泥沼に落ちている気しかしない
「何の騒ぎだ?」
「そういえば、さっきから馬車が進んでいないわ……どうしたのかしら」
先程から窓から見える景色が最初から1つも変わっていないのだ。そして、雪道で馬車がきしむ音も全くしていない。
『……マナセイン伯爵、彼はかなり領民から嫌われているようだ。』
膝の上でおとなしくしているヘンドリックが言った。ある程度予期していたような言い方だったが、不愉快なものを見たとでもいう感情が籠っていた。
「どれどれ……あー、なるほど。」
外に広がる光景、窓から見えたのは人々が激高して石を投げる姿。その対象は客人である私達も変わらないようで、私達の方にも石は投げられる。
「出てけ!我らと我らの信仰を返せ!」
「アイツは領主の長女マーズだ、あの魔女め!」
いやいや、ここにいるのは“マーズ”ではなくメスリル伯爵令嬢のエレノアなのだが………?どうやら、私達は“領主の長女マーズ”と“その使用人”という風に見られているようだ。
『フムフム、これはマズイな。シンイチロウ、あの阿呆共に鑑定を使ってみろ……初級でも見られる筈だから。』
「え?ああ、鑑定……」
《エー=リョウ=ミン
level:1(MAX)
種族:人間
年齢:24
職業:マナセイン伯爵領領民、農家。
状態:軽度の疲労、重度の洗脳
体力:91/117
魔力:12/12
攻撃:53
防御:47
素早さ:62
運:50
スキル:なし
装備:普通の服、そこら辺の石コロ
____
ビー=リヨウ=ミン
level:1(MAX)
種族:人間
年齢:16
職業:無職
状態:重度の洗脳
体力:98/98
魔力:21/21
攻撃:57
防御:59
素早さ:49
運:50
スキル:なし
備考:エー=リョウ=ミンの弟。》
うん、名前の手抜き感スゴい……そして、何この漫画の1話冒頭で主人公の踏み台にされそうな残念感、いや私は主人公みたいな万能な奴じゃないから彼らを目の前にそんな舐めた事言えないんだけれどね。
いや、そこも気になるんだけど1番見なきゃいけないのは………
「重度の洗脳……?もしかして洗脳ってあのマインドコントロールって奴だよな?」
『もしかしなくてもそうだ。初級だとあそこにいる奴ら全員を見る事は出来んようだが、私の見る限りあそこにいる全員が洗脳されている。
エレノア嬢、最悪自らが死体になる事も覚悟しておいた方が良いぞ……。』
「う、うん……」
念を押すように言うヘンドリックの言葉にエレノアは気圧されて頷いた。
『本当に嫌なものを見た………この旅が不名誉なものにならなければ良いが、な。』
「……えらく不機嫌だが、一体どうしたんだ。」
『いや、なんでもない。ちょっと、ちょっとだけ昔を思い出していただけだ。』
「変なの、シンイチロウ……もう少しだから頑張ろう。」
ヘンドリックはそれ以降何も話さなくなった。そして、ようやく馬車は進み始めた。私達は、人々の憎悪を一身に受けながら進んでいった。
_________
領主の館に着いた。館は北欧を連想させるような真っ白で木と煉瓦の三階建ての建物だった。
「どうや、ウチの館は!カッコいいやろ!」
一体モデルは何処の国なのやら中世ヨーロッパという一括りに出来ない、一等地に建つ歴史の深さを感じた。
「確かに、スゴいわ!良いなあ、私もこんな頑丈そうな所に住んでみたかったわ」
「これで“頑丈そうな”はないやろ、カッコいいけどよく見たら所々脆くなってきているんや。それで、外もあの調子や……やから、この屋敷に留まってくれんかいな。出来れば、買い物とかも行きたいんやけど警備面でちょっと不安やからな……」
「そうね……まあ、この屋敷も広いから大丈夫よ!そういえば、ここにはいつまで滞在するの?今更だけど、そういう情報を一切聞かずに来ちゃったから………」
「それは分からん、とにかくここから出るのは危険やから気ぃつけといてよ。」
2年ほど前に台風で脆くはかなく木端微塵となってしまったメスリル伯爵領の屋敷しか知らないエレノアには、クロハがボロいというこの屋敷も立派に見えるのだろう。それをわずかながらに知っているシンイチロウは苦笑しながら、彼女達を見た。
(しかし、ボロいとなると大丈夫か?)
あの洗脳状態にある領民達が攻めてきた時にここは耐えられるのだろうか、そんな不安が出てきた。館からは髪の毛のようにまっすぐとした外の通りが見えてくる見晴らしがよい造りになっているので、誰か歩いていても簡単に見える……それは良かったと少し思った。
「おい、シンイチロウ……その人形はどうしたんだ?」
「ああ、後藤……じゃなくてオリン、これは私の持ち物だ。」
未だに彼を見ると秘書の後藤の名前が出てくる、それが自分が中途半端で未熟者であると言われているようで心の中に寒さを感じて、少し気分が下がった。
「そうなのか?変な趣味が出来たな、人形遊びなんて5歳児までだぞ。」
「ああ、そうかもな。」
そこで話は途切れてしまう。
人形を眷属ヘンドリックと言う事も出来ないシンイチロウと人形遊びにはまってしまったと思い込んでいるオリンとの間に話の種がなくなるのは当たり前な事だろう。
「ああ、それはそうとお前も気をつけろよ。聞いたとは思うが、ルミナリア正教の連中にはな。俺も噂には聞いていたが、ここまで酷いとは思わなかった……充分に気をつけろよ。」
「うん、それは分かっている。」
オリンの必死の忠告に、シンイチロウはまた何かを思い出しそうになっていたがやはり何も思い出せない。
「じゃあな。」
「ああ、また夜にな。」
そうして、オリンと別れた。
結局この時には、何も思い出せないままだった。
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館の三階、領主の私室にある男が寝ていた。
本来なら、領主の住まう地であったがこの地を治めるべきマナセイン伯爵クロードはこの地を忌み嫌っていたのでこの部屋は彼の物ではなく、彼の代理として実質的に治めている従兄弟のアルト=グラティエ=ル=マナセインの物となっていた。
「アルト……済まないねぇ、こんなになるまで放っておいて。」
「は…クロード、君の気持ちも分からんでもないから…何も言わない。」
背中が丸まり、異様なほどの猫背。小柄で頼りない体つきを痛々しく見ながら、クロードは言う。
「いいや、今更言っても何にもならないが、ここまでにしてしまったのはどう考えてもね私のせいだろうね。」
「ゴホ…ゴホ…考えるだけ無駄だ。今回呼んだのは、妙な動きがあるからだ。“光輝く奇跡”という教団を知っているか?」
「うん?確か、街の清掃活動を無償でしていた帝国古来のウェストカル教の信者を中心に構成されていた小規模のボランティア集団だという風に認識していたが?」
マルチウス帝国全土では、ウェストカル教が信仰されている。一神教で、唯一神であり太陽神のカルムという神を信仰する宗教__多少地域によっては、以前からの土着神を天使や聖霊として崇めるなどの違いはあるが、カルムを信仰するという点では皆同じだ。__その信者で構成されていた“光輝く奇跡”というボランティア集団は何の危険もない善良な者達の集団という風に記憶していたが……?
「多くの者にはその認識で間違いないだろう。だが、今回は流石に私で対応しきれんから連絡した……”光輝く奇跡“、その中に野心のある者がいる可能性がある。」
「な、なんだと!」
アルトの言う事に大袈裟なほどに驚いてみせたが、実際驚いているかと言われれば答えは否である。__アルトが対応しきれんくらいに今まで数百年ほど小規模な暴動を繰り返してきた集団が石をこちらに投げるほどにデカイ態度を取る事が出来るようになった、つまりは何らかの後ろ楯を得たと見るのが正しいだろう。
「ふう、アルト…面倒な事になったな。
“光輝く奇跡”を管理しているのは、教会だぞ……もし奴らが騒ぎを起こしても教会に逃げ込まれたら何も出来ん……教会は不可侵地区だからな。」
「いや、こうも考えられる。教会自体がグルだという可能性も。」
「なるほど……管理している組織に、内通者を送り込み、善良な者達を暴徒化させる、か……もしこれが当たっていたら恐ろしいな。
ふう、もっと情報を集めないとな。しかし、事態を早く終わらせないと……今は社交シーズン、あまり長居をしていれば何か問題が起きたのではないかと噂が広まってしまう。」
「伯爵、伯爵である君に面倒かけて悪かったね」
夕食前に、病を患った領主代行と頭を抱える領主の姿があった。
__彼らは、管理者の眷属であり地上に理不尽な姿で落とされたヘンドリックがこの様子を覗き見ている事に気づかなかった。
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このマナセイン伯爵の館には、素朴な伝統と格式があった。使用人達からは使い勝手が良くないと言われ、この地を治め住まう一族には地味すぎると一部でささやかれているらしいが。
『おいシンイチロウ、“光輝く奇跡”という単語に心当たりはないか?』
「なんだよ、いきなり。……“光輝く奇跡”?確か、あれだろ、あのゲーム最初の見せ場だったか。ヒロインちゃんに無様にも壊滅させられた宗教組織の名前だな?それがどうしたんだ?」
『いや、知ってるなら別にいい。』
「嫌な奴だな、人に聞いておいてその反応はないだろ。」
そう言いながら、シンイチロウは思案する。
ゲーム『瞳を閉じて、恋の学園』はこのマルチウス帝国に渦巻く陰謀とヒロインちゃんの恋の物語だ。登場人物は今まで散々なほどに述べたのでここでは割愛しておくが、男爵令嬢だという事が分かったヒロインちゃんは中2の4月に学園に入学してそこで(エレノア並みの間の悪さを発揮して)陰謀にぶち当たる。__“光輝く奇跡”、入学して間もない5月にある北の地に遠足に行ったヒロインちゃんと攻略対象の好感度アップの為に用意された踏み台の1つだった。
(確か、欲深い司教様が善良な領民を騙していたんだっけな……)
《知ってるなら察してほしいのだが。しかし、嫌な事に巻き込まれたな……まるで呪いだ、オティアス様が悪ふざけをしているのか………?》
今、天上世界は異界の管理者アマテラスの襲撃で壊滅状態に陥っている。焼け野原となり、管理者ミラーナも満身創痍、別の管理者オティアスが助けてこの世界を維持できているような地上の人間達が知りようもない所で危機的状態に陥っているのだ。
ミラーナ様の眼を盗んで、かのイタズラ好きな御方が細工をしていてもおかしくはない。
『シンイチロウ、何のためにこんな話をしたのか分かるか?』
「おいおい、この流れからして……冗談は止めてくれ。指令もなく羽を伸ばせるんだ、冗談は抜きにしてくれ。」
『フム?冗談は抜きにしているぞ、そのお前が知っている“イベント”とやらに出てくる“光輝く奇跡”はこの地に根づきつつあるようだ。』
「………マジで。」
『マジで、マジで。千里眼で盗み聞いたから十中八九間違いないと思うが。ドンマイ。』
「ドンマイじゃねぇ!!
何、何なんだ、俺にどれだけの恨みがあるんだよ!なんか動けば動くほど泥沼に落ちている気しかしないのは気のせい!?」
『気のせい、ではないだろうな……』
深々とため息をついたヘンドリックを見て、冗談ではないことを察したシンイチロウは困り果てたのだった………。




