静かなる裏切り
__一体何処で私は道を間違えたのだろうか?
私が本当に道を間違えたのかというのは、きっと神にしか分からぬ事なのだと思う。しかしながら、私は確かに道を間違えたと痛感している。
目の前に広がっているのは酒に、女に、薬に、肉欲に甘い砂糖のような毒に溺れて堕落した人々、共に卑しき血筋から青き血を守ると誓った筈の同志……その筈だった、同じ志を持った者同士だと思っていた。
「うむ、皇位奪還は早くても8~9月には行えるように準備をしておきたい。」
「ハッ!それならば、首都近郊にて既に私兵を集めております。」
「私のも合わせると大体どのくらいになる。」
「ざっと5000人程度でしょうか?」
「まあ、その程度か……しかし、その人数ならば難しい。軍備を整え、時流を待てばなんとかなろう。」
仲間達が言う言葉を他人事のように私は聞いていた。目を閉じる、私は一体何処で間違えた。
__父に連れられて先代のノルマンディア公爵に出会って感化された時?いいや、その時はまだ純粋に青き血を守るという想いからだった。
__“王の集い”を先代のノルマンディア公爵が創設して、そこに同胞だと思っていた彼らがやって来た時?いいや、それも違う。
__若くして先代公爵が死に、彼らが舵取りをするようになった時?違う、まだここまでではなかった。
__占い師と名乗る女が我らに怪しげな薬を売り付けた時?……ここからだ、ここから我らは悪に手を染めるようになった。
__そうだ、その後大きくなったノルマンディア公爵が加わった事で私達はクーデターなどという恐れ多き大罪を達成してみようなどという出過ぎた真似をしようとし始めたのだ。
「_ム侯爵……クライム侯爵!一体どうした、先程からぼんやりとしているが、何処か具合でも悪いのか?」
「はい……実は数日前より具合が良くなくて。」
「それはいけない、もう今日の所は帰りなさい。しっかりと養生するように。」
「ありがとうございます。」
ノルマンディア公爵より退出の許可を貰った私は帰らせてもらうことにした。具合が悪い訳ではない、ただあそこでまるで自分だけが異物のようだと感じただけだ。おかしい、あれだけ大それた事を考えようとしているのにあの人達はそれが実現するように思っている。
「__そろそろ、ここも終わりなのかもな」
クーデターを考える時点で終わりだ。それ以前から悪い事をしてきたのだから気づいたのが遅いなどと言う人も居るかもしれない。しかし、あそこが異常だというのはそこにどっぷりと漬かっている者には案外気づけないものだ。
__私は、売ろうとした娘の死の後に待ち受けていた彼らの仕打ちで気づけた。ほぼ唯一気づけた私ですらそのような事がないと気づけなかった。
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あの場所に行くのは控えておいた方が身のためだ。私の中の貴族の誇りを持っている部分がそう叫んでくる。しかし、私はあそこに行くのを止める気はない。それはこういう思いからだ。
「残された道は少ないからな……どっちに動こうとも破滅は確実だ。」
クーデターはほぼ成功しないと思う。同志達が既に狂い、暗愚で知略に欠けているから。
それもあるが、それ以外にも訳はある。1つは、血判状だ。あれに皆が判を捺した後に持ち出そうとすると何故か無くなっていた。持っていた偽物を木箱に入れておきなんとか事なきを得たが、私達の目的に気づいている女帝側が密偵でも遣って盗ませたのか私と同じように気づけた人間が居るのか……本物の血判状の喪失は私が彼らを静かに裏切ろうとする力を与えてくれた。
「私は、私のやり方でやる。」
彼らと縁を切ろうにも切れない、女帝やナショスト公爵の方に行くのも叶わない。
私は青い血を守るという先代公爵の考えには賛同できるし、“王の集い”はその理念の元で動いている。しかしながら、私は女帝を廃し、クーデターを行うのには賛同しかねる。平和あってこそできる悪事であり、ノルマンディア公爵が皇位に就いた所で国の半分以上の貴族を味方につけるナショスト公爵の閥と中立な者達を敵に回せばとても太刀打ちなど出来ない。私自身はこの今の平和にそれほど不満があるわけではなかった。ただ女帝の思想と我らの元の思想は合わない、それだけの話だ。
「女官長はスパイに成り果てた。」
「ノルマンディア公爵はクーデターを考えている。」
「ノルマンディア公爵は悪逆非道な方。」
私は“妖精おじさん”となり、女官達に囁くことにした。正直言って辛かった、慕った先代の息子に対する悪口を言うのは身が削られるような思いだった。消えてしまいたかったし、胸が痛くて痛くて仕方なかった。それでも心を鬼にして流し続けたのは、この噂が広まり、あの御方が踏み留まってくれるか…女帝が我らの嫌な企みに気づいて止めてくれるかを期待しての行為だった。
私は別に構わない、どちらに動こうとも待ち受けているのは破滅だ。血判状にサインをしてしまっているのだから逮捕されるかクーデターが成功してもなお財布代わりに耐えがたき扱いを受けて発狂するのを待つか2つに1つしか道は残されていない。
「どうか、どうか、踏み留まってください……」
私は慕った先代の息子に死なれたくはない。だから、そうしてほしい……。それはきっと叶わぬ願いなのだと思う、なれど私はそれでも信じたい。月桂樹の刺繍がされたジャケットを纏い、私は今日も宮廷を歩く。軋む心を押し隠して、心の中で泣いて、泣いて、どうか気づいてくださいと祈りながら私は歩いた。
「あら、クライム侯爵……?珍しい御方がこのような所に何の用で?随分、汗をかいて顔色も悪いようですが……」
「ナショスト公爵夫人、心配には及びません。部屋を間違い、女性の話を邪魔をしてしまい申し訳ない、では失礼する。」
ナショスト公爵夫人が開いているサロンの扉をうっかり開けてしまった。
「その月桂樹は誰を裏切るつもり?」
「は?裏切るですと?私は帝国臣民として陛下に愛を捧げております。」
タラリと汗が垂れた。年下のナショスト公爵夫人にまでからかわれるとは終わりだ。
「まあ、では知らなかったのね?月桂樹には栄光という花言葉もありますが、裏切りという花言葉もあるのよ?……それと、思ってもないことを言われるとこんなに心に響かないと初めて知りました。侯爵は、女帝陛下よりもノルマンディア公爵に忠誠を誓っておられる様子。」
「馬鹿な事を申すな!ノルマンディア公爵は私がお慕いしていた先代の子息故に親愛しているだけである。平和をこよなく愛する女帝陛下に妙な考えを持った覚えはありません。」
「何故、そのようにむきになる必要が?やはり、“妖精おじさん”の噂は本当なのかしら」
「ハッ!公爵夫人ともあろう御方が信憑性に欠ける宮廷の噂を信じるとは世も末だ。……失礼する。」
今度こそ公爵夫人の部屋から出ていった。
……栄光、裏切り…私はその花言葉もちゃんと知っていた。月桂樹を選んだのは、先代公爵と誓ったあの若い頃の春を思い出させる花だからというのと、我が世の春が来て栄光を再び取り戻したいという思い。そして、お世話になった先代の息子を裏切りますという合図からだ。
「私は変われない、このままじゃダメだと知っているのに変われない。………ごめんなさい。」
破滅への道を進む中で気づかされたクライム侯爵、彼は静かに“王の集い”を裏切った。




