しばらくはナイショ
天上世界では、管理者ミラーナが別の管理者アマテラスに対決姿勢を見せたり、眷属ヘンドリックが異世界転移者が直面する恐ろしい結末を知っていたその頃……下界では、山内信一郎が複雑な心境で立っていた。オリンの冤罪も晴らした、新しい雇い主も見つかった。もうじき、2つ目の指令をクリアしたという知らせは来るだろう。
「綺麗な夕陽だ………」
ようやく、2つ目の指令をクリア出来た。うれしい筈の事なのにシンイチロウの顔色は良くない、彼は惜しくなったのだ。この世界から離れる事が、この世界で出会った人々に別れを告げる日が近づいていることが怖くなってきたのだ。彼の中で何かが変わり始めた、だけどそれが何なのかは誰にも分からなかった。
「シンイチロウ、どうしたの?」
「いや、何でもない………何でもないんだ。」
シンイチロウはそう言う事しか出来なかった。
「ねえ、最近怒ってるの?舞踏会で飲みすぎた事?それともオリンの事で面倒だと言った件?何で怒ってるのよ………」
「怒ってなんていない。」
「本当に……?」
「本当だよ………」
「やっぱり怒ってるんじゃないの!?そんなおうむ返しされても説得力無いんだけど!」
いつも大人しいエレノアがなんだか鬱陶しいくらいにお節介を焼いてくる。彼女はこんなに話しかけてくる人だったか……?いや、そうではなかったな。何か用事があるときとか何か起きたあるいは起こした時くらいしか会話が無かったように思うが……これは一体何の変化なのだろう。そして、神様仏様ミラーナ様、もうミッションクリアで良いでしょう。早くお知らせをくださいな。
(……それに話せと言われても話した所で理解してくれるのか?)
『実は、俺って異世界出身なんだーテヘペロ!』とか言った所で信じてもらえるか?端から見ればただの頭がおかしい奴だろ。自分が言うのを想像して気持ち悪くなる、四十路(見た目は一応20代)がテヘペロとか言っている時点で気持ち悪い!
「って聞いてるの!悩みがあるなら話しなさい!どんな事だっても驚かないから!……そこのベッドの下にエロ本隠してたの?それとも望遠鏡でお隣のお嬢様の裸を覗いてた?
そういう事だったとしても驚かないから!」
「誰がそんな事をするか!昭和の変態親父じゃあるまいし……いや、考えてみたら俺は昭和生まれだから一応変態ではないけど親父になるのか……うわぁ、一気に年取った感が半端無い。」
「昭和って何?」
「いや、何でもないんだ。」
あぶねぇ、向こうの話はあまりしないようにしないと。ただでさえ噛み合わない話が更に噛み合わなくなる。彼女が真摯な瞳でじっとこちらを見てくるのから眼を逸らしてから俯く。
____それに、今はまだ話す勇気が持てないから、きっといつか近い将来の事だろうけど気持ちが落ち着いて、話さなければならない事態になったら話そう。
エレノアが腑に落ちないような心配した顔で見てくるのを大丈夫だと目線を送りながら返事をした。そして、彼女が出ていったすぐ後に携帯はなった。
《2つ目のミッションクリア。
この先、注意して進め。》
確認してみるとクリアを知らせるお知らせだった。この使命の事を彼女に話せない、そして私が何者であるのかも話せない事に一抹の寂しさを感じた。
_______
陽は傾き始めて、夜を迎えようとしている。屋敷の一室で遅すぎる茶会を開く者達が居た。
伯爵令嬢エレノア、そして令嬢クロハとその執事となったオリンだった。
「どないしたんや、エレノアはえらい元気がないけど。」
クロハが聞いてくる、何も答えないエレノアの代わりにオリンはクロハに言う。
「きっと彼女がこうなっているのは、シンイチロウの様子が変な事だろう。」
「違っ……そういうんじゃない、この屋敷が寂しい感じがするだけよ!」
「本当にそうなんか?実は、あの男がウチと行動を共にしたのに焼き餅妬いてんじゃないん?」
「もう!だから、なんでそういう話に……」
焼き餅だなんてまるで恋煩いみたいではないか、カッと頬を赤く染める。焼き餅ではないけれども何となく心当たりを感じる自分にも驚いた。
「でも心当たりがありそうな顔や!
オリン、あんたは恋をしたことあるんか?恋煩いやと自分から茶化したけど、ウチは恋をしたことないから説明してくれ!恋とはなんぞや。」
「え……急にそんな事言われても、そうだな……恋、恋……その人の事をいつも考えてしまう、その人が気になる、甘えたいとか……相手に対してそう思ってしまうのが“恋”ってモノじゃないのか?」
クロハからいきなり話題を振られて慌てたオリンはしどろもどろになりながら答えた。いつも考えてしまう、気になる……確かに思い当たる節があるのにまた驚く。
「まぁウチはオリンさえ側に居てくれたら別に良いんやけど。だってお兄様も子供が生まれるらしい、お姉さまも良縁を結んだけど……たぶんお父様はそこで娘の相手を探すのは力尽きたんだろうなぁ……『あー……クロハは適当な相手を見つけてくれ』って言われたしなあ。」
「………なんかごめんなさい。」
お調子者のクロハも裏では泣かされてきたのだろう、それにもかかわらずこれほどにも底抜けて明るい彼女を見ていて恥ずかしくなる。
食費目的に社交に出ていたエレノアだが本分はお相手探しが主な目的だ、毎夜毎夜ハイスペックの良い男を見るたびに目の色を変える令嬢を肉をモグモグしながら『またやってるな、あの人達』と他人事のように見ていたが、今思えば彼女達も親に心無いことを言われ、学校では良妻賢母教育と色んな意味で必死だったのかもしれない。
「いや、エレノアはエレノアらしくしていればええんよ。ウチは決めた!こうなったらとことん前向きに居候を貫こうってな!」
「何故そうなる。クロハ様、別に行き遅れている訳では無いのに……いや、別にエレノア様だって頑張ればなんとかなりますよ。とにかく、クロハ様にだってまだまだチャンスはあります!」
いや、私は行き遅れ寸前(というのも最近微妙な歳になってきた)だけど他人から見て見ぬふりをしていた事実をばらされると余計に傷つく。
「だってこのままじゃ、ウチには“金持ちな変態親父の後妻”くらいしか道が残されてないんや!そうなるくらいならオリンと家出でもしてやるわ!そうしたらお父様もさすがに居候を認めてくれるやろう。
………すっかりお茶が冷めてしもうたな。飲もうや。」
「うん、分かった……」
私はカップに角砂糖を4個ほど放り込む。紅茶はあまり好きではない、だからミルクと砂糖は欠かせない……帝国人の身体は紅茶で出来ているということわざまであるのに、こうしないと苦すぎて飲めないのは損な事だろう。そんな私を『コイツ、大丈夫か』といった驚愕の眼でクロハとオリンは見ていた。
「そんなに入れて、身体が砂糖になる……」
「流石に入れすぎではないか?」
そんな事は無いのだろうけど、私の常識は他人には通じないらしい。
________
クロハとオリンが帰ってから、エレノアは自問自答をする。
「それにしても、何に悩んでいるのかな?」
クロハの言うような恋煩いではないが、純粋に彼が心配だった。
思えば、エレノアはシンイチロウの事を多く知っている訳ではなかった。ある日突然光と共にやって来た彼は、時たまよく分からない“ショウワ”や“ニホン”という単語を口にする事がある。彼には、妻や娘が居るらしいがどういう経緯で彼らと離れて帝国に来たのか、エレノアは知らなかった。
「でも、それを私が詮索しても良いの……?」
彼には、何処か鈍くて謎めいた一面がある。それを聞いても良いのか、聞いたら何かが変わりそうで、パンドラの箱を開けてしまうのと同じなのではないか、そういう居心地の悪さで冷や汗が流れる。そして、セイラとルイ君の件、オリンの件……彼らを救わないと家族に会えないという彼のセリフ、それの意味すらもエレノアには分からなかった。
『いや、何でもないんだ。』
___そう呪いじみたように言った寂しそうで、何かをわだかまりやしがらみを吐き出すような重々しい彼の顔が忘れられずにエレノアは眼を伏せた。
____ダンディー執事はゲームの因縁から離れた、けれどもこの世界に長くいればいるほど、瘴気はシンイチロウの正気を少しずつ奪っていく。この事実を彼自身も、誰も知らないまま帝国での日常は進んでいくのだ。




