かつての知り合いとの再会
さて、エレノア達が夜会のハシゴをしようとしていた頃、ヘンドリックは裏通りの方へと向かっていた。あの“ミーシャ”、彼女についての情報を得るために。
『………ッ…痛い、な。』
数日前から無視していた痛みが、再びぶり返してきた。だが、こんな所で歩みを止めようとは思わない。シンイチロウの為でもあるけれどそれだけではない。もう少ししたら、動くことすら出来ないかもしれない、そうすればこうして外を見ることすらできなくなってしまう。動けるうちに様々な物を眼に焼き付けておきたかった。故郷でなくてこのほとんど見知らぬこのマルチウスの西端の地でも地上に留まれる瞬間を感じる事が出来たから。
《文化が違えば、娼館の形も違うな。》
客引きをしている人気のない娼婦を見ていてふと思った。
故郷レミゼの娼館というのは、所謂“花街”と呼ばれて、江戸の吉原を連想させる別世界だった。見た目も中華風で、栄えていて活気があった。
ここは、その“花街”の中でも売れなくなったり使えなくなった芸妓達が集められていた外れを思い出させる、表は華やかでも裏は深くおぞましい闇に覆われている。西の帝国ではそういったものに華やかも闇もない、日陰扱いされて寂れきっていた。
その狭い道を歩いていき、ヘンドリックは目当ての店へと入った。周りから“ミーシャ”について聞き出せたら良いのだが、そううまくいくとは思わないようにするが。
「えっと……新規のお客様でしょうか?」
『ああ、そうだ。』
「誰かお望みの子は居ますか?」
そう言われて、ヘンドリックは悩んだ。壁には人気ランキングのようなものが貼られていて、娼婦の名前と姿絵が描かれている。ランキングの上の方の人気娼婦ならば、彼女の事を知っているだろう……中の上ランクの姿絵が1番良いと感じた女性にすることにした。上の方などは、仕事をせずとも客が来てくれるんだ、そもそもヘンドリックのような初見さんに会うほど暇でもないと思ったのもある。
その娼婦の名前は、エリーゼと言う。
娼婦のそれほど広くもない、ベッドと談笑する為の机と椅子だけというシンプルな部屋に招き入れてくれた。
「何故、私を?まあ、ここ最近の女性行方不明事件のせいで、男達まで震え上がって客足が遠退いていたから良かったんだけれど。」
『特に意味はない。誰かに似ていたからじゃないか?』
女性行方不明事件、エレノアと入れ替わっていたシンイチロウに同行していたヘンドリックも貴族令嬢達が恐ろしいわねと話していた事を思い出した。
「ふーん、ツマラナイ。私に一目惚れとか言ってくれたら嬉しかったのに。」
『それは悪かったな、しかしエリーゼ……お客様は大切にした方が良い。』
「ふん、オジさん……もうとっとと始めよう。」
エリーゼが不機嫌な顔をして、腕を絡めてくる。艶かしい顔を近づけて、2人でベッドにもつれ込んだ。
『ああ、そうだったな……』
マズイ、ここは娼館だ。ミーシャの事で頭が一杯になっていたが、そういう目的の場所だった。妻はもう大昔に死んでいるし、生きていた所で夫婦関係など破綻していたからよく花街を利用していた身である、抵抗感などはあまり感じない。
……身体が鈍い痛みを上げる。そんな状態で彼女と一晩過ごせる訳などない、いつ何が起こるかも分からない頼りない身で、彼女を抱くなど出来なかった。
「もう、焦れったいなあ。」
痺れを切らした彼女が私のボタンに手をかけてくる。私の身がどうなるのか……そんなの分からないが、こういう時は不可抗力として仕方ないのか?そういう目的でしか行った事がないヘンドリックは年甲斐もなくドキドキとして心がざわついた。
《世の中にはハニートラップというモノもあるくらいだから、これもその一種みたいなのか……情報を得るにも、必要なのか?》
仕方ないと、そう覚悟してから彼女の服を脱がせて、胸を揉みしだいて、キスをしようとした時に誘ってきた筈の彼女が
「うわあ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょ!ちょっと待って、タンマ……止まって!」
『先に誘ってきたのはソッチだろう?
何を今更……処女じゃあるまいし、どうしてだ?人をその気にさせておいてひどいと思うが。』
私を押し退けて拒む。
まったく、確かに私はシンイチロウと同様に、眉目秀麗という訳ではない、どちらかと言われれば迫力ある顔の造りをしていたが、そんなの今に始まった事ではないし、何十年も付き合ってきた顔だ。だが、ここまで露骨に拒まれた事は無いし、鏡を見てもそんなに酷い顔でもないと自分では思っていた。
「いや、俺は女じゃない!ヘンリーだよ、ヘンリー!ヘンドリック様も酷いじゃねぇか、息子の盟友の事を忘れるなんてよぉ。」
『ヘンリー……?ああ、そういう事か』
その口調は先程までの彼女のものとは明らかに違っていた。
眼をこらしてみると、彼女はエリーゼであって、そうではない。身体はエリーゼと名乗る娼婦の物だ、だが中身は精神は、我が息子ショーンのかつての盟友であり、現ナクガア王国駐マルチウス大使のエドワード=ベアドブークの父親であるヘンリーによって憑依されて主導権を握られていた。
「ふう、楽しもうとしている所を邪魔して悪かったと思ってますって……そんなに怒らないでくれよ。悪かったって、俺はあいにく男相手は無理だからな。」
『怒るだなんて、むしろ拒まれて傷ついていたんだが。……まあ、いい。彼女と最後までイケるか不確定だったのだから、男としての尊厳は守れてよかっただろう。』
「………そう言ってくれるとありがてえ。
しかし、貴方は…ぶれている。ほら、ここが。」
『あ、ああ……』
ヘンリーが触れた所、身体の一部がピースのように少しずれていた。ずれた所を内側に押し込んで直してから、ヘンリーの方を向き直った。
「貴方が娼館に入っていった時は度肝を抜かれたぞ」
『うう、嫌な所を見られたと思っている。』
先程までの色気や何やらはどこへ行ったのやら男同士の会話が始まった。
ここでヘンリー=ベアドブークについて、少し説明しておこう。彼は、息子の盟友であってレミゼ王家に1番近しい公爵家の血を引いていた。正直言って、かつて仕えた王家を倒す形で今のレミゼを治める現王家より彼の生家の方が血筋的には最も近かった。そんな血筋もあったのか彼は外務大臣を務めて、宰相にも推された人物であった。ただ、性格には少し難があった。女泣かせのヘンリーというアダ名がついたくらいに無類の女好き、そして破天荒であった。
『……で、何故その君が私などを追って?』
「んん?そんなのヘンドリック様が1番分かってんじゃねぇの?気づいていない訳ないよな」
『……彼女の前で恥をかかずに済んだ事はありがたく思っているさ』
身体がまた痛む。どうやら、人の身体というものは緩やかに節々から、骨と骨とを溶接する部分から痛んで来るようだ。もどかしい、鈍い痛みがする度にヘンドリックはそう思った。ヘンリーはそういう状態を悟ってくれたのだろう。
「まあ、そういう事にしておいてやるけどさ。貴方は俺らが察したくらいに危ういんだぜ、それも頭の中に入れて行動してくれよ?」
『分かっている、善処しよう。』
「あー、その言葉!ショーちゃんもよくそう言っていたけど、全然信用ならなかったからな。
あんたら親子の美点でもあり欠点でもあるところ、その1人で抱え込む所、止めろよ。周りは堪ったもんじゃないんだから」
『………済まない。』
ヘンリーはあぐらをかく。その身体、エリーゼのモノだからあまりそういう行儀のよろしくない行為はしないでくれよ。
室内には静寂が広がる。目の前の彼は髪をいじって、退屈そうな顔をしている。彼にいじるような髪はなかったが、目の前にいるのは確かに見覚えのある彼だった。ヘンドリックは眼を細めて彼の様子を見て、その懐かしさに心をホッコリとさせられたが、ふと疑問が出てきた。
「なんだよ、そんなに見つめて。俺を見てムラッとされても困るんだがな。」
『するか。なあヘンリー、どうして君はアベルの側に居るんだい?レミゼに残らなかったのか?
それに、君には息子のエドワードも居る、そしてかの北の雪国には君の娘や孫達、一族郎等も居るだろうにどうして彼の元に憑いている。』
彼が何故かアベルの元に居る事をヘンドリックは知っていた。今までも数度顔を合わせたがヘンドリックは話しかけづらく何も言葉を交わす事はなかったので、今日が死んで以来初めて彼と話したのだ。
「ヘンドリック様、あんたも酷いな。
あんたが陰謀を防いでくれなかったから、俺はショーちゃんを失ってレミゼを恨む事となってしまったのに。いや、あんたのせいじゃないか………俺やアイツやアベルの弱さが招いた事態だったか。
俺らの滅びは自分達で招いた事だが、あの“今のレミゼ王国”を、あんたがかつて守ろうとしていた“レミゼ王国”と同一のモノとして語れるか?あんたの心情など知らんが、俺はあの国を生まれ育った故郷と同じには見れねぇ。幽霊になったが居ることにも嫌気が差して国を出て、エドワード達の所を訪ねたが彼らは北のナクガア王国に馴染んでいて俺が見守る必要もなかった。あと1つの心残りは国を追われたアベルの事だった、だからここに居る、それだけだ。」
ヘンリーの気持ちはとてもよく分かった。私もあれを自分がかつて居た故郷とは思いたくもなかった。何故か、息子が居なくなった原因を作ったから?……仕えていた王家が無くなったから?眷属となった当時はあれこれと考えたが、どうも私は時代に取り残されたんじゃないかと最近は思うようになった。例えば、よく“ショウワ”のあの頃はよかっただとか言って“ヘイセイ”の世を嫌っている老人のように。景色は50年やそこらなのであまり変わってはいない、だけれども自分が知っていた物達が消え、自分と共に戦ってきた人達も悩まされた腹黒い人達も亡くなり、流行についていけなくなり、あの頃に取り残された、それが今のレミゼ王国に抱く複雑な想いになっているのだと思った。
『そうか……』
「なあ、貴方は大事な事を忘れてるんじゃないか?」
『大事な事?……大事な事、大事な…あ!そうだった、ミーシャについて調べに来たんだった!』
大あくびをしながら、ベッドで寝そべっているヘンリーに言われて、私はようやく目的を思い出した。その様子を見たヘンリーはやる気なさげにモソモソと起き上がってからニヤリと笑った。これは彼が何か企んでいるときによく見せていた顔だった。
「俺知ってるぜ?なんかクライム侯爵が彼女に金渡してたし『これであの男をけしかけろ』って言ってね。つまり、彼女は小遣い稼ぎでやってただけ。………確か、次の標的ってカウンテス伯爵の妹だったか?俺が彼女に取り憑いて、キャサリン様とかいう小娘に現実みせてやろうか?」
『そんなことしたら、彼女ら2人の仲が拗れるだろう…。』
しかし、クライム侯爵は“王の集い”絡みではなく嫌がらせでしていたようだった、ヘンリーの情報を信じるには材料が足りないが随分まどろっこしい事するもんだとヘンドリックは思った。
《まあ、貴族なんてまどろっこしくてネチネチしてるモノだからな………》
遠い眼をして、かつての思い出に浸っているとヘンリーが声をかけてきた。
「あの、何もね盗る所までしなくてもいいんだよ。キャサリン様に勘違いさせたもん勝ちってことだろ?俺にそんなの朝飯前だ。」
『本当に良いのか?ならば、その方法を採用させてもらおうか。』
「おう、任せろ!」
本当にエドワードは彼に似てないなとヘンドリックは思った。
まあ、そういう訳で、クライム侯爵には触らぬ神に祟りなしで触れないで、彼女の仲を修復したらよいかという結論に至った。
『はぁ、そろそろ戻ろう。君は悟っていた、私はもう長くはない。いつ、この身が崩れ行くか………なあ、私がいなくなったらシンイチロウを助けてくれないか?彼もまた危うい』
「ふっ!彼はショーちゃんに似ているようで似ていない。アイツと違って打たれ弱くはないから、ちゃんと転んでも起きるよ。1転び0起きではない。俺なんざの助けなんて要らんだろ、まあピンチの時は駆けつけるくらいはしてやるよ、ヘンドリック様に免じてな。」
『そうか……。ならば、そろそろ出る。』
「見送るぜ、これも娼婦の役目らしいからな。
あ、そうそう、なんかさ噂によれば“ミーシャ”などの高級娼婦達は特別なVIPしか通さない裏部屋でもてなすらしいぞ?
ちなみにあのイワンはそこじゃなくて普通の部屋だったらしい!つまり、彼はそういう扱いって事だよ」
『噂だとしても可哀想だな。』
ヒソヒソと話しながら静かな方へと歩いていくと声がした。
「侯爵様、あのイワンという坊ちゃんの相手はもう疲れました。そろそろ、茶番は終わりにしたいのですが。よろしいでしょうか……」
「おおミーシャよ、別に良いぞ。もう、掻き乱すという目的はある程度果たしている。」
「まあ、侯爵様……!」
腹黒い代官と越後屋あるいは大黒屋のような雰囲気の会話が聞こえてきた。それは、あのミーシャと“侯爵様”のものであった。
『案外、噂は本当なようだな。』
でも関わるべき事案ではないのでその場からソッと離れた。まあ、今の会話からしてあのイワンにこれ以上のバックアップは無いようなので、心置きなく彼をぶっ壊せる。
「はぁ、そんな哀れな男に令嬢の身体を使って関わりたくないが、約束しちまったししょうがない。」
『ヘンリー、嫌なら別にいいんだぞ?』
「いや、男として二言はない。やってやるさ!」
ヘンリーは頼もしい言葉をくれた。
偶然とはいえ、ものすごい証拠を聞いてしまった。これでイワンを心置きなくキャサリン様に嫌わせる事が出来ると思うとヘンドリックは自然と顔がにやついてきた。
支払いなどを済ませてから娼館を出て、5月の生ぬるい風を受けながらヘンドリックは屋敷の方へと歩いていった。身体が少し、また少しと鈍い痛みを発していく。その痛みのもどかしさを無視して、背中を丸めたヘンドリックは『まだ、後数ヶ月は大丈夫だ』と心を慰めた。




