カフェでのエレノア
翌日…シンイチロウとヘンドリックは朝からあのイワンというフタマタ男から何か得ると意気揚々と出掛けていった。エレノアもついていこうとしたのだが、『女性には危険だ!』と言われて家でおとなしくしているように厳命された。
でも、エレノアはそう言われて大人しくしていられるような従順な人間では無かったので、街へ散歩をしに出掛けた。
「怒られるかな………いや、大丈夫!」
名目上は流行りのお菓子を食べに行くという事にして後の事は知らんぷりしておいた。
ただいま、首都ランディマークの貴族の間ではパンケーキ巡りがブームなのだ。流行はピークを過ぎて、やや乗り遅れている感が否めないが三兄弟共闘でおこづかい値上げ隊を組んでなんとか資金を捻出して、世間の人々に比べれば遅れてエレノアも噂の店に行く………。
噂のお店は、開放感のある昼間の日差しが差し込んで明るい店だった。貴族の流行なんて気まぐれですぐ変わってしまうので、数ヶ月もすればこの店も閑古鳥……なんて事は考えてはいけない。
「あ、パンケーキ1つ。」
エレノアは、話題のパンケーキを頼んだ後に頭を抱えてテーブルに突っ伏した。嫌な奴を見てしまった……なんでここにクライム侯爵令嬢のアング様が居る!
(最悪。ツイテナイ……シンイチロウじゃあるまいし、なんでこんな修羅場に…。絶対嫌味とか言われるだろうし、パンケーキが不味くなるわ!)
「あれ?エレノア、どうしたんや。今日はシンイチロウは一緒やないんか?」
「あ……クロハ。うん、そうなの。」
来る修羅場に備えてバレないようにと影をひたすら薄くしようと努力していると間が悪い。同じくパンケーキを食べに来ていたクロハが相席しても良いかと声をかけてきた、エレノアは断る理由も無かったしOKした。
「何をそんなに怯えて……ああ、あのブス女の事か。まったく、ブームはもう過ぎようというこんなときになんで来るんやろうか。ああいうのは、最先端なイケてる時に来るべきやろうに。
オリン、申し訳ないことをしてしまったなぁ……あんたにも気不味い思いさせてしもうて」
「いえ、それは大丈夫です。視界に入れなければなんとも。」
「………まあ、悪口に夢中で気づいてないみたいだしいいんじゃないの。」
そんな事を話している間に店員がパンケーキを運んできた。
パンケーキはふんわりとしていて美味しそうだった。はちみつの甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「………美味しい!」
口の中に優しい、懐かしい味が広がる。うん、話題になるだけの事はあるとエレノアは納得した。ただ、ブームだというだけで来るのではなくお金に余裕さえあれば、2週間に1回くらいのペースで来たいと思うほどに美味しかった。
「なんなんだろう……なんか食べて安心するお母さんの味みたいな感じがする」
「あー分かるわ、そうするとなんか一緒にクッション欲しくなるな。ふわっふわなパンケーキクッションとかつくったら売れそうな気がする。もたれて食べたいな」
「クッションにもたれつつ食べてたらベットベトになりそうだけどね。」
「あー、それもそうやな。お行儀も悪いしこれで勘弁しとくか。」
大人しくパンケーキを黙々と食べて、また談笑していたのだが、ふと違和感を感じる。肉食獣に睨まれているような気がして、背中に脂汗が滲み出てくる。
(……何、何なのよ。)
恐る恐る視線のする方向を向くと、クライム侯爵令嬢アング様がものすごい形相で私を睨んでいた。何、何なのよ!私に一体何の恨みがあるの!
「あらあ、エレノア様じゃないの。使用人も連れずにみすぼらしい格好で居たからゴミかと思ってしまいましたわ。」
目が合って、得意げな笑みを浮かべた(様に見える)アング様がこちらに向かってきて、開口1番にそう言った。
「はぁ、そうですか……それは、眼科に行くことをオススメします。」
「な………!私を馬鹿にしているの、これだから貧乏は。」
馬鹿にしているのはむしろそっちじゃないか、そう思って心の中でため息を吐いた。
「いえ、そんな事は……。私は、人間がゴミにしか見えないアング様の眼を心配してそう申したまでです。」
「そ、そう。貴女に心配されるまでもなくてよ!それはそうと、ブームが過ぎ去っているのにこんな所に居るなんて………可哀想ね、パンケーキ1つ食べるお金も無いなんて……」
「まあ、ウチの貧乏なんて昔からではありませんか。アング様こそ、こんなときに来るなんてそちらの方こそ大丈夫でしょうか?」
「ふん!私は人混みの中食べたくなかっただけよ!私、貴女のようなみすぼらしい格好はしていなくてよ、今日もこれから有名なヘルタン夫人の所へドレスを新調しに行きますの。そして_」
ハイハイ、スゴイデスネー。もう自慢は良いよ、パンケーキも食べてるからお腹一杯だし。
エレノアが曇りきった眼で彼女を見ていると、後ろに居た使用人が小声で声をかける。
「あの、お嬢様…そろそろ行かないと“ミーシャ”が……_なので…。」
「そうね。じゃあ、せいぜい満喫なさって。」
彼女は嫌味を言いたい放題言って、去っていった。
__貴女ごとき、私が本気を出せばすぐに潰せますわ。あまり調子に乗らないでくれる?
すれ違い様に忌々しくこう言われた。
彼女が居なくなってからクロハが頬をプクリと膨らまして、『あのお嬢様、ウチやオリンの事ガン無視やったな。にしてもなんでエレノアにあそこまで突っかかるんや?』とぶつくさ言っていた。
「はぁ……なんか疲れた。」
「あのブス女、なんなんやろか……。この間もソフィア様のお茶会に乗り込んでたし!」
そういえばシンイチロウが、身体が入れ替わって代わりにお茶会に参加してくれた時に彼女がなぜか居て睨み付けてきたと後に言っていた。
「2人とも、そんなおおっぴらに悪口を言ってはいけないだろう。」
「なんや、別にいいやんか。どうせ他の奴も悪口言うてるんやし。」
彼女らは噂や悪口を言うのに精を出していたが、私達のような周りからヒソヒソと同じような、下手したら彼女よりも酷い罵詈雑言で静かに影で罵倒されている事に気づいていない。
「はあ………彼女には何もかも負けてるわ。家柄も財力も…持ち物も……そして何より辛いのが若さも負けているわ。やっぱり歳って誤魔化せないわ」
「何、お婆さんみたいな事を言っているんや。若さはそりゃ向こうの方が何歳か若いんやから当たり前や!顔も性格も、エレノアの方が最高や!」
「ありがとう……」
よく分からない気持ちになりながら、エレノアはコーヒーを飲んだ。
クロハが思い出したように話をした。それは、タニア様とキャサリン様の事だった。
「そういや、あの2人がケンカしてるっていう話聞いたけど……不味いんやない?
あのイワンって男、この間も夜会に居ったけど…あれは中立気取りやけど向こうの方に落とされているかもしれんな。」
「まあ、でもなんでそんな風に……?」
「こっちを品定めするような眼で、体の良い偵察部隊にでもされた奴って感じがプンプンした。キャサリン様、彼女にもあの男とは離れてほしい…そうしないと言うなら向こうに行け、極端な事いうとそう言われかねないよ」
エレノアは返答に困った。
クロハは眼を細めてエレノアをちらりと見た後に言葉を続ける。
「それにしても気になるのは、あのブス女の言葉や。“ミーシャ”って言うたよな?ミーシャって確か億万長者が金を積んで、喉から手が出るほど欲しがっても会えない引く手数多と呼ばれる高級娼婦よ?
ウチの知り合いにな、彼女が働く娼館の女にかなり貢いで可哀想な眼に遭った奴がおってな、それでちらほら噂を聞いたんやけど、なんであの女がそんな場所の事を?………いや、考えすぎか。別の同じ名前の知り合いかな」
「さあ………」
そこで沈黙が生まれて黙々と視線を店内のあちらこちらに動かして、周りの人の話す噂を耳に入れては夜会や茶会でなくてもこういうところでも正確さは劣るが噂は入ってくるんだなとしみじみした。
「な、あれは……」
後ろで控えていたオリンが声をあげた。
見てみると、タニア様とあのイワンではない方の男性……ミロ=サスナ=レッドヒートの姿。
あの2人、もしかして……タニア様も相手を見つけるのが早いわね、あれから1日2日も経たないのにとエレノアは呆気に取られたが、彼女達2人の会話を聞くに『アイツとは友人だけど、まさかここまでとは…』というミロのセリフや『あんな男、もう知らない』というタニア様のセリフがあったのでどうやら傷心の令嬢と浮気した彼女の婚約者の代わりに謝る婚約者友人というだけの関係だろう。
「彼女らもはよう仲直りしてくれたらな……お陰でソフィア様の所に集まっても空気がピリピリと唐辛子みたいや、辛いのは嫌いやからな」
「そうね……早く仲直りできたらいいんだけど。」
あの2人を仲直りさせないと、私の身だって危ういんだから………エレノアはため息を吐いた。




