1つ目の指令
__俺はの名前は山内信一郎、つい1週間ほど前に46歳になったばかりの従僕見習いである。
従僕見習い?なんでそんな職に就いているかと言えば、俺は元々地球の日本という国で衆議院議員生活を謳歌していたのだが時流の波に呑まれて落選、その後不幸が続いて年明けに神社でおみくじを引いたのだが、その“大凶のおみくじ”を破り捨てた事が我々の世界を管理する神様“アマテラス”の逆鱗に触れたようで、7人の人間を救うまで日本に帰れないらしいのだ。転送された俺を助けてくれたメスリル伯爵令嬢のお陰で俺は伯爵家に雇われた……という訳である。
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この世界に来て3日が経った。俺は埃っぽい部屋で教科書を開いて先生の話も頭に入らないでぼんやりとしていた。
(なんか勝手な言い分だよな……おみくじ破いたぐらいで異世界生活とか。……しかし、マルチウス帝国とは何処かで聞き覚えがあるな。)
今頃は行方不明扱いなんだろうなと多少の現実逃避をしながら俺は元の世界に思いを馳せながら考えた。
「こらこら、何ボーッと外見てるの!授業は真面目に聞け。」
「あっ……えっとすいません。何でしたっけ?」
「我が国の最低限の常識とマナーについてだ。おい、教科書のページが違う。」
おっといけない、今は子供には楽しい楽しい大人にはこんなのも分からないのかと言われているようにしか取られかねない屈辱的なマナー授業の最中であった。
何故四十路にもなって子供の授業を受けているかって?それは俺が異世界人であるがゆえの悲劇だ。この世界の言語理解能力と若返りの力はこの世界の神様から頂いたのだが、常識など最低限の知識はくれなかったのでまぁゲームの勇者などのように称号を付けるとしたら“とてつもなく浮世離れした使えない若者”といった所であろうか。
「トール先生……さすがにそんなに詰め込まれても困ります。」
「そうは言うが、君は一体今の今まで何処で暮らしていたんだ?あまりにも常識を知らなすぎる。」
呆れたように俺を見る家庭教師のトール=ドレリアン先生。なんでも俺を助けてくれた伯爵令嬢エレノアの友人のお兄さんに当たるのがトール先生との事だ、本来なら男爵の立場にあるべき御方らしいが男爵位を叙爵してから数年で妹夫婦に譲ってしまった変わり者というのがこの3日間で手に入れた噂だ。
それにしても腹が立つ、何故同年代の男(とは言うが若返り前の俺よりもだいぶ若々しいのが腹立つ)にこんな上から目線で言われなきゃならんのか……見た目は20代後半であるが、これでも中身は46歳なんだぞ。
「まあ、ちょっと色々とありまして……」
「ふうん……色々か、まぁ詳しくは聞かないが。人には色々とあるもんだ、私だって君と同じでこの国の人間ではない……故郷を見捨てた不忠者だ。この帝国は余所者に厳しい、君も用心してくれ。」
「はぁ……分かりました。」
悲しげな苦痛を我慢するような顔をしたトール先生による詰め込み授業はその後も続いていったのだった。結局朝からの授業が終わったのはおやつ時であった。
「ようやく終わった……今日はこの辺にしておこう。これで本当に最低限の知識は身に付いただろう……明日からは妹のマリアがお前に使用人としての極意を叩き込むと張り切っていた、あの子はスパルタだから覚悟しておけ。」
「うえぇ……」
これよりもスパルタだなんて想像もしたくない、顔をしかめるとトール先生はポンと俺の肩を叩きながら苦笑いをした。
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マルチウス帝国、それがこの国の名前である。メドべージャ大陸の西端に位置しており、いくつかの小さな国が併合されて大陸西部に堂々と君臨する今の大帝国を築いたという……。
(多分服装などから見るにモデルはヴィクトリア朝期の英国といった所だろうか……)
大陸暦という西暦の名前を変えただけと言っても良いような暦が使われていて今は大陸暦では1831年になるという、その辺りと言えばもう少し先ではあるがだいたいヴィクトリア朝の時代なので周りの景色から見てそういう結論に至った。
その証拠に自分も含めた道行く人々も今では考えられないような歴史の教科書でしかお目にかかれない格好をしているのだ。
「何、そんな渋い顔しているの?考え事も良いけど少しは景色を楽しみましょうよ。」
「あぁ分かった、そうしよう。」
今、俺は命の恩人エレノア=アリス=チェリー=ラ=メスリル伯爵令嬢によって帝国首都のランディマークを案内してもらっている。
「あのね、一応私は貴方の雇い主の娘なのよ!もっともっと敬いなさい。」
エレノアの気に障ったようだ。機嫌を損ねては路頭に迷ってしまう事になると渋々言った、7人を救うまで帰れないのに最低限の衣食住まで失うのは堪ったものじゃない。
「申し訳ありませんでした。」
「それでよし!……ああ、一応言っておくとマリア様は敬語で喋らないとブッ飛ばしてくるからね。鉄拳とか飛び蹴りとか飛んでくるから注意しときなよ?」
「え?それは勘弁してくれ、俺はもう歳も歳なんだ……そんなことされたら腰がやられそうだ。」
見た目は若返っている、だが中身がそうとも限らない。きっと中身も若返っているとは思う、この3日間でそれは微かに感じた。以前ならもっと早くに疲れていた、疲れやすかったから外に行く気すら起こらないくらいだった……車という便利な道具があるにも関わらずだ、ましてや歩いての散歩など必要なければやりもしなかっただろう。
「何言ってるの……?貴方は29歳でしょう、冗談もよしてよ。」
「ああ、そうだったな。そういう設定だった。」
「もう、またそんな口の聞き方して!」
若返りによって見た目は若くなった俺は年齢を聞かれた時に、29歳と答えるようにした。その歳は、父の元で秘書として働き始めた歳である。従僕見習いという響きと秘書の役割が何となく似て感じただろうからか、でも自分の姿は実際その辺りの年齢の時と張りなどが同じなのだからあながち嘘でもないと思っている。
「済まないな、これは物心ついた時からこうなんだ。中々直るものではない。」
「もしかして、貴方の家は貴族なの?なんか態度も上からだし、トール先生が言っていたよ…飲み込みが早いって……家出した坊ちゃんだったんじゃない?」
「いや、貴族ではないよ。」
「ふうん……ねえ、勝手に貴方の事を使用人として雇ってしまったけど大丈夫?その場の雰囲気でOKしたのならもう無理しなくても良いのよ?」
エレノアの話には脈略がない、でもきっと俺を家出した良いとこの坊ちゃんだと思って慰謝料云々がと震え上がっているんじゃないのかと予想される。まったく、悩むだけ損だ……そもそも俺は貴族でも無いしこの国の人間でもなければ、この世界の人間でもない。普通に生きていれば彼女に出会うことすらなかった人間なのだ。
「俺も無職だったのでな、ありがたく思っている。あのままじゃ、路頭に迷っていた。」
「そう……それなら良いけど。」
エレノアはとても不審な顔をしていたが、嘘はついていない。“議員は落ちればただの人”であるし彼女が居なければ俺はどうなっていたのか想像もできない。
しばらく首都ランディマークの街を歩いてからエレノアと俺は屋敷へと帰った。
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夜、眼を開けると眼を閉じる前となにも変わらない天井が広がっていた。
明日は詰め込み授業がお得意のトール先生よりも厳しい妹君のマリア先生によるスパルタ授業が待っている。常識を身に付けて従僕として働きながら7人の人間を救う、おみくじを破いた代償を早く支払うためには早くこの国に慣れる事だった。その為には明日の授業をシッカリと聞かなければならない、そして授業をシッカリと聞く為に為すべきはぐっすり眠り、明日へ備える事だった。
(眠れん……眠れんぞ!)
身体は安眠を欲している。だからベッドで横になって灯りを消して、眼をつぶって真っ黒な世界に1人プカプカと浮かぶのだが、いつまで経っても俺の意識はこの世界にこびりついたままで、夢の世界に出発することは出来ない。
灯りをもう一度つけてから、頭をボリボリとかいて眠る方法を考える。羊はダメだ、羊を数えても眠れない。寝酒なんて贅沢を望める身分ではなくなった、そもそも酒を飲んだ所で明日が二日酔いで悲惨な眼に遭う事は容易に想像出来る。
「情報の整理をしよう……」
ノートに今まで学んだ知識を書き出していく。
《ここは、メドベージャ大陸西部の広大な領土を持つマルチウス帝国(モデルはヴィクトリア朝期前後の英国)、首都はランディマーク。使われている暦は大陸暦で現在は1831年、余所者に厳しく一部の国民(主に貴族)はプライドが高くて別世界の生き物のよう(トール先生談)らしい。民主主義先進国イギリスらしく貴族院と庶民院なる間接民主制の組織も存在するという。》
「しかし、いつになったら俺が助けるべき人物の情報は送られてくるんだ?」
一通り情報を書き終えてからゴロンと寝転んで考えている……管理者を名乗る神様の連絡もそうだがもう1つ気になる事がある、この国の名前を何処かで聞き覚えがあるのだ。
「ここは異世界だぞ、聞いたことあるはずなどないのだがな。」
テーブルの上には、先程情報を記したノートとガラケー、タバコやライターなどの元の世界の物がある。
ライターはもうじき使えなくなるだろう、ガラケーは神様の粋な計らいがあったのだろうかは分からないけれど3日経っても充電が切れる事もなくこの世界にはまだ存在していない光源を発している。向こうにメールや電話を送ることは出来ないがカメラ機能は使えるようだ、そして保存してある写真を見ることは可能……制約は存在するが、ある程度ならば携帯電話は使えそうだ。
「元の世界の物……そうだ!思い出した、ここはあの漫画の世界なんだ!」
俺は気づいた、違和感の正体に。ここはあの少女漫画『瞳を閉じて、恋の学園』の世界だ、そう気づいたのだ。
『瞳を閉じて、恋の学園』は元は乙女ゲームだったらしいが人気作品となったらしく、漫画化やアニメ化されたという。確か娘が読んでいたのを落選して暇だからと全巻制覇したような……。パラパラと読んでたからストーリーあんまり覚えてないけど。
「あれ……でもなんかストーリーが違うような?」
『瞳を閉じて、恋の学園』はよくある学園に入学した平凡(笑)なヒロインちゃんが登場人物の心を癒しながら愛を勝ち取っていく典型的な……テンプレというらしいが、まぁよくありそうな少女達が好きそうなベッタベタな物語である。娘は外伝を含めた漫画全巻はもちろんの事ゲームも制覇していた。
確かヒロインちゃんの毒牙にかかる哀れな男子は5人ほど居たような気がする。俺様皇太子(少女漫画によくある薔薇とかキラキラのエフェクトすごくて顔とか名前覚えてない)と優しいほんわか系の幼馴染君(他の攻略対象と結ばれたらヤンデレ化するらしいと攻略本に書いていた)……ダンディーな執事(妙に俺の秘書後藤に似ていた)に熱血系の学園教師(勝手に金八と名付けていた)とクール系担当の年中ブリザード少年ルイ君(驚いた事にトール先生の妹君マリア様の息子らしい)だったか?……漫画は皇太子ルートで進められていき、普通にハッピーエンドだった。
「トール先生ってルイ君にトラウマを植えつけちゃう男爵様として登場してなかったっけ……?」
確か漫画の番外で皇太子以外のそれぞれのキャラの過去が語られる過去編の方で、ルイ君は結構えげつない虐待を(トール先生とみられる)伯父の欲深い男爵と父方の祖父から受けていたという設定だった筈だけど……。
「男爵じゃなくね?
それに欲深い所かなんか世捨人みたいな生活送ってますが……」
これは許容範囲なのか?
ゲームのバグみたいなモノなのだろうか?
名状しがたいズレ、これは放っておいても問題ないのだろうか?……でも管理しているミラーナは何も言っていなかった、ということは問題はないのかもしれない。
『…以前神様のような事をして、助かる人を殺したではありませんか。』
眷属あったヘンドリックの冷たい言葉を思い出す。その後にミラーナは『君の息子にもあの王女にも悪いことをしたって反省している。』と言った、つまりあの神は過去に運命を歪めた事があるのだろう……具体的にどのように何をしたのかは分からないことだらけだが、きっとこの国の誰かの運命を歪めてそれがトールの性格を変えたのかもしれない。
「まぁ、ルイ君が普通にハッピーなら良いんじゃない?」
一定の結論を出してから、眠ろうと思って眼を閉じると携帯が着信音を鳴らす。
パカリと開くとそこには……
《1つ目の指令、メスリル伯爵家の財政難をどうにかしてあげて。
救う対象:アルバート=マイク=チェリー=ル=ド=メスリル伯爵。
※借金を減らす方法を打ち出せ、未來予想機の借金完済可能予想率70%を超えたらミッションクリア。》
と書いてある。
どうやら最初の指令は、雇い主のメスリル伯爵の借金を完済できる見込みのある所まで導けと言っているようだ。
「この家、かなり貧乏そうだしめんどそうだな……」
脱力しているといつの間にか眠りに落ちていた。
翌朝目覚めると、マリア先生が笑顔なのにものすごい迫力で凄んで私の寝坊を怒っていた。




