに出た独り言もすべて筒抜けだったという事を。翌日、給料に不満があると勘違いした伯爵一家にやたら心配されて、給料アップしようかと自分より顔だけは怖い伯爵に控えめに提案される事をまだ知らなかった。