懐かしの少年
さて、そろそろおやつでも食べようかという時間になって、ヘンドリック様が戻ってきた。
「そっちはどうでした?」
『まあ、それなりに情報はゲットできたよ。当事者2人の様子はどうだったんだ?まぁ、その顔では芳しくなさそうだが……。そして、エレノア嬢は何故そんなにカリカリしているんだ?』
「これには色々と訳があるんだよ。」
ヘンドリックとの情報を組み合わせるとだいたいこのような感じだった。
・あのイワン=ニコライ=アイリス=ル=ノマモフ男爵子息は、どうやら性格に難あり。
・ノマモフ男爵家は中立的立場であるが、最近はクライム侯爵と親交があるようだ。
・本人はどうか知らないが男爵家としては、優勢な方に付こうかと思っている。
・そして、肝心のタニアとキャサリンは見事に拗れきっていて仲直りするには時間がかかりそうだ。
「まさか、恋愛に派閥まで絡んでくるなんてドラマでも見ているような気分になるな。……で、この国ってどんな派閥があるの?」
『お前、少し位は新聞を見ろ。そんなのじゃ馬鹿になっていずれは社説すら読めなくなるぞ。
まずは、ナショスト公爵の派閥……彼は名門出身の大臣だからな、貴族の中でも最大派閥だ。そして、それと拮抗する勢いなのが所謂お前があまり関わりたがらない“王の集い”メンバーが大勢居る所。後は……少数でどっち付かずな中立派閥が3つか4つほど、フェルナンドやメスリル伯爵達はこの中立派だな……。』
「こっちもこっちで面倒そうだな……で、この場合は中立派の男を利用して、あのナショスト派の2人を仲違いさせて、あのいけすかない悪役が優位に立とうとしているということか……。
フラフラするのも悪いが、可哀想な男だ。」
『いや、もしそうだとしても同情なんてするな。……まだこの派閥争いの延長線上の事か決まった訳じゃない、噂段階だから。次はそのイワンという男の行動と男爵家自体がどう繋がっているのかを確かめる必要があるな。本当に派閥が関係しているのか、後はイワンの素行調査だな。酷い男だとしたら証拠を押さえた上でキャサリン嬢に諦めさせる事は可能だ。……男と別れた所で2人の仲が戻るのかは別として、そういう事で良いか?』
「良いだろう。
疑問に思ったが、この国って一応議会制民主主義だよな?そんな貴族の派閥とかが政治に影響するのか?だって、彼らが議員になれる資格があるの貴族院の方だけだろ、庶民院も存在するし、与野党入ったらかなり分散されるし、力を発揮しにくいんじゃないか?それに、伯爵以下はくじ引きで候補者決まるし」
『全体としては党内に派閥があるが、貴族の派閥は党を飛び越えて存在している。例えば、普通に見れば野党第一党〇〇党の○○という派閥、実は野党にいるナショスト派の別働隊として構成されていたなととな、庶民院は与野党しっかり分離しているのだが貴族はそうもいかないみたいだな。もし、政権交代されても別働隊の方に主張を託せるからな。中々貴族の縁は切れないようだ。』
「面倒なシステム………イワンの方はそれで良いよ。知ってて損は無いだろうし。
なあ、お前の事だから今から尾行するとか言わないよな?」
『それはない、今は社交シーズンの真っ盛り…エレノア嬢も招待されていただろう?どこぞやの家に。この件も優先しないといけないが、先に組まれていた予定の方が重要だ。』
……意外と言っていることがマトモだったから良かった。
「じゃあ、俺は準備をするよ。」
『待て、準備は良いが今日はエレノア嬢との同行は止めてくれ。お前に来てもらいたい場所がある。』
「おい、まさかいきなり本丸を攻めるとか言わないよな?」
『まさか……』
エレノアはこの様子を見て、私ってそんなに影が薄いのかしらと悩んだ。もっと何かチャームポイントを作った方が良いのかしらと考えた。
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夜、エレノアを社交場へと送った後に俺はヘンドリックについていく。一体どこに連れていかれるのかとドキドキする。いや、だってね…ヘンドリックの服装がなんか何処で仕立てたのか分からないが明らかに高い生地を使っている高級なスーツだし、かすかに香水の匂いもする。ヘンドリックはいつものヘンドリックではない、カリスマ性を隠しきれてない大物感が出ていた。
「おい、お前……何処に俺を連れていく気だ!」
『逆に何故そこまでお前は怯えているんだ?』
「だって、明らかに普通じゃないだろ!お前、いつもそんな格好しなかったし…怪しい!俺に需要は無いぞ!」
動揺のあまり日本語が変になる。
ヘンドリックは『秘密だった方が良いと思ったからな』と抜かしてくる。しかし……本当に大物感あるな。いや、彼自身侯爵と言っていたしステータス見たときに元大臣とか仰々しい肩書きがあったからな、実際大物だったんだろう。
『お前の需要なんてどうでもいい。変に供給されても困る。……この格好、おかしいか?久々に着飾ったので、自信が無いが…しまりがないのか』
「いや、そんな事は……。むしろ似合っててちょっと腹が立つ。
いや、普段しない格好をされると不安になるというか……なあ、そろそろ何処に行くのか教えてくれよ。」
『お前、感覚が麻痺してきているんじゃないのか?変な所で驚くな……』
そう言われて返答に困った。
思い当たる節が無いわけではない。感情が不安定な面があると思う。あの呪いの7日間、泣いている暇など無かったし普通に暮らしていたけれど本来はあの時に今のように焦る反応を見せるのが普通で、今は警戒こそしなければならないがここまで驚く必要もないのではと自分でも思った。管理者や眷属などに会い、非現実的現象をこの身をもって体験して、驚きや恐怖などの感情が薄れているのは否定出来ないが、どうもそれだけでもないと思う。
この世界に留まり続ける事で瘴気によって正気を奪われていく。小さな事でアッと驚くのは、シンイチロウが感情を失わないように抵抗している足掻きの証だと少なくとも彼自身は思った。人の心を壊してしまったあの時に背負っていくと決めたあの気持ちも、正当防衛とはいえ人を殺めてしまったあの時の気持ちも今では薄れている。そのうち、何をしても何も感じないようになるのでは……こめかみを押さえて、そこまで考えて考えるのは止めた。
『怯えさせるような事を言って済まなかったな。お前がこれから会うのは、あの“女神の愛妾”の少年だ。彼がどうなったのかはお前も気になっていただろう?』
「あ、ああ、彼か。そうだな、久しぶりだな。元気にしていたのか、彼。」
良かった、俺にはまだ喜ぶ感情がちゃんと残っている。
あの色彩豊かな彼は何処に居るのか……ヘンドリックの後をついていくと、立派な豪邸に着いた。彼はこんな豪邸に居るのか……表に『ナクガア大使館』という立派な表札があったのだがシンイチロウはそれに気づかなかった。
赤絨毯の敷かれた廊下を歩き、小さな部屋に着いた。そこにあの少年は居た。
「お久しぶりです、救世主様!」
「おいおい、俺は救世主なんかじゃないよ。」
銀髪をハラリと落として、礼儀正しくお辞儀をする。極彩色の瞳は涙で潤んでいた。
『彼はな、トールの伝でこの大使館で住み込みの使用人として働いているんだ』
「そうなのか……」
幸せそうにしていて良かった。自然に顔がほころぶ。ヘンドリックが咳ばらいをして、本題に入るぞと合図をした。
『久しぶりの再会で話したいと思う事もあるかと思うが、本題に入っても良いか?彼には、未来予知の力があっただろう……?だから、あの2人について予知をしてもらったんだ。』
「へぇ、そんなことを……。」
「はい!僕がお役に立てると聞いて、頑張りました。それで……そのタニア様とキャサリン様でしたっけ?タニア様には相手がすぐに見つかるでしょう、相手の方も情熱に燃えた素敵な男性のようです。でもキャサリン様……このままでは、不幸な眼に遭うでしょう。……どうやら彼、イワンにはどうも彼女以外にも相手が居るようで……そのイワンの相手がキーとなるようです。赤毛の茶色い瞳の派手な女の人……名前は確か、ミーシャ。」
『女性がキーか。分かった、調べてみよう。
さて、君は良い方向に変わったね。良かった、良かった。』
ヘンドリックは情報が欲しかっただけなのか室内を美術品でも見るかのように見て回っている。
「救世主様……危険な事はしないでください。」
「しないよ。君の方は、ちゃんと慣れてる?いきなり環境が変わって戸惑ったんじゃないの?」
「それなら大丈夫です……この目立つ髪ももう少ししたら染めるので。そうしたら外にだって自由に出られます。
僕は、近いうちにナクガア王国の方に行く事になっています。あのトールという人がここの大使に相談して、使用人として慣れたら新天地でやり直す事を薦めてくれたんです。救世主様……あまり急がないでください。焦りは禁物です。どうか急がないで、身体をご自愛ください」
少年は嬉しそうに言った。シンイチロウはそれをしがらみから逃れられるのだからそうだろうと思った。
「君も体には気をつけてね。」
「救世主様の方こそ。」
やっと少年がしがらみから解放されると思うとシンイチロウは嬉しかった。ゲーム本来なら彼は10年後生きていたかすら分からないから、こうして道は変わっていくのかと思った。
少年に簡単に挨拶をして、別れた。ヘンドリックは外で待っていた。後姿だけでも迫力があった、普段はこれを隠していたのだから大きい人は凄いのだとシンイチロウは感心した。
『別れは済んだか?ならば、帰るぞ。
あまりここに長居などしたくない、他国の大使館だからな。少年もこれで幸せになれるだろう。彼についてお前も気になっていただろうが、これで1つ心残りがなくなっただろ。』
「そうだな。」
明日からは彼の情報を手がかりにイワンの化けの皮を剥がしにかかるのだろう、そんな作業に入る前に少年に会えて良かったとシンイチロウは少しだけ安堵した。
『明日からは、また忙しくなりそうだな』
「そうだな……」
シンイチロウは本や噂でしか聞いた事のない北の雪国で、少年が幸せに何事もなく暮らしていけるようにと静かに祈った。




