第三夜:大陸暦1817年7月、貧乏令嬢エレノアと占い師
こんな夢をみた。
シンイチロウが来たことは自分の夢だった、朝起きると誰も居ない部屋で約1年前の彼と出会う前ように暮らしていた、そんな夢だった。背中を丸めて、抱き締めた毛布に顔を押しつけた。……毛布の抱き心地が硬い、こんな夢を見るなんて不吉な、そう思って毛布を更に強く抱き締めた。
カーテンがサーッと引かれて眩い朝陽が射す。
「__ッ!」
眩しさに寝起き眼を開けてガバリと起き上がるとそれこそが夢だった、彼はちゃんと隣で寝ていた。彼が何故か息を荒く吐きながら苦しそうに唸っていて、不思議だった。彼も悪夢でも見ているのか……そう考えていると壁に背中を預けて本を読んでいたヘンドリック様が笑いながら言う。
『エレノア嬢、君は彼を窒息死させるつもりか?君にきつーく抱きしめられてもがいていた。』
「そ、そんなつもりなんて……」
先程抱き締めていた毛布、それは彼だった。
赤面して慌てて飛び退いてから部屋を出た。一体どんな風に顔を合わせたら良いのか、互いにシワになっていたが服を着ていたから何も無かったことは明白なのだが、なんか気不味い。
「ちょっと、私の服がヨダレまみれなんだけど!ああ、もう!なんかベタベタして気持ち悪い……シャワー浴びてくる!」
昨日は、夜会終わりでコルセットから解放されて、簡単な服へ着替えていたのだが彼のヨダレなのか所々、液体で湿っていた。赤くなって、シャワーを浴びてくると言うとヘンドリックは笑って手を振った。
『おい、シンイチロウ!そろそろ起きろ。朝だぞ、この寝坊助。』
「……ん~……」
エレノアが居なくなって、ヘンドリックは本を閉じてまだスウスウと寝息を立てている彼を起こす。ムニャムニャと返事にならない返事をしながら寝ぼけ眼を擦って、彼は大あくびをした。
「眠い、眠すぎる……」
『どうした?寝不足みたいだな、顔が疲れている。まだ朝が来たばかりなのにこうでどうする』
「なんか変な夢を見たんだよ……」
『変な夢?フム、思い出話でもしたからホームシックにでもなったのか?』
「いや、ホームシックというか……向こうの夢に間違いはないんだけどさ、親父に『ワニ顔!』って言ったら『お前は熊だろう!』って返されてしばらく言い争っているうちにプロレス技かけられて首絞められて死にかけた夢だ、妙に感覚がリアルだったな……」
『そうか、プロレス技……』
多分それは先程のエレノアの仕業だろうと思ったが、わざわざ言うような事ではないだろうと思いヘンドリックは何も言わなかった。
少しするとエレノアがシャワーから帰ってきた。彼の方を見て思い出したのか赤面していたのを、彼が眺めて首をかしげていたのは見ていて面白かった。
「で、どっちが先に話すんだよ!」
「『…はい?』」
エレノアとヘンドリックの声が重なった。
シンイチロウはその様子を見ながらイラついたようにため息を吐いて、大きい声を出して言う。
「だから、昔話だよ!俺は2つも話したし、お前らだって話す約束だっただろ!どっちからでも良いから話せよ。」
「ああ、そうだったわね……」
『それを今、出す所なのか?どうする、エレノア嬢。どちらから先に行くんだ?』
6月、暑くなってきた。こんなので根を上げていてはいけないが、暑いものは暑い。
「俺が言い出した事なのに遮るのは悪いと思うんだけど、朝御飯食べてからにしない?語るのは。お腹すいた。」
「そうね。じゃあ、私から話すわ。
私の後にヘンドリック様が話してください。でも、それほど面白さは無いしそんなに過度な期待しないでね」
「ヘーヘー、分かってますよ。」
『逆に面白い人生を送るのもどうかと思うが。そんな、常に冒険している人生を送る者など限られてくる、安心しなさい、面白くないからといってガッカリしないから。』
シンイチロウの適当な返事とヘンドリックの言葉を聞いてから、3人は下へと降りていった。
そして、朝御飯を食べ終わってからエレノアは話を始めた。
「あれは、私が7歳くらいの時だったかしら?ハッキリといつだったか覚えていないんだけど_」
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その時、伯爵家はもちろん貧乏だった。借金は緩やかにだが毎年増えていて、貴族なら眉をひそめるような暮らしをエレノア達家族はしていた。唯一の救いは、領内で災害や目立った不作などは起こっていなかった事だろうか。
その頃は、ポーターもセイラも生まれておらずエレノアは1人っ子であった。
「ついに来てしまったわ……夏休み。」
この頃のエレノアにとって夏休みは憂鬱なモノであった。シンイチロウのように課題に悩まされていた訳ではない、初等科生に与えられる宿題などたいしたモノではないのでちゃんとサボらずに毎日コツコツやっていけば8月の中盤頃には終わるのだ。昭和・平成、世代を問わずに子供たちを悩ませていた宿題ではないのだとすれば彼女は何に悩まされていたのか、それは__
「給食がない!!」
マルチウス帝国の学園は初等科には給食があった。しかも、お金は学費と共に国の負担なのでほぼほぼタダで頂ける、両親からは『とにかくお腹を膨らましてこい!』と厳命されていたくらいにライフラインだった。そのレパートリーに富んだ給食が無いのは、エレノアにとっても伯爵家にとっても色々な意味で死活問題だった。
「どうしよう………」
エレノアは7歳児の頭で考えるも1人でウダウダ考えていてもどうにもなるものでもない、という結論に至った。父、仕事。母、お茶会でのお菓子をお持ち帰りで家には、その当時住み込んでいた婆やくらいしか居ない……食料は無い。
ここにいても仕方ない、エレノアは外を歩いて何か木の実でも探そうかと思い、外へ出て歩いて回る。市場にある安い品すら彼女達は買えなかった。
いくつか店があるなかで、いつもは無い、見慣れない屋台を見かけた。その屋台は、水晶球を粗末な机に置いていて、フードを被った怪しげな老婆が開いていた。
「ヒッヒッヒ、そこのお嬢様……ババアの占い受けてみる気はないかのう?」
「え、私……?」
振り返ってもお嬢様と呼ばれそうな人間は他にはいなかったので問うと、老婆は『そうじゃ、そうじゃ』と言った。
屋台の方へ駆け寄って、7月の後半にも差し掛かったこの頃に暑そうな黒いローブを纏う怪しげな老婆を胡散臭げに見た。
「ごめんなさい。私、お金持ってないわ。だから、他の人を占ってあげて。」
「ヒッヒッヒ……お代は要らんよ、今日はババアの機嫌が良い。タダで占ってやろう。」
「タダ……タダでいいの?」
「良いぞ、タダで占ってやろう。」
タダで、その言葉に弱かったエレノアは占いをしてくれるのを嬉しく思い、老婆に聞いた。
「その水晶に何か見える?私の将来はどうなっているの?すてきなお嫁さんになれているの?」
「ヒッヒッヒお嬢様や、そんなに焦らんでもよろしい。この水晶に未来は映らん、ただのガラス玉じゃ。逆に興味を持ってもらうためのパフォーマンスというヤツじゃ。
さて、ババアに手を差し出してくれんかのう…」
「こう……?」
手を差し出すとチクリと痛みがして、恐る恐る見てみると針を刺されて赤黒い血が出ていた。
血が数滴ほど滴り落ちて、彼女はそれを水晶球に落としてからフムフムと何か唸りながら見ていた。
「お嬢様は、この後しばらくは平凡な人生を送るじゃろうな。だが、運命的な出会いが待っているようだ。」
「運命的な出会い……まさか、私のお婿さん?どんな人なの?」
運命的な、随分期待できそうな言葉を聞いて、エレノアは眼を輝かせて老婆に聞くと老婆は首を振った。
「お婿さん、ではないようだな。お嬢様を愛してくれる人は、きっともしかすると現れんのかもしれない。けど、壁の花に眼を留めてくれる男性はきっと居る、結婚出来るかはババアも知らんが。
さて、その運命で結ばれた男……彼は、こことは違う世界から紅い蝶の因縁を纏ってやって来て、様々な人間の運命を変える太陽となるだろう。……彼は、お嬢様にとってかけがえの無い人間となる……お婿さんになるかは別として重要な人間である事は間違いないな。」
「紅い蝶の因縁……太陽、何それ?」
「紅い蝶の因縁、それは神々のイタズラ。それから逃れられる事は何人たりとも出来ない、幸福が訪れるか悲劇となるかは彼らの気紛れ次第じゃ……ヒッヒッヒ!」
“知らない”とか“きっと”とか頼りにならない言葉ばかりで胡散臭いなとエレノアは子供心ながらに思った。
「………よく分からないよ。」
「お嬢様には難しい話じゃったかの。
まあ、十数年後に運命的な出会いをする。頭に留めておくのはこれで良いだろう。さて、占いはこれで終わり。
西の国も飽きた……東には行った、今度は南にでも行こうかのう。閉店ガラガラじゃ。フェッフェッフェ……」
占いババアの話は終わり、強い風が吹いて思わず眼をつぶった。風が止んで、眼を開けると老婆の姿はそこにはもうなかった。
「………あれ?お婆さんはどこに行ったの?さっきまで居たのに!」
狐に包まれた顔をしてエレノアは呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。
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「__まあ、こういう訳だったわ。あの占い師、本当に何だったのかしら?」
「不思議な話だ。でも結局何が言いたかったのか、全然分からない。」
記憶を手繰りながら話された話をシンイチロウは、不思議な話だと思った。その話に反応したのは、ヘンドリックだけだ。彼は、疲れたような顔をしていた。そんな彼の変化に気づかずに、エレノアとシンイチロウは話を続けた。
「でもね、シンイチロウ……今思い出しながら話していて思うの。それは、彼女が言っていたのは、貴方の事じゃなかったのかって思うの。」
「俺?俺は太陽なんかになれないよ、俺は雲だ。照らそうとする太陽の邪魔をして足を引っ張る雲だろうな、自然に例えるなら。」
「いいえ、私達家族は貴方に助けられた。私にとっては貴方は太陽よ、雲なんかじゃない。それに雲だって、照りつける太陽から人を守る存在よ。決して要らない存在ではないの。」
「そうかなぁ……」
エレノア達が話しているのをヘンドリックは目を細めて聞いた。
ああ、私がこうなる事もあらかじめ定められていたのだとしたら、とんでもない罰を受けているとしか思えない。“紅い蝶の因縁”……それが招いたのは息子の死、ゲームのシナリオに抗おうとした彼らに神が下した残酷な結末を、シンイチロウも纏っている……?彼に待ち受けているのがあの時のような結末なのか、それともあの時とは別なのか、もし前者なのだとしたらヘンドリックはそれを防ぎたい。あの子に似た彼が、あの子と同じような結末を送らないように守りたい。2度も大切な何かと引き裂かれるなんて悲しくて、目覚めが悪いじゃないか……。
「おい、ヘンドリック……次、お前の番だぞ。」
『ん……ああ、そうだな。
なあ、ここは暑い。外に出てもいいか?心機一転したい。』
「ヘンドリック様……大丈夫ですか?なんか調子が悪いみたいですけど。」
『エレノア嬢、心配するな。私はちゃんと大丈夫だ。私は……特別だから。私などよりシンイチロウの心配をしてあげなさい、彼は違う世界から来たというだけの君達と同じ人間なのだからな。今朝のような寝技をかけただけでも死ぬかもしれないんだよ。』
「な……そ、それとこれとは話が別です!
シンイチロウ、ヘンドリック様の事なんて放っておいて早く外に出ましょう!」
ヘンドリックは、若い2人をからかって反応を楽しんで、プリプリと怒って出ていくエレノアとそれを慌てて追いかけるシンイチロウの様子をほほえましく見ながら、彼らを追いかけて外へと出た。
__彼らと別れたくない。何故だろう、彼が息子に似ているから?エレノア嬢が、生前に娘が居たなら同年代だから?確実に消えつつある自分が居られる時間を思うと、その常々抱いていた思いが更に強くなった。




