異世界出身の従僕見習いは粘る。
はて、困った、困った………。
どうして、俺はあんな無茶な宣言をしてしまったのだろうか……あの民自党のドンみたいな確実に敵に回したらヤバそうな人間を説得するなんて無理だぞ……。
『シンイチロ……またルイくんとあそべるの?』
頭の中にセイラお嬢様の幼い声が響く。
(今更に彼女の期待を裏切るわけにはいかんしな……)
『無理だ!』そう言えばいいだけだが、子供相手じゃ分が悪い。大人であれば、広げすぎた風呂敷は『持ち帰って検討してみます』などと言って畳めばなんとかなるのに……。
頭を抱えている私の姿を見つけたエレノアはあきれたように言うのだ。
「ねぇ、今からでもセイラに無理って言えば?大丈夫、セイラ以外皆無理だって分かっているから!」
「断言するなよ………。
こうなったら、“伝家の宝刀”を使うしかないな。あの手の人間にはこれが良いだろう。」
「“伝家の宝刀”って何をする気?」
「え?簡単に言えば土下座だよ。
三度行きて、乃ち見るって言うだろ?大物にはこちらから会いに行かなきゃ会えない。それにしてもあのアベル=ライオンハート……奴は何者なんだ?民自党のドンレベルのオーラだぞ、あれは。どんな壮絶な人生送ったらあんな人間が生まれるんだ!」
「なんだ……土下座って。伝家の宝刀って言うから弱味握って脅すとかもっとすごいことするのかと思ったら……しょうもない。それと私は、アベル様については何も知らないからね!」
「ああ、そうですか。」
まぁ予想通りの答え。
じゃあ、尚更土下座で良いよな……。
フェルナンド様やトール先生&マリア兄妹は好意的……つまり、アベル様を落とせばなんとかなる。そして、セイラお嬢様とルイ少年のゲーム内のいざこざの事は婚約が決まってから介入しよう、今の段階でそっち方面に関わっても2人は赤の他人なのだからイタズラに人の関係を悪くする必要はないだろう。
「さて、行くか………」
山内信一郎は毅然として事態に臨もうとしていた。だが、ふと気づいた。
(そういや、アベルって後2年くらいで死ぬよな?享年75歳だったはずだから……2年待てば解決するんじゃ?
いやいや、2年も待てるかよ……1人目にそんなかけてたら7人救えて帰るときには俺がポックリ逝ってるわ!)
鳴くまで待とうとは言うが、待つにも限度がある。
「行くって言って何、固まってるの?
もしかして怖じ気づいたのかしら、貴方ってそれでも男なの?」
「いや……行く、行くから押すな!
男に二言はない、アベル様が折れるまで俺は諦めんからな!」
「言ったわね!じゃあ、アベル様が認めなかったらあんたをこの家から追い出す!」
「その賭け、乗ってやる!」
エレノアにやや挑発的に言われてプライドが高い俺は自らハードルを上げるような事をまた言ってしまった上にアベル様がOKしてくれないとなんか不味そうな雰囲気になってしまった。
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ランディマークの街を鉛のように重い足取りで歩きながら考える。死刑宣告を受けた死刑囚の気持ちが理解できるほどには、胃が痛む。
何故俺はこうなのだろうか………おみくじに書いてあったような気がするが、プライドを捨てろとは捨てないと人生ハードモードだっていう警告だったのかもしれない。
(マジで引くに引けん、無理とか言ったらクビだし………俺の職歴が衆議院議員→無職→従僕見習い→無職という事になる!)
運よく手に入れた衣食住を手放すなんて出来ない、ここは粘らなければ。
白亜の建物の建ち並ぶ通りにある、ついこの間幼い2人が顔合わせをした赤煉瓦の家の前に立ってからさてどうしたものかと考える。
(いきなり座り込むのはダメだよな……だって、ここで声張り上げてもただの変人だし、そもそも屋敷内にまで俺の声なんて響かないよ。
まずは、何の目的で座り込むのか宣言しておいた方が良いだろうな。)
大丈夫、俺なら出来る!
自分を奮い立たせてから門の前にあるインターホンを……
「いてぇ!痛っ……!
まだ平成の感覚が抜けてないな、いつもの感覚でインターホン押そうとしてた……。」
そうだった、この時代はヴィクトリア調期のイギリスをモデルにしたマルチウス帝国だ。文明レベルは19世紀頃……ガス灯はあれど電気などはまだまだ普及もしていない。インターホンなんてもちろんだが存在しない。
その事をうっかり忘れて、近所の人を訪ねる感覚で門のところのインターホンを押そうとして突き指をしてしまった。
「この突き指を口実に帰れないかな………いや、ダメか。」
諦めて脱力気味にため息をついてから、門の呼び鈴を鳴らした。
お願い!どうかトール先生かマリア様のどちらかが出てくれと心の中で神に願うものの神は俺の願いを聞き届ける気はさらさらないようで、出てきたのはよりによって説得したいアベル=ライオンハートの方だった。
「………ションちゃん?いや、違うな。彼はもうとっくの昔に居なくなったんだ。
君は、一体誰なんだ?」
うわ、この間顔合わせの時に居たのに覚えてないのか。まぁ、使用人なんて背景中の背景だし普通は気づかないか。それにしても、俺は“ションちゃん”という名前やニックネームではない、誰かと勘違いしている。
「えっと、私の名はシンイチロウ=ヤマウチと言います。この間のメスリル伯爵家との婚約の件で__」
「帰れ、私はルイを貴族の娘にやる気はない。」
アベルは、婚約のこの字を聞いた途端に人の言葉を遮って、険しい顔になって言う。
(この人、なんでそんなに貴族に嫌悪感を持っているんだ?貴族に何かされたとかそういうヤツか?)
「貴方は何故そんなに貴族を嫌うのです?
この家だって、功績があって取り立てられた男爵家じゃありませんか。ルイ君はいずれ男爵となる方、メスリル伯爵家との婚約は無駄な事ではないと思いますがね。」
疑問だ、メスリル伯爵家と結ばれるのは決して悪い事ではない。伯爵家は借金が完済できて、ドレリアン男爵家も良縁に恵まれてwin-winな関係になれると思うが……。
それにしても気分が悪い、こんなにも気分が悪いのは落選後の不幸がどっと押し寄せてきた時以来だろうか……今日のところは早く帰りたいモノだ。
「分かっている、分かっているよ。あの伯爵家には借金完済という思惑しかないことは知っている。だけど、貴族と関わる限り……しがらみからは逃れられない。私は知っている、貴族の因縁の深さも自由の利かない身であることも……よーく知っている。」
唇を噛んで、昔を悔やむように彼は拳を自らの膝の辺りに降り下ろした。
「つまり、貴方は元貴族だったからその苦しみを知るがゆえに、ルイ君とセイラお嬢様の仲を引き裂こうとしていると……。
貴方の主張は分かったけれども、私は退く気はありません!私は、貴方が認めてくれるまではこの家の前に座り込んで、ルイ君とセイラお嬢様の婚約を力ずくでも認めさせようではないか!」
「貴方の事情など知らん……好きにしろ。」
アベルは寂しそうな顔を見せた後にそう冷ややかに呟いた。
こうして俺は、来る日も来る日もずっと朝から晩までドレリアン男爵家の屋敷の前で座り込んで、アベルが認めてくれる事を待った。
6月から、晴れ間がなく鬱陶しい長雨が降ろうとも座り込んで早1ヶ月と半月ほどが経とうとしていた。
(ここで諦めるわけにはいかない。
……1人目を救わないと、先に進むことすら出来ないんだ!)
もう自分が何のためにこうしているのか段々と分からなくなってきた。セイラの為なのか自分の為なのか、どっちなのか曖昧になって分からなくなってきた。
衣服は汗や雨がまとわりついて不快感がする、段々と思考だけでなく意識すら危うくなってきた。喉の奥に何か詰まったかのように息がしずらい、肺も上手く膨らんでいないような気がして大きく息を吐く。
「日本、日本に帰る……」
熱に浮かされ、雨に打たれながら、意識が深淵へと沈むのに抗いながら、
(最近、疲れているのかな……この世界に来てからやけに意識が飛びやすい。)
そんな事を考えていた。
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部屋の中で、本を読みながら物思いに耽るアベルにトールは言う。
「もうそろそろ、彼に免じてOKしてやってはどうです?」
「そうだねえ、考えておくよ。ただし、条件付きの婚約になるだろうけどね。
……お前が、男爵位をフェルナンドに譲るなんて言い出さなければ、こんなことで悩まされていなかったのに。」
「仕方ないでしょう?病気で長期療養が必要で男爵としての政務を何も行えなかったのだから。」
「その生死を彷徨うほどの重病の療養中に帝国中を放浪していたのはどこの誰かな?」
そう皮肉を言いながらアベルは思う。四半世紀前、この男はこんな人ではなかった。こんな世捨人の真似事をするような人間でもなければ、今は帰れない故国で商人になることを夢見て帝国へと留学したは良いが、なんでか外交官となり男爵にまでなった……それが何故世捨人に。その世捨人は、皮肉などもろともせずにすっとぼけた。
「ハハッ、世の中には似たような人間が3人は居るんです。」
アベルは杖を使いながら、玄関がよく見える2階の部屋に移動する。移動した先には、嫁のマリアと孫のルイの姿があった。
「ねえねえ、おじいちゃん……あのひと、きょうもいるよ?」
「お義父さん、もうよろしいのでは?このままでは、彼がいつ倒れてもおかしくありません……。どうか、寛大な処置を。」
皆、あの玄関の前で座り込んでいる彼の味方だ。皆はあの無念を知らないからそんなことが言えるのだろう……今でも思う、あんな悲劇を見るくらいなら自分が彼の身代わりに死ねば良かったのにどうして、どうして……!あの悲劇は、私が……いや、私達が貴族であったからこそ起こってしまった悲劇である。
「ルイ、お前は……あのセイラ嬢と仲良くなりたいのかい?」
「うん!おねえしゃまとおともだちになりゅの。」
孫には、まだ婚約云々は難しくて分からないようだが、もう一度聞く。
「もう一度聞く、お前はセイラ嬢をお嫁さんにしたいの?」
「およめしゃん……およめしゃんにすりゅの」
「そうか……」
きっと本人は意味が分かって言っているのではないのだろうけど、ルイは私とは違う……そう信じて、彼に賭けてみる事にした。
「ちょっと、オジさん……あれ!」
その時、血相を変えたトールが窓の方を指差して慌てている。何事かと思い、眺めてみるといつも座り込んでいた“彼”が倒れていた
「おい、早く彼を運び込んでベッドに寝かせろ!後……医者も呼べ!」
若者は無茶をする、彼は無鉄砲だと内心その忠誠心に呆れながらアベルは言った。