貴方は一体何なんですか?
1月23日の陽も昇る前、行方不明となった山内信一郎の自宅に電話が掛かった。電話に出たのは妻の雪乃、そして電話の内容は行方不明となった山内信一郎が千葉県内のある町で発見されて救急車で大きな病院に運ばれて手術を受けているというもの。選挙事務所の前にマスコミが居るので戻れない為、信一郎の自宅に待機していた後藤が出てくる。
「奥さん、さっきの電話は……!」
「あの人が…見つかったと。病院に運ばれて手術を受けているのですって!」
「手術……!?」
どこかに怪我をしたのか、しかも手術が必要なほど!後藤は心配になってその場にへたりこんだ。そして、大慌てで奥さんと寝ぼけ眼を擦っている娘さんを連れて病院に行くと、医師から説明があった。
「一時間ほど前に腹部を刺されて意識が無い状態で当病院へ運ばれて手術をしています。財布の中の免許証から電話させていただきました。発見された時にはかなり出血していて、刺された腹部も傷が深くかなり危険な状態で大手術になるかもしれません。」
「一体誰がそんなことを……!主人は助かるのですか!」
「……それは手術の結果と本人の気力次第かと。発見されるまでにかなり動いたのか傷が開いておりまして、発見された時に意識がまだ有ったのも奇跡なぐらいだと言えます。そして、もう少しで警察の方からも説明があるかと……」
「分かりました。奥さん、真理さん…こちらで待っていましょう。」
待っていると刑事さんから説明があった。
山中から町へ血痕が続いており、そこで解放されてから町まで降りた。そこで発見されたのだという。そして、透明な袋に入った見知らぬ革靴を示されて知らないかと聞かれたが、まったく見覚えが無いためそのように答えた。そして、少し受け答えをすると刑事達は帰っていった。
数時間後、手術を終えて信一郎が病室へと運ばれていった。手術は成功して、数値などには問題ないらしく数日から1週間で目覚めると医師は言っていた。
「代議士………」
いつもならそう言うと『代議士じゃねぇよ!』と返ってくるのに、今のチューブだらけの彼からは何も返ってこなかった。
_______
それから3日ほど経った昼、彼が目覚めたという知らせが来た。バタバタと病院を走って病室へ向かうと彼が背中を起こして窓を眺めていた。奥さんと娘さんはすぐに駆け寄っていって大丈夫なのかと安否の心配をしていたが、俺は駆け寄ることができなかった。
(誰なんだ、この目の前に居る男は。)
確かに身体は山内信一郎、だけど中身はまるで別人だった。ある時は幼馴染、ある時は学園の先輩、またある時は先輩秘書、そして今は秘書として40年も腐れ縁が続いているのだ、見間違える筈がない。後藤は誰よりも知っている筈の男に違和感を抱いた。私の知っている彼は、こんな風に家族に冷たい無機質な目を向ける男ではなかった。__誰なんだ、一体。
「おい、後藤!どうしたんだ、そんな顔して……俺がこんな目に遭っている間、全てお前が対応してくれたのだろう?本当に心配かけて済まなかった。」
「ああ、はい。貴方は本当に……」
本当に私の知っている山内信一郎なのですか、そう聞こうとしたのだが、その先を聞いてはいけないような気がして言葉を止めた。
「本当に…なんだ?言葉を途中で止めるなよ、気になるな。」
ポッと口から出てしまった言葉をどうはぐらかそうかと考えていると刑事がやって来て、話を聞きたいと言った。
「山内信一郎さん、貴方は1月18日の夜に支持者の所に挨拶回りに行く準備中に自宅から姿を消しました。そして、1月23日未明に山の近くの町で発見、その後病院に……そこから先は医師から説明が有ったでしょうから省きますが、貴方は18日から発見されるまでの4日間、どこで何をしていましたか。靴を履かずに行方不明になった事から見て、誘拐された線が強いと思いますが。」
「……覚えていません。気がついたら山ですか?暗い所に居てとにかく人をと思ってガードレールを伝って出てきました。」
嘘だ、嘘だ…彼は嘘をついている、彼がどのような意図をもって?そう思っているうちに会話が続いていく。
「つまり、記憶が無いと。出血量からして別の場所で刺され、死んだと思われたのか何らかの理由で貴方は山中に解放された、そこから歩いて町へ出たのは間違いないと思うのですが、その前の何日かをどこで何をしていたのか覚えていないと。本当に覚えていないのですか?」
「はい、覚えていません。俺は、行方不明になっていたと聞いて驚いたのですから。期待に添えなくて申し訳ございません。」
「そうですか……では、また何度か話をお伺いするかもしれません。」
彼は嘘をついていないというようにまっすぐと目を見て刑事に答えた。刑事はそのまま帰っていったが、明らかに嘘をついていた。どこで覚えたのかうまく誤魔化しているけれど時々見え隠れしている。
そして、その後疲れたと奥さんと真理さんを帰そうとしていた。何が目的なのか分からないので、側に居ないと危険だ。そう思って病室に残ると言うと少したじろいでから出ていこうとする私を呼んで
「後藤、俺は山内信一郎だからな!すぐに退院してやる。なあ…俺は何も悪いことはしていないからな、それは分かってくれ。」
「代議士、貴方は……いいえ、奥さんや娘さんを送ってきます。」
彼は私の疑問を見通したように言った、私の言葉にも出していない問いへの答えであるようにも感じた。
「ああ、安全運転で頼む。」
帰ってきてから、彼は布団を被って泣いていた。その涙の理由が私には分からなかった。私は彼の中に巣食う影の存在に苦しんだが、それがどのような物なのか具体的に問う気にはなれなかった。そうすれば彼を壊してしまうような気がしたからだ。そうやって椅子に座っていると声をかけられた。
「カーテンをめくってくれ、ちょっと外が見たい。ダメ…か?」
「いいえ、ずっとここの殺風景な景色だとダメでしょう。」
サーッとカーテンをめくって、外を見せると夕陽を見てフッと笑った後、自嘲するように寂しそうに言った。
「夕陽は、空だけは変わらない。俺には分からないだけであっちと…違うのかもしれない、でも同じだ。」
「……貴方、貴方は4日間どこに居たのですか?私の知る貴方はそんな顔をする人間ではなかった、一体何があったんですか?教えてくれませんか、私は警察に言ったことが本当とは思えません。貴方は本当は覚えているのではないですか?私は誰にも言う気はありませんし、どうしていたのか聞く気もありません、せめてそれだけは教えてください。」
彼は片眉を上げて少し考えた後、口を開いた。
「後藤、俺は次の選挙に出馬するのを止めようかな……後藤、俺は清廉潔白な人物ではなくなってしまった。以前の俺の取り柄と言えば、バレないようなショボい悪事しか働かなかったことだろう?……その美点が無くなったというか多分俺よりも適任者が居ると思うわけだ。」
「い、いきなり何を!」
口を鯉のようにパクパクさせて言葉を継げなかった後藤の様子を一瞥して話を続ける。
「俺はもう疲れたんだ。それに俺みたいな小者がずっと居るのは国益に反する、お前は優秀だ。跡をお前か従弟の和典に継がせたい。お前が言う通り、俺は嘘をついた。……何故かは聞かないでくれ、荒唐無稽で信じてもらえないだろうから。そうでなくとも言いたくはない。お前が居なくなったら俺は発狂してしまう……いつか、言えるときが来るだろう。その時に言おう。」
「……それは、ダメですよ!
私は山内信一郎に命をかけたのですから!振り落とされようとついていきますよ。何を仕出かしたのか私は知りませんけど、いつか言える時が来れば言ってください。」
「そうだな、そうしようかな。」
久しぶりに自分が知っている信一郎の笑顔を見て、後藤も顔がほころんだ。
__カーテンをシャーッと閉めてから、2人で笑い合った。いつもの知っている信一郎に戻った。そう思った後藤は泣いて、涙を隠すために後ろを向いたので気づかなかった。信一郎の中に宿ったシンイチロウが先程、家族が来たときと同じ無機質な目を彼に向けていたことを、彼は知らなかった。




