…飛び立とう!
大陸暦1833年8月15日、日本では終戦記念日にあたるこの日、俺はその日1日中マルチウスをエレノアと昭美さんの3人で回った。
「楽しかったな!」
「そうね、そろそろかしらね?」
空は茜色になっており、日が沈もうとしていた。そろそろ、迎えが来てしまう頃だろうか……そう考えていると携帯が鳴って『大聖堂の方に来てくれ』とメールが来た。途中、昭美さんが新しい掃除用具が欲しいと買ったり、足掻きに近い時間稼ぎをした。
「大聖堂か……」
トボトボと歩きながら何も話さずに大聖堂の方へ向かって、重い扉を開けて中に入った。高い天井の上に神話の絵画が描かれている。……これはあの広場で見かけた2体の女神像の話なのか、女神の手には扇とホウキが握られていた。あの時は犬が鳩を噛み殺したという嫌な出来事があったのであまり女神にたいして良い思いはないが荘厳で窓が小さく、光はあまり入ってこないようになっている造りだった。多分、光の当たり方とかアブシンベル神殿のように計算されて造られているんだろう。今だって、夕陽がわずかに射し込んできて女神の後ろにいる太陽神が神々しく照らされていて後光のように見える。普段から近づこうとしなかった場所だけれどもっと見ておけばよかった、また後悔した。
その大聖堂の奥の神像の前に、懐かしい人は立っていた。
「ヘンドリック…久しぶりだな、元気だったか?」
『死んだ我が身である、元気かと問われても困るな。』
「そうか……」
約1年ぶりだったか、久しぶりに会ったヘンドリックは変わらなかった。ヘンドリックはエレノアの方を向いてから笑った後、『では、そろそろ行くか。最後に別れの挨拶でもしておきなさい』と言った。その時、バンという大きな音がして振り返るが誰もいない。居るのは、礼拝に来ていた数人の者だけ……ヘンドリックだけは眉をひそめて不機嫌な顔になっていた。
俺は、エレノアと昭美さんの方に向き直ってから精一杯の笑顔を作って
「ありがとう……!今までありがとう、俺を助けてくれて…俺についてきてくれてありがとう!俺は今まで本当に、本当に幸せだった。俺、絶対にここでの事、忘れないから……!」
こう涙を流しながらハグをして言った。
その後、ヘンドリックの方を向いてから言った。
「じゃあ…ヘンドリック、始めてくれ…」
「待って!これ……私とアキミさんで作ったの!ハンカチよ、向こうで使って…」
ハンカチを渡されて、それを収納魔法でしまう。そして向き直ってからヘンドリックが俺に何か魔法をかけた、淡い光がぽうっと少し暗くなっている大聖堂を照らした。
「これが貴方の本当の姿……」
エレノアがそう呟き、昭美さんに鏡を渡されて見てみると、俺は46の姿に…2010年1月18日の姿へと戻っていた。手の火傷も腕の傷も無くなっていた。
「いよいよか……」
『ああ、さあ準備をするからそこに立ってくれ。私はまだ未熟者故、2分ほど時間が掛かってしまう…さあ、3分後には天上に居る筈だ。』
そして、ヘンドリックが目を閉じて、準備をして待っている時、数人居た人混みから1人の男が強い敵愾心を持って、エレノアと昭美さんをその貧相な体格からはあり得ない力で突き飛ばして、猛然とこちらの方へ走ってきた。
「お前が、お前が、神の復活をををををををを!」
コイツは、あの噛ませ犬……!
そう思った時にはもう彼の持っていたナイフが深々と腹部に刺さった後だった。
「ぐっ!」
小さく呻き声をあげる、ヂクヂクとする痛みが激しさを増してきて呼吸をするのも苦しくなってくる。尚も彼は刺さったナイフを抜き取って刺そうとしてくる、今度は心臓を狙っていた。それをなんとか避けてから奴の脛を蹴りあげようとしたが、痛みが酷くて足もあがらずそのまま踞る。
(あ、そうだ……物理攻撃耐性モドキ……!)
そう思うと同時に俺の身体は光に包まれて眩しくて何があるのかも見えなかった。最後に聞こえたのは、エレノアと昭美が自分の名前を呼ぶ声だった。
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先程まで転げるほどに痛かった痛みが消えて、俺は目を開いた。目の前には俺を覗きこむミラーナ様の顔がドアップで映っていた。
『ごめん、やっぱり僕が行くべきだったかな?ヘンドリックに天上での事を慣れさせる為に行かせたんだけれどダメだったかな。……さて、僕は傷を治すような魔法は持ってないんだよね……体力の回復なら出来なくはないけれど、いくら回復させた所で身体は傷があるから内側から崩れていってそのうち死に至ってしまう。君は物理攻撃耐性モドキを使おうとしていたようだけれど、それだと血を多く失って死んでしまうところだったからその前にここに来たのはよかった。……モドキでなくともあの魔法は一時的に痛覚を感じなくさせるから痛みを感じないだけであって、身体はダメージをちゃんと受けているんだから……』
「ミラーナ様……俺に難しいことは分かりません、なるべく簡潔にお願いします。」
『随分と急いでいるようだね、向こうに帰らなければならないけれどこっちに居たい。これ以上想いが膨らまないようにしたいわけか……ならば言うことは2つだけ。
1つ、こちらの事は時々思い出す程度にしなさい。後、人に話してはいけないよ。この世界のシステムや管理者の存在は…まあ、君が話した所で僕らの存在は異次元の者みたいな感じだから普通の人間には知覚出来ないんだけれどアマテラスの場合は地上に住んでいるから、色々と面倒だ。
2つ、中井昭美から未来の情報を得たね。あれも人に話してはいけないよ。……別に、僕らは世間一般で言われているような清廉潔白な神様ではないから未来を大きく変えない範囲で使うのは許可している。……君に出した指令だっていつかは解決されるモノだった、それが予定より10年も前にヒロインから君へと変わっただけだ。唯一変えてしまった運命があるのだとすれば、それはエレノア嬢とクロハ嬢が女男爵になったことくらいか……でも、それぐらいなら別に構わない。
………さあ、お行きなさい。あちらに行って少し歩いたら無事、日本に着く筈だから。アマテラスには連絡つけておくから…』
ミラーナ様が指し示した場所には、金色に輝く光があった。俺がそちらへ向かおうとすると、ヘンドリックに声をかけられた。
『湖を見てみろ……』
湖の下ではあの噛ませ犬が憲兵に押さえつけられていた。エレノアと昭美さんは側で泣いていた。
『お前、携帯電話を持っているよな?貸してみろ。』
「何をする気だ……」
ヘンドリックは俺から奪った携帯電話を湖に向かって放り投げた。携帯電話はポチャンという音を立てて沈んでいって、黒い影となり、遂には見えなくなっていった。
『彼女らにだって心の支えは必要だ。』
「………そういう事か。あちらに行って体調が良くなってからまずすべき事は携帯を買うことか。あんなにアッサリ落としてしまったが、あれには全員の電話番号入っていたんだぞ?」
『ハッハッハ、それは済まない事をしたな』
「じゃあ…さらばだ。」
俺はそう天上世界にも別れを告げて、光の方へと入っていった。そして__。
シンイチロウが居なくなってから、ミラーナはアマテラスに連絡をいれた。しかし、繋がらない。
『アマテラス、アイツ……何やっているんだよ!シンイチロウはそっちへ向かっているんだぞ。ヘンドリック、繋がらない……』
『そ、それは……』
慌てているとようやく繋がって、寝ぼけた声でアマテラスは返事をした。
『先程から騒がしいの……妾は夜は苦手じゃ。』
『苦手じゃじゃないよ!シンイチロウはもうそっちへ向かっているよ!』
すると、アマテラスはガバリと起き上がって上ずった声を出した。
『な、何だって!お前達がジックリ時間をかけて奴をそちらに置いたままにしておいたから、まだ当分は帰らないのかと思った。しかし、どうしよう……前に旅行に行った時から座標を戻していない。今戻られても、そこに転送されるだけなのだが。』
『りょ、旅行……!?どこに旅行したんだ!』
ミラーナが驚いて声をあげると、アマテラスは考えていた。
『えっと、熱海だったか……いや、熱海はその前だ。……ええっと、ええっと、あ!思い出した、千葉の山奥に冬神神社の前に住んでいた祠があるのじゃが、久々にそちらに行っていた。確か、座標はその山だったか。……大丈夫じゃ。妾は山登りも好きでな、そんな山奥にセットしていた訳ではないから。割と人里に近い所な筈、誰かが救急車でも呼んでくれる。シンイチロウはきっと大丈夫だ!』
『信用できないな……』
ミラーナはシンイチロウが指令解決して、日本に帰った後も何やらアマテラスに振り回されるような予感を感じて、彼を気の毒に思った。




