様々なものの積りし旅立ち
何故こんな事になっている、山内信一郎は息を切らせながらそう思った。目の前に広がる到底信じられない光景に彼の心は混乱していた。
『やっと会えたな、山内信一郎。
そなたと会える事を楽しみにしていた。』
「お前、が……アマ、テラ…ス?」
途切れ途切れになりながら、掠れた声で呆然と呟く彼には、抱き締められて苦しくなりながら彼に向かって叫ぶヘンドリックの声も、その周りで歓喜に包まれる狂信者達の砲声も耳に入っていなかった。
『__黙れ、蛆虫共。』
彼の周りにいた哀れなる狂信者達が1人また1人と糸の切れたマリオットのようにバタリと倒れる。__その様子をシンイチロウは力なく座り、焦点の定まらないがらんどうな眼で空を見つめていた。
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始まりは数日前の新年も明けた大陸暦1832年の2月の上旬頃、寒さが1番ひどい頃の事だった。その数日前に、弟のポーター君とケンカをしてしまったエレノアに巻き込まれる形で、知り合いのマナセイン伯爵令嬢クロハの領地帰還に同行する事となったシンイチロウは、2頭引きの馬車4台のうちの2台目に向かいにエレノア、膝にちょこんと人形姿のヘンドリックを乗せて旅に進んでいた。
「………随分と厳重な警備ね。」
やたらと仰々しい警備だ、率直に思ったのはこういう事だった。その警備が、マナセイン伯爵が抱えているルミナリア正教の暴徒化した信者のためだという事にこの帝国の事を漫画や娘がやっていたゲーム知識としてしか無かったシンイチロウや都市部とマナセイン伯爵領とは逆方向に領地が存在しているエレノアは、気づいていなかった。
『ルミナリア正教の残党を気にしての事だろうな、かの地には帝国の他教神聖霊化政策はうまく定着しなかったと聞く。だから、このよう厳重な警備になったのだろう。』
「確かに、噂じゃ何十年かに一度のペースで暴動が起きるのでしょう?」
「そうだったのか………。
なるほど、しかしルミナリア正教……何処で聞いたんだったっけ?なんか聞いた事あるような、無いような……。」
「怖いものね、大丈夫かしら?」
首をひねりながら考えるが、どうにも分からなかった。この時、彼が聞き覚えがあった理由を上手く思い出せていたらその後の運命は変わっていたかもしれない、だが重大な小さい分岐点を彼は気づかないまま過ぎていったのだった。
『噂、噂か……噂ほど怖いモノもない、根も葉もない噂がどれ程恐ろしいか。
何せ、たった1人が小石を投げる程度で言った噂が波紋となって拡がって革命を起こす事すら理論上はあり得るんだからな。』
「ああ、そうだな。」
シンイチロウも噂や怪文書などの類いには悩まされてきた、だから言わんとすることは分かるが、ヘンドリックのそれは相変わらず本来の姿には似合わない可愛らしい声だったが、声質は冷たく怨嗟すら感じさせる地底の底から冷気が這い上がってくるような恐ろしいモノだった。
「エレノア、怖いのなら今からでも伯爵に謝ったらどうだ?」
「いやよ、ここまで来て引き返すなんて無理よ。あんなに啖呵切っちゃったんだから…」
「ま、そうだよな。ここまで来ちゃったんだ、怒られるのは後の祭り……今を楽しもうじゃないか!……そうしておこう。」
多少、後の事を想像してげんなりしたシンイチロウの考えを身体越しに感じ取ったヘンドリックはため息を吐いた。
《楽観的なものだな、そんなもので大丈夫か…?いや、しっかりとしないとマズイな。
……鑑定》
≪ヘンドリック=オンリバーン
level:49
種族:眷属(元人間)
職業:管理者ミラーナの眷属、元レミゼ王国農林産業大臣、レミゼ王国第32代オンリバーン侯爵
状態:呪い
体力:10534/10534
魔力:9617/9617
攻撃:9531
防御:12340
素早さ:10825
運:50
スキル:究極の鑑定、究極の偽装、究極の言語理解、土魔法、上級剣術、光魔法、千里眼(呪いにより使用制限中)、収納魔法(呪いにより使用制限中)、隠蔽(使用制限)、テイム(使用制限)、念力(使用制限中)、意思疎通(使用不可)、瞬間移動(使用不可)、全属性耐性(使用不可)、限界突破(使用不可)≫
《この通りだからな………あのマナセイン伯爵が何故エレノア嬢を連れていくのを許可したのか、真意を知らねば話にならん……千里眼。》
どうやら上手く前の馬車に視線を集中させて覗き見る事に成功したようだった。
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シンイチロウの馬車よりも前方の馬車に、クロード=エルリ=チェリー=ル=マナセイン伯爵とその次女クロハ、使用人のゴンザレスとオリン=ベアード=ミニスターの4人が少し広めの馬車に乗っていた。彼らの口数は少なく険しい顔をしていた。
「まさか、エレノア嬢が付いてくるとはな。彼らの身に何か起こっても自己責任よ?安全面にはこっちも気を付けはするけどねぇ、全部を防げる訳ないじゃないの。それはちゃんと言っておいてよ、クロハ。」
「分かっとる、分かっとる。
それにしてもアルトおじさんがやられたって本当なん?ウチらを誘き寄せる罠かもしれんよ?」
「罠だったとしてもここまで来て引き返すなんて出来ないだろ。それに、俺を殺った所で首都にはリチャードもいるしもうすぐ孫も生まれる…だからいなくなった所で問題はない。」
ナクガア王国の国境近くに存在しているマナセイン伯爵領は、道中のほとんどが雪道だという事もあって4日ほどかかる。今はもう出発して3日、この日の夕方には館に着く予定なのだ。
「それは、そうかもしれんけど……」
「エレノア嬢には苦労かけるだろうが、館から出たら首が身体から離れると言っておけ。それぐらい危険なんだから。
………あの連中には、余所からの客人は攻撃しないという知能すら無いんだからな。」
「私からちゃんと伝えておきます。」
何も言わないクロハの代わりに答えたのは、オリンだった。ゴンザレスは先程から外を警戒していて何も話す余裕を持っていないようだ。
「ゴンザレス、異常はないか?そろそろ、あの吐き気がする地に着く頃と思ったのだけれども。」
「ありません。」
「そうか、それなら良い。」
領主の館に着くまで何事も無ければよいがとマナセイン伯爵は思っていたのだが、彼の願いは虚しくも砕け散った。
馬車の車体がガタンと揺れたかと思うと、馬が嘶きを響かせて馬車は急停止した。
「まさか、ここまで手荒い歓迎を受けるとは……まあ、いいかなぁ。__どうせ、どちらかが倒れるだけだし。」
クロード=エルリ=チェリー=ル=マナセイン伯爵は真摯な表情となり、何かを決意していた。
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エレノア達は相変わらずシンイチロウと痴話げんかのような夫婦漫才みたいな会話をしている。
《………どうやら、あの伯爵はどうも喰えない何かを企んでいるな。そして、彼はどれだけ嫌われてるんだ!石を投げられるような手荒い歓迎を受けるとは、どれ程の確執が領民達との間に生まれている!》
そんな騒がしい中で千里眼で前方の馬車を見たヘンドリックは自分の感情にやや驚いた。
死んでから随分と経った。その間に修羅場は見てきたと思っていたし見慣れていると思っていたのだが、こうした悪意はどうもいつまで経っても慣れない。自分がそういう眼に遭った訳でもないからか、何処の何とはあえて明言しないでおくが何かと重なって見えるからか所在なき怒りがメラメラと生まれてきた。
《ダメだね、この程度で怒っていちゃ。シンイチロウの事を心配なんて出来ないな。》
内心、自らの弱さに自嘲しながら膝の上でおとなしくしていた。__前方の騒ぎは、もうすぐ後方のここにも伝播してくるだろうとヘンドリックは思いながら、波乱が起こる予感が確信に変わったことを改めて自覚してため息を吐いた。




