最後の手紙
湖の側で眺めていたミラーナとヘンドリック、彼らはシンイチロウを無事に送り届ける事ができて一息ついたところだった。
『しかし、これで本当によかったのでしょうか……?』
『ヘンドリック、何がだい?シンイチロウは普通に帰ったじゃないか、君が恐れていたような四半世紀前の二の舞にはならなかった。これのどこに不満などがあるのか?誰も死ななかったじゃないか。』
『それは本気でおっしゃっているのですか、ミラーナ様。』
ミラーナは豪華な装飾のあるテーブルを宙から出して、ポンと置いた。更にそこへ茶道具を置いて、行儀悪くテーブルに座って上に置いてあったお菓子に手を伸ばしていた。どちらかと言えば、怒ると熱くなるヘンドリックの絶対零度の冷気を感じ取って少し震えた。どうやって、彼を宥めようかと思っていると湖の下である光景を見つけた。
『ヘンドリック、下を見てごらん。アマテラス、アイツも粋なことすると思わない?』
『え?あれは……』
ヘンドリックも釣られて下を見てみる。下にはアマテラスの式神の姿があった、向かい合うようにエレノアと中井昭美の姿も。大丈夫なのかと心配して見ていると式神は便箋を受け取ってから浮上してこちらに向かってあっかんべーをしてから消えていった。
『………まあ、害は無いだろうから放っておこう。後少しすれば、異界の人間の転移・転生も管理されるようになる。そうなったら僕に出来るのは、この世界で死んだ人をこの世界で生まれ変わらせる事とか、死んだ人の時間を巻き戻す……逆行転生って奴ぐらいかな。本当につまらなくなる。』
『……そうですか。』
地から響くような低い声でヘンドリックはミラーナの言うことに頷いた。まだ怒っていることに気がついたミラーナは逃げていった。少ししてからまた、式神が来て今度は笑いながらこちらを見ていた。湖の下のエレノア、残された人々はどうしたのだろうか。
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大陸暦1833年10月19日、式神という異界の神の眷属が手紙を書けとやって来てシンイチロウに手紙を書いてから約2週間後、また式神の彼女はやって来た。今は社交シーズンも終わり、貴族は領地に帰っている頃である。私も今年は数日ほど滞在した。そんな頃に来た彼女は1通の手紙を差し出した。差出人にはシンイチロウ=ヤマウチと書いてあった。それを受け取ったら彼女は居なくなっていた。私は帰ってからアキミさんを呼んで、部屋で手紙の封を切った。
「シンイチロウからの手紙……」
「シンイチロウさん、どうなっているのでしょう……多分、退院して元気にしていると思いますけど。」
手紙にはこう記してあった。
《エレノア、昭美さん、お世話になった人々へ
手紙、読みましたので俺も送ります。アマテラスによれば俺達が繋がっていられるのもこの手紙が最後らしいです。俺はあの後、病院で治療を受けて退院しました。こっちで俺は元気にしています、俺だって聞きたい事も、言いたい事だって沢山あります。俺はまだ幸せにはなれていません、きっとマルチウスに居すぎたのかもしれません。俺はそちらでの生活をまだ引きずっています、それほどに俺にとってエレノアや昭美さんの存在は大きかったのだと痛感しています。俺が幸せを掴めるのはまだまだ先のことだと思います、きっと時間が経つしか方法は無いのだと思います。俺の以前の夢だった選挙で当選して、大臣政務官になってもきっとこの気持ちが晴れることは無いのだと思います。自由にそちらへ行けたなら、何度そう考えたことか…俺はそれでもこちらで暮らしていかなければならない、前を向かなければならない。俺も頑張って前を向くから、エレノア達も頑張ってください。俺も遠く、遠く離れて届くか分かりませんが応援しています。写真を同封します、俺の写真や景色を撮ったものを数枚です。
2010年3月21日 シンイチロウ=ヤマウチより》
読んで泣いた。悲しくて、胸が押し潰れそうで…涙がこぼれた。写真で、少し歳を取ったシンイチロウが寂しそうにこちらを見ていた。
「シンイチロウ……会いたいわ、会って言いたいことが沢山あるのよ!」
ここには、彼の携帯電話が何故かある。きっと彼の置き土産だと思う、だけどそれだけじゃ足りない。姿を見たい……!
「ねぇ、アキミさん……私、いや私達はきっとお利口過ぎたのよ…ちゃんとシンイチロウに言えばよかった。本当は帰ってほしくなかったって…正直に言えばよかった…」
「エレノア様……私だってそう思います。シンイチロウさんにちゃんと自分の想いを告げればよかった……そう思うんです。」
2人はそのままハラハラと涙を流していた。2人はそのまましばらく動かずに部屋で泣いていた。
__女性の地位向上に尽力した初代ニフォールニア女男爵エレノアの回顧録にはこうある、それが本当の話なのかは後世の人々には分からない。ただ、エレノアとアキミがその後生涯に渡ってシンイチロウと再会することはなかったことと、季節が過ぎ行こうともエレノアとアキミはシンイチロウ、居なくなった彼の写真を本にはさんで大事に持ち歩いていたのは周囲の証言から明らかである。
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湖から見ていたヘンドリックはなんとも言えない気持ちになった。ミラーナの言う通り、四半世紀前に比べればマシな最後と言えなくもない。だが、受け取る人によってはこれがあの時とマシなのか…あの時よりも残酷なのかは分かれるとヘンドリックは思う。
『想い合っていた2人が結ばれようとしている幸せの絶頂で片割れを殺されて引き裂かれるのと、居なくなってから自分の想いをハッキリと知って…だけれどもその相手はもう居ない、生きているのに2度と会えない…。果たして、そのどちらが残酷でしょうか…ミラーナ様。』
『さあね、そんなの僕には分からないよ。君も身をもって知っているだろう、僕達は時に神にも悪魔にもなり得る精神的に未発達な幼児のような存在であると。……そんな僕に、人の気持ちなど分からない。』
紅茶を飲みながらミラーナは言った。
湖の上に立って見ていたがやはり理解できないような困った顔をしていた。
『さあ?まだこっちが幸せではないか?』
『そうでしょうか?私には、もう2度と会えないこちらの方が不幸せと感じます。なおかつ、こちらは相手が生きているのですよ…遠い、遠い世界ですけれど生きているのです、なのに会えないのは女心は分かりませんが、私ならばこちらの方が泣きそうです。』
『そういうもんかな?まあ、お茶…冷めちゃうから飲もう。』
『………はい。』
ヘンドリックは居たたまれない気持ちになった。エレノア、昭美、彼女らにたいして罪悪感が沸いた。ミラーナはそんなヘンドリックの肩を叩いて見当違いな励ましをしていた。
『ま、ここに慣れるとたまにあることだから気にしない方がいい。』
『………女心が私に分からないように貴方には私が何に悩んでいるのかなど分かりませんよ!』
ヘンドリックはそう言って奥に閉じ籠ってしまった。それをミラーナはやれやれと言った様子で呆れた顔をして見つめていた。
次回、エピローグ。




