エピローグ:イヤーな時間
__ああ、かつての罪は消えるのだろうか。
__ああ、罪は決して許されないのだろうか。
管理者ミラーナは思考の波に沈みこんで自らに問いかける。オティアスに言われたあの事…が妙に心に引っ掛かっていた。下界を見つめる、そこには眷属ヘンドリックと山内信一郎の姿がある。
「『君は、彼を使って贖罪しようとしているのではないか?』だったっけ?……そんなわけ、ない」
以前オティアスに言われた言葉を否定しようとするが、言葉は頼りない。
湖の座標を移動させる、マルチウス帝国からレミゼ王国に。
レミゼ王国、大陸の東端に位置する国、現在は立憲君主制へと移行している最中である。そして、下界にいるアベル=ライオンハートとその家族達やヘンドリックの故郷である。
「すっかり原風景を失ってしまったね、この国も…昔より豊かになったのかもしれないけれども………そうさせてしまったのは、僕…なのかもね。」
今のレミゼ王国についてもう少し詳しく説明しておくと、ちょうど6年前のレミゼ暦624年に革命が起きて彼らが居た当時とは王朝が変わった。モデルとした出来事はフランス革命であるが、その後の政治形態はプロイセン辺りが近い。アベルやヘンドリックが、かの国に良い思い出があるのかと聞かれたとしてもどう答えるだろう、アベルの場合は複雑な感情だろうと思う。ヘンドリックは、僕がけしかけたとはいえ息子を死に追いやったかの国を、見えない犠牲の上で成り立った革命の末に出来た国を“レミゼ王国”と呼ぼうと思うのだろうか?
そこまで考えていると、オティアスがニヤニヤした顔でやって来た。確か、アマテラスの世界の京都という有名な観光地に観光をしに行ったと聞いていたが……もう、そんなに時間が経っていたのかとハッとした。
「君、また何か企んでいる?
はい、これは京都で買ったお土産、喜んでくれるといいんだけど。」
「企んでいるだなんて失礼だなぁ……」
オティアスに渡された袋をガサガサとあさってみると、中に入っていたのは変なにやけた顔をした人形…どこで売っていたんだよ、こんなの。そして、こんなのを土産にする方もする方だ、ただの嫌がらせでしかない。
ミラーナの気持ちに同調したように、柔らかな緑色の芝生がザワザワと動き出した。
「そんなに怒るなよ、で…何を考えていたの。ヘンドリックの事?助手がいないと流石に大変だよね、僕だっていつでも来る事なんて出来ないし、眷属をヘルプで送ろうか?」
「いや、別に。彼が居なくても1人でも大丈夫だ。後、半年も経たないうちに戻ってこられるんだから。」
「それまでにあのアマテラスが乱入してせっかく復興しているこの天上世界を壊したらどうするつもり?」
「あの行為で創造主様も流石に彼女をマークしたようだ。彼が全ての指令を解き明かすまでにどれ程かかるのか、それは彼次第だけど、少なくともヘンドリックが戻ってこられるまでに彼女が攻めてくる事はないだろう。」
オティアスはそれで良いのかと肩をすくめて、睨み付けるようにこちらを見ていたがある程度納得してため息を吐いてからまた新たな話題を話始めた。
「じゃあ、次に話をしよう。どちらかと言えばこちらが本題だったし。ミラーナ君、君は彼を利用しているのかい?かつての贖罪の為に……。
君に心当たりがないとは言わせないよ、かつてのヘンドリックや彼の息子達を苦しめた陰謀に利用された種、それはこの国に根付こうとしている、それを彼に背負わせる気?」
「………そんなつもり、無いよ。行き当たりばったりで彼が“迷花草”に関わるかもしれないけど、そこまで期待していない。」
「ふうん、ああ、そう。」
しばしの沈黙の後にオティアスは馬鹿にしたようにそう言った。
見透かされた、そう思った。言葉に出したり、期待はしていないけれど、解決はしてほしい……元はと言えば、僕がばら蒔いた種なのかもしれないし、それを彼に任せるのは筋違いも甚だしい事は分かっている。
背中に寒いものを感じた、唇を震わせて涙を滲ませる。
「とにかく、そういう事だから……!今の僕には、作為的に彼を関わらせる気はない。」
「………君の事だから、四半世紀前の二の舞にならないようにせいぜい頑張れ」
オティアスは冷たい眼でこちらを見てから居なくなった。
“四半世紀前の二の舞”その言葉が深く僕の心を抉った。座標を再びマルチウス帝国に戻してから下の世界を見る。そこには確かに、四半世紀前の亡霊がまだ居た……当時の事を深く濃く知るアベルとその彼の後ろに憑いている盟友であった“ヘンリー=ベアドブーク”の姿が、そして眷属ヘンドリック=オンリバーンの姿がそこにはあった。
「でも、彼らだけじゃないんだよね……。
山内信一郎は守らなきゃいけない、でも彼らが死のうが僕は干渉できないんだよね、人心を煽ったり傷つける事は出来ても、守ることは出来ないからこそ守らなければならない彼にはうってつけなのかも、きっとそうだ。」
この世界では多くの人間が1日に死ぬ、それは寿命の場合もあれば他殺に自殺、理由は様々だったが……今更、1人や2人死んだところでと感覚が鈍くなっているが、派閥争いや権力争いという神々が提供しているかけがえのない娯楽が失われてしまうから、彼を介入させるとしてもそことの匙加減は必要だとミラーナは思った。
ああ、それにしても…オティアスと妙な時間を過ごしてしまったからだろうか、この天上世界の温度が1、2度上がってしまっている。
下界で、皆が安心しきって幸せに暮らしていると思い込んでいる人々を見て、ミラーナは、やっぱりもう少し先になるだろうけど彼というイレギュラーを利用しようとそう思って口角を上げた。
______
「……うお!なんだ、今の寒気……ああ、4月にもやっと入ったというのにイヤーな寒気。」
背中に立った鳥肌にびくりとウサギのように飛び跳ねながらシンイチロウはホウキを持って掃除を続ける。ああ、体躯が大きいと掃除すら一苦労だ。こういう時は小柄な奴が羨ましいとシンイチロウはぼやいた。
「シンイチロウ、そろそろ休みにしよう。ヘンドリック様も話があると言っていたし、キリの良い所で終わらせて来なさい。」
エレノアが言う。
話、ここ最近のヘンドリックの俺の扱いを考えたらイヤーな予感しかしないんだが。しかし、俺は何かやらかした?記憶にない、ワイろうを受け取ったりなんて出来る身分じゃないし、今の俺に出来るのはせいぜい下着泥棒ぐらい……あ、そういえばヘンリーの言葉を伝えておけと言われたのをすっかり忘れていた……でもそれで怒られるのか?気の利かないと普段はどっかりふんぞり返って、どうでもいい所だけ神経質になる民自党の先生方じゃあるまいし。
とりあえず、掃いたゴミをゴミ箱に捨ててから部屋へと階段を昇っていく。そして、部屋にある古いソファに座ってヘンドリックの話を待った。
『さて、お前……7日間の苦難は終わった訳なんだがどう思う?』
「はぁ……?なんだ、そんなことか。別に、大変だったけど終わったら、あっ終わったんだって感じだな。」
すっかりヘンリーの事を聞かれると思っていた俺は気の抜けた声で答えた。ヘンリー……何処かで聞いたことがある名前だと思ったが、分からなかった。
7日間が終わった、あれから3日ほどでそんなに時間は経ってない筈なのにえらく昔の事に感じる。ヘンドリックの姿がチカチカと一瞬ぶれた気がしたが、エレノアは何も感じていないようなので黙っていた。
『私としては、お前のあの間抜けさには驚かされたものだがな。あんないかにもな女に平行世界のお前とはいえ騙されていたのが本当に滑稽だったな、あれで政務官を目指そうとするお前にも驚きだ。』
「う……それは言わないでくれ、俺だって恥ずかしいと思ってるんだから。
それはそうと、この間幽体離脱をしていた時にヘンリーという幽霊に会って、よろしくと伝えておいてくれと言われていたんだ、彼は一体誰なんだ?」
『ヘンリー、懐かしいな……やはり、アベルの側に居た彼はヘンリーだったのか。彼は、かつての息子の盟友であり、エドワードの父親でもある。
ふう、あの親子は仲が悪かったとはいえ息子よりアベルを選ぶだなんて……ここまでとは思わなかったな。』
「ヘンリー様は、エドワード様とは違って良い方なの?」
エレノアが聞く。エレノアはエドワードの事を完璧に暇な人だと思っている。
『ヘンリーは破天荒で、トリッキーで正直エドワードよりもヤバイ奴だった。
まあ、ヘンリー達の事など今はどうでもいい。どうせ、お前達2人には見えない存在なんだから。
私はな、シンイチロウがどのような選挙戦をやったのか、現実でもあの世界でもどうやって歩んでいったのかが気になった、それについては話してくれないか?』
「………今は止めておく。穴があったら入りたいくらい恥ずかしい黒歴史だから。
それにしても、そんなことを聞くために呼んだのか?掃除もまだ終わってないし買い物にも行きたいから無いならもう行くぞ。」
『ああ、待て待て!話す、話すから。
お前が、いつまでもここに居られないように、俺だって、いつまでここに留まっていられるかは分からんのだ。
俺はもう人成らざる身、今はアマテラスの式神の魔法のせいで一時的に人だった頃の姿を取り戻しているのみ。いつかは魔法が解けて、天上へと帰らなければならない……それがいつになるのか、俺には見当がつかないがどうもその時は徐々に近づいているような気がする、俺が目の前から消えても心しておいてほしいんだ。』
「ヘンドリック……」
「ヘンドリック様………」
ヘンドリックは申し訳なさそうに話す。
こちらとあちらで流れている時間は異なる、あちらの者が魔法を使えば、適応されるのはあちらの時の概念。あちらの1日はこちらでは半年ほどである、この魔法が持つのはだいたい1日半から2日ほど、もうあちらでの概念で1日を過ぎているので彼に残された時間は半日から多くても1日、こちらの概念で言えば、3ヶ月から半年ほどだった。
『悲観するな、元からそういう運命だった……。後少しの間、苦労をかけるな。』
「ヘンドリック……お前は。」
ヘンドリックの姿がいつもより少し小さく見えた。
__シンイチロウの異世界生活も折り返し地点につき、そしてヘンドリックの地上世界での生活も終わりへと近づいていっていた。大陸暦1832年の4月の出来事であった。




