第四夜:レミゼ暦541年7月、弟想いのヘンドリック少年
マルチウス帝国の6月は暑さこそあるがジメジメとした不快さはまだまだ出てこない、シンイチロウは汗っかきなので6月でも根を上げようとしているけれど。世間の人々は7月に入ると、『暑い、暑い』と騒ぎ立ててそこらじゅうの窓や扉などを開けて世を明かすモノなのだ。暑さはまだ盛りではない。
昔話の途中、自らの番が回ってきて『外へ出よう』こう言ったヘンドリックの気持ちはシンイチロウ達には読み取れなかった。
『はあ、何を話そうか……私だって子供時代はツマラナイものだ。』
「おい、別に面白さなんて求めてないんだから普通に幼少期の話でいいんだぞ。」
ヘンドリックの歩みはとにかく速く、シンイチロウ達2人は小走りをしてそれに追随した。いつもは、のろまで見た目通り牛みたいにのんびりと歩いているのに今日に限ってどうしてこんなにスピードを出してくるのか。
首都の民達の憩いの広場へやって来た。今日は長雨も降っておらず、久々の快晴が続いているので人がそれなりに集まっていた。
『さあ……何か語らねばならないのに何も出てこない。少し考えるから待っていてくれ。』
ヘンドリックはベンチへどっかりと腰かけて、そのまま腕を組んで目を瞑って瞑想しだしたので、シンイチロウはエレノアと少し話した。
汗がすごく噴き出すのをハンカチで拭くが、汗は止まってくれない。エレノアはここで育ったのか慣れているようだったけれどシンイチロウはそうではない。去年の今頃は、確かアベル様の家の前でずっと座り込んでいた。あの頃は必死だったので暑さまで気が回らなかった。ヘンドリックの方を見ると顔は白く、よく見るとじっとりと汗をかいているようだったので同じじゃないかと安心した。
「何か、思いついたか?」
「シンイチロウ、子供じゃないんだからそんなに急かさないの!話は逃げたりしないわ。」
「いや、話は逃げないけど話す人は逃げるかもしれないだろう?」
「もう、屁理屈ばかり。貴方って本当に私より歳上なの?」
「歳上だよ!」
ムキになるシンイチロウと呆れるエレノアを見て、ヘンドリックはかつて東の故郷にいた息子と、想い合っていた“彼女”の事を思い出したが今話すべきは自分の話。それに、彼ら2人の話は歴史の闇に埋もれほとんど誰にも知られていないので語る価値はあるが、いかんせん話が10年分ある、さすがに一晩や一日では語りきれないから諦めた。
「決まったのか?」
『ああ、本当にツマラナイ……思い出話でよければ話してやろう。あれは__』
_________
ヘンドリック=オンリバーンの人生は、端から見れば挫折などない輝かしいものに見えただろう。実際はそんな事など無かったのだが。自らの死には悔いだけが残った。
地上を彷徨う事十数年、諦めて天上世界に行き、その先にある人々が三途の川と呼ぶあの世とこの世の境へと行き、それでもその先の天国と地獄へと踏み出す事はできず、天上世界の湖で子達の攻防と故国の興亡を眺めた。
自分は、一体何処で間違えた。
__死を選んだ時?
__“迷花草”を利用した企みに気づいた時?
__大臣になった時?
__大学を卒業して出世してやろうと考えた時?
__父とケンカして家を飛び出して、大学で既に麻薬に魅入られていた恩師と出会った時?
何度振り払おうとしても止めどなく沸き起こる様々な疑念と仮定。これは、彼がそんな疑念とはまだ無縁な子供時代の話である。
__レミゼ暦541年、大陸暦では1743年頃の7月、レミゼ王国北部オンリバーン侯爵領内にて。
「暇だなあ………」
窓から顔を覗かせているのは、11歳のヘンドリック=オンリバーン少年。顔自体は若さがなく老け顔気味で、背は低いが体型などは現在とそれほど変わりはない。
7月のオンリバーン侯爵領は、雨が降っており外には出られない。彼の父カルロスは少々過保護でこういう雨や何かが起こった後には外に出してくれなかったのだ。11というエネルギッシュな年齢に差し掛かったヘンドリック少年にはそれがとても物足りなかった。
「いくらお兄様達の件があるからといって厳しいなあ。」
後に侯爵となるヘンドリックは本来なら侯爵家を継げる立場ではなかった。彼の上には兄が2人と姉、そして下には弟が2人いた。だが、1番上の兄は幼少期に増水した川に近づいてそのまま流され、2番目の兄は色事を覚えて酒を飲むことも覚えた彼は酔って足を滑らせ川へ転落死。姉は婚約前に天然痘で急死。妹と1番下の弟は流行り病で生後すぐに死んだ。
こういう訳で今、生き残っているのは3男ヘンドリックと4男フランツの2人だけだった。しかし、その弟も生まれつき体が弱く、長くは生きられないと見られていた。
「コホコホ、お兄さま…仕方ないですよ。お兄様方もお姉さま達や弟も皆いなくなって、ボクたち2人ぼっちなのですから。」
「でもなあ……フランツ、また熱上がっているんじゃないのか?顔が赤いぞ。」
「だいじょうぶです、お兄さま。ボクは平気です、きっとすぐに下がりますから。」
ヘンドリックには、それが強がりだという事は何となくだが理解できていた。周囲はうまく隠しているようだったけれど、時々彼が苦しそうにしている姿を見かけていた、薬の量だって少しずつだが確実に増えているし少し前なら庭ぐらいなら散歩も出来ていたが、ベッドとバルコニーを行き来する生活を送るようになってもうだいぶ経つ。
「なあ、何か欲しいものはないのか?俺に手に入れられるものなら、持ってくるから!」
「ゴホッ…無いよ、もう充分だよ。側に居てくれるだけで充分だよ!」
窓際に立ったフランツは、背中を丸めてぼんやりと庭を眺めていた。
「本当に何もないのか……何でもいいから、何でもいいから。」
後から考えると私は馬鹿だったと思う。
この時すべきだったのは、弟の側にずっといる事だったと後々思った。私の必死さを見た弟は何か考えながら、背を向けたまま一言言った。
「じゃあ、綺麗な石が欲しい。この世で1番綺麗だという噂の“オリバーの卵”が欲しい。」
「分かった。」
この言葉を聞いて、私はすぐさま走り出した。
本で“オリバーの卵”があると噂の所を見つけて、荷物も持たずに本を片手に雨の中走って屋敷を出た。
__“オリバーの卵”とはこの王国を541年前まで治めていた、541年当時に存在していた王家に滅ぼされた大帝国の皇族の末裔がこの地に逃れ、隠した大きな宝石の1つと言われている。その存在の信憑性はあまりなかったが、ちょくちょく前王朝時代の物と思われる遺物は発見されていたので宝石があってもおかしくはない。
「オリバーの卵……この書によれば、この山に隠されている?」
どこぞの怪しい名も無きトレジャーハンターによって数百年前に書かれた書によれば、怪しいのはこの目の前にそびえ立つ山だと書いてある。
目の前の山は、木々が被い茂っている変わった所もない普通の山だった。地元の人間なら誰でも登れそうな山、そんな山に秘宝が有るだなんて信じられないな……そう思いながらたいして高くもない山を登った。
「何もないな……本当にここなのか?」
このままでは、何も持って帰る事が出来ず、弟をガッカリさせてしまう。何がなんでも持って帰らないと……そう思っていると、何かに躓き、その瞬間地面がへこんだ。
「…………うわっ!」
ズザザザとガッチリとした体が災いしたのか、どんどん沈んでいく。口の中に土が入って、息がしずらい。堕ちていく身体、混濁する意識、消えていく光。
__ホーホー。
森の動物の鳴き声で目が覚めた。周りは暗い、自分がどのような所にいるのかも理解出来ないくらいに何も見えない。僅かな月明かりが木々の隙間から差し込んでくるのみである。
頼りない光源を頼りにして、落葉や木を集めて摩擦させて火を起こす。方法は知っていたが慣れない事だったので時間がかかったが、やがて煙が出てきて火がぼっとついた。
どうやら山の中に誰も知らない空洞な場所があったらしく雨で地盤が緩んでいるうちに転けたりしてその空間に落ちてしまったようだ。辺りを見てみると、砂がだいぶ溜まっていて人の出入りなどはなかったようだ。
「……ひっ!」
照らされた先には、数体の骸骨。真っ白で、子供のものと思われるものもあったがヘンドリックには大人に混じって子供の骨もある程度で彼らがどうして死んだのかまでは分からなかったが、何となく背景は察した。
「これって確か、前王朝時代の………」
大人の数人は鎧を着ていた。その鎧は、現在の流行りなどではなく、屋敷に不要なほどある本の1冊に書かれていた600年近く前に流行ったタイプの様式美で作られた鎧だ。……その時代なら、戦乱が相次いでいた。戦争に巻き込まれ、逃げてきた集団がかつては何処かにあった入口からここへ入ってきてそのまま何らかの原因で死んだ、きっとそういう感じだったのだろう。
「もしかして、ここに“オリバーの卵”がある?」
前王朝時代の人々の亡骸と、その時代の秘宝、そして書物に書かれた在りかと同じ、合致していたのはその3つの条件だけだったが、ヘンドリックはここにある、そう確信した。後になって思えばそんな保証などなかったのに、その時は妙な自信があった。
「うえ……ベトベトする。ハクション!寒いな」
雨に濡れた服が体にまとわりついて、冷たい夜の風に当たり、さらに体が冷えてくる。
火の温かさを頼りに、先へ進んで立派な扉の前へ行き当たった。扉には鍵がかかっていたが長年の腐蝕で役目をほとんど果たしていなかった。ヘンドリック少年が蹴破る事も可能だろう。
「ふんっ!」
ありったけの力を込めて蹴破った扉の向こうで、その紫水晶は台座に置かれ、妖しく煌めいていた。台座の前のプレートには、『偉大なるオリバーの卵』と古ぼけた字もほとんど解読不能だがこう書かれていた。他にも何か長々と書かれていたがかすれていて読めない。
「これが、オリバーの卵……」
ポロポロと砂が落ちてくる。
秘宝を抱えて、蹴破った扉を横目に元来た道を戻っていく。そして、入口を探して歩き回り先程落ちた場所よりも進んだ所でまた先程とは違う扉が見えてきて、灯りを地面に置いてタックルすると扉は簡単に開いた。
「……早く持って帰らないと。」
落ちた場所とは違う場所に出たヘンドリック少年は、火を持って小脇にオリバーの卵を抱えて雨の止んだ領内を走って、走って屋敷を目指した。
どれ程走っただろうか、見慣れない所に出たからか戻るのに手間取ったがなんとか戻る事が出来た。
「鍵がかかってる………」
暗さからしてもう夜も遅い、子供が寝る時間などとっくに過ぎている。門の鍵が閉まっていてもおかしくはなかった。
「仕方ないか……」
火を消して、地面に棒を捨ててから服の中に秘宝を忍ばせ、煉瓦の飛び出た勇ましい装飾部分に足を引っ掛け城壁をよじ登り出す。体を柔軟に動かして、このときは門を登りきり、中に入ることに成功した。
「ゼエゼエ……」
体がブルブルと震えている。
玄関は鍵がかかっていなかった。そのまま弟の部屋へと忍び込んだ。
「お兄さま……」
弟はしんどそうな顔をして見つめてきた。首筋に何か線のような痕が見えた気がしたが暗くて何なのかよく見えなかった。
だが、そんなことよりもと思って、手に入れた目の前の秘宝を誇らしげに見せた。
「ハアハア、フランツ……“オリバーの卵”を見つけてきたぞ!」
「お兄さま、ボクのためにありがとう。」
弟の嬉しそうな顔を見て、ヘンドリックも自然に顔がほころぶ。顔を苦しそうに歪めて、宝を撫でてそのまま眠った。
「フランツ……」
私もそのまま部屋へ帰った。
翌日、父に怒られた事は言うまでもない。弟はそれから一月も経たないうちに死んだ。首には、もがいたのか筋がいくつもあった。穏やかな表情をした亡骸の横には、“オリバーの卵”があった。
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『__ツマラン東の国の話だ。』
「いや、辛いことを思い出させてしまったな。」
『いや、そんなことはないさ。どうせもう少しでこんな話を聞いてくれる者など誰もいなくなる。2人は兄弟とはどうしていた?』
自嘲気味に笑った。
「7人兄弟か……ウチ3人だしポーターとは歳離れてるからね。仲は悪くないと思うけど……」
「俺、1人っ子だから分からんな。でも、弟か…可愛かっただろうな。」
広場のベンチでしみじみとしていると、ヘンドリックは苦笑いして言った。
『懐かしい事を思い出したな……私には今でもあの頃の懐かしい原風景が甦ってくる。言葉も暮らしも変わる、その変化が胸に染みるよ。』
「ヘンドリック……」
空を見上げると晴天はどこへ行ったのか、曇りがちになっていた。
『さて、もう曇っている……そろそろ、帰ろう。雨が降ったら困るだろう。シンイチロウ、私は一体何処で間違えたんだろうな。自己犠牲なんて愚かな事をしようとしたことなのか……分からんな。私は間に合わなかったが、お前なら間に合う。シンイチロウ、お前は間違えちゃいけない。』
「ああ……」
『行こうか。……君は__』
ヘンドリックが足を止めた。
その目の先に居たのはアベル=ライオンハート。息子の盟友である彼は険しい顔をして杖を持ち立っていた。




