ある朝森の中で
_人殺し、それは犯罪……たとえ、正当防衛だったとしても。普通の一般人ならまだしも、落選してしまったとはいえ、議員だった俺が人を殺めてしまった……それは許されるのだろうか、議員として。
『…き、ろ…お…ろ……起きろ、起きろ!』
__人として。
もっとヘンドリックの言葉を重くとらえていれば、もっと剣の重みを理解していれば……後悔してもしきれない、相手が向かってきてそれを防ぐ為だったとしても、それが起こった事実を変えることは出来ない。
『起きろ、起きろ……寝坊助、いい加減起きろ!』
「うひゃあ!………え、ヘンドリック?」
夢を見ていたようだ。
…眼を開けると、目の前にはストラップほどの大きさのヘンドリックの姿。
『おい、大丈夫か……?何があったのか覚えているか?』
「……たしか城から落ちたんだよな?なんでこんな森にいるんだ?……寒っ!」
辺りには、あの城塞のような屋敷や表の見晴らしのよい通りではなく、見覚えのない森が広がっていた。今は2月、そんな森に居たら身体も冷えているだろう、そしてきっと自分は、死人のように青白い酷い顔をしていると思う。
『……ちゃんと覚えていたか、私の念力で衝撃を緩和させてなんとかこの森に運んできた。使用制限がかかっているとはいえちゃんと使えてよかった。』
「よかった、あんな事を仕出かしてよかったのか……?」
ヘンドリックはシンイチロウの様子を見て自分達との認識の違いを奇異に思った。
ヘンドリックは眷属だから、人の命を軽々しく見ているという訳ではない。眷属になってまだ日が浅く、新入りである上に元は人間である。だから、認識的にはまだここの人間に近いと思っている。殺せなければ、殺される。自らがシンイチロウの立場ならば、敵意を向けてくる者には殺す事を厭わなかっただろう。
『……シンイチロウ、お前の国には“郷に入って郷に従え”という言葉があるらしいな。ここは、それに従うべきだ。そう考えるなら、お前のした事は“人殺し”ではなく“正当防衛”……殺した男に家族がいるなら恨まれるやもしれんが、この国の法律がお前を裁くことはない。
……それに、お前が日本に戻れたとしてもそれを知る者は誰もいないんだ。居たとしても、立証できる訳がない。ただし、今のその気持ちを忘れるな。分かったな。』
「……ヘンドリック。」
シンイチロウは不安げに名前を呼んで固まっていた。だが、そのうち今までの慣れない心労が襲ったのだろうか、気持ち悪いと言って朝ごはん前でほぼ空っぽの胃から物を吐き荒した。
《……この調子でこの先大丈夫なのか。》
この先には、もっと悲惨な道が待っているだろう。たった1人でこれでは、帰るよりも前に、心が壊れてあの哀れなる屋敷の奥さまと同じようになる方が先かもしれない。
『シンイチロウ、大分落ち着いたか……ならばとっとと立て。屋敷に戻るぞ、ここからなら歩いて一時間もない筈だ。』
「ヘンドリック、それは出来ない……。俺は、帰るなんて出来ないよ……そりゃこの世界で生きていたら、仕方ない事と割り切れるのかもしれないけど、俺はそうは出来ない……呆れられるかもしれないけど、せめて心の整理が出来てからにしたい。そうじゃないと、エレノアの顔をまともに見られないよ。」
呼吸を整えて落ち着いたように見えたシンイチロウに声をかけたのだが彼から返ってきたのは『屋敷に戻りたくない』という言葉だった。強張った言葉にヘンドリックも納得した。
『そうか……それもそうだな。』
彼は、人殺しが罪と教えられてずっとその世界で生きてきた人間だ。むしろ、割り切れていないと言ったわりに受け入れられている彼もまたエレノア嬢ほどではないが適応能力が有る方なのかもしれない。………あるいは、異世界転移者に起こる弊害_異世界の者にだけ効果を成す瘴気が彼を既に蝕んでいる可能性も捨てきれない。そうなれば、アマテラスの思う壺だ……決して彼を快楽殺人者にだけはしないように、そうヘンドリックは誓った。
『ならば、町の方に移動しようか。』
「ああ、そうだな……」
足を両手でさすってやっと歩けるくらいにはなった、そうやってノロノロと冬で寒い森から移動して町の方に向かった。
その刹那、ヘンドリックは森の雪の積もった木陰からこちらを覗き見る気配を確かに感じた。正確には、幽霊のような痕跡のない残り香に近い何かだったが。
《…………!これは、このオーラは……“女神の愛妾”?いや、待て……かの一族が今度はこの地に恨みを向けている……?いや、違うな…彼らが帝国に恨みを向ける理由はない筈。ということは、“大帝国時代の高貴な血筋の生き残り(という名のミラーナ様の負の遺産)”なのか……?一体どういう事、だ……?》
ヘンドリックは待てとシンイチロウに進むのを制止しようとしたが、考えているうちに気配を見失ってそう言う機会を失ってしまった。
__因縁がこんな所で巡って来た……?
ただでさえ頼りないシンイチロウに災難がかからないようにと祈る事しか出来なかった。
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シンイチロウ達が屋敷に到着する少し前、昨日の夜の出来事。恐れ多くも伯爵家の馬車に石を投げつけた男達が意気揚々と教会隣に存在する慈善活動団体“光輝く奇跡”の建物の中に入っていく。
(また、またか………)
そう思った。
何故、そうするのだろう……領主に逆らっても良いことなどないのに。この間から活発に動き回る彼らを放っておくほど領主も馬鹿ではない、今頃は領主が長年放っていたこの地に戻ってきたのだ。領主がとうとう本気で覚悟を決めて彼らの処断をする、必ず近い将来にそうすると分かっている。
出る杭は打たれる、やり過ぎると必ずやり過ぎた分ひどい目に遭う、過去の歴史を記した書物達にはそう書いてあるのに、この人々はどうしてそれに歯向かう事をするのだろう。
「__様、体調はいかがでしょうか。」
その男は“シキョウ”という地位にあり、名前は知らないが偉いらしい。後ろには女がいる。
その男が畏まったように言ってきた、だけど内心は自分を敬っていない事を知っている。周囲の人間は自分を様付けで呼ぶが、それは決して敬ってそう呼ばれている訳ではない事も知っている。
「体調は、いい。だから、大丈夫。」
「そうですか……では、何かあれば“彼女”に言ってください。彼女は新たに“癒す者の長”に任命されましたテラス=ミカミ=アマオウと言います。」
「__様、司教様より紹介いただきましたテラスと言います。以後お見知りおきを。」
適当に返事をした後に、テラスに適当な言葉を交わして出ていくようにと言った。
教団には、序列がある。それは後ほど誰かが言ってくれるだろうけれども、その序列の中で自分は最上位であるが会話など皆無に等しく、どこで手に入れたのか分からないが、高価な物を与えてくれる__だが、与えるだけで何かを心からそうだと思って貰えた物など物心ついた時から無かった。外に出る自由も、この施設の中にある書物以外に読む自由も叶わない。__だが、先を見る力だけはあった。
その血筋だから、その力を得る事が出来た。
その力があるから、自由を得られない。
自由を得られないけれども、外の様子を見る事は出来る。今ではなく、先の様子を……。
___つまり私には、未來を読む力があった。
「……また、まただ。」
領主に逆らう彼らには罰が下る。暁の矢が降り注ぐのだろう。
また視界がぼやけて、足元がユラユラと崩れていく__もう少しで夢の世界に行ける!
これが未來予知の予兆だった。
『助けて、助けて……』
夢の中で、自分はそう言って森に居た。
外に出た事もないので、どこの森なのかも分からないが、それほど教団の建物から離れていない所にあるだろう。
『あれは、あれは……助けてくれる人?救世主なの?』
森の木陰、何処か明るい所に出ようとしている男。彼、名前も知らない彼こそが自分を救ってくれる__そうお告げを受けた。
また、未来を見た……救世主が現れて自分を救ってくれるという未来を。
__救世主と呼んだ男、それがシンイチロウだった。そして、ヘンドリックが感じた視線の正体……それはこの存在だった。




