女帝からの手紙
朝、夏休み中の学生のようにだいぶ遅くに起きてから大欠伸をする。昨日はあの秘密通路で思わぬ収穫を得たのでつい夜更かししすぎてしまった。
翌朝、もう昼近くになってからようやく仕事も一段落ついて休憩時間に入ったのでいつもの3人で話をする。話題はもちろん昨日の事だ。
「………そんな事があったの。でも、クライム侯爵ってこんなに苦悩するというか哀愁漂う御方だったかしら?なんだか私が知っているクライム侯爵となんか違う、悟りでも開いたような感じがするわ。」
「クライム侯爵、彼にも色々あったのだろうがそれは置いておいて、そんな事があったのかとはこっちのセリフだ。あの秘密の館に向かう前にノルマンディア公爵がナショスト派の夜会に姿を見せていたとは……一体どういう風の吹きまわしなんだ?自ら偵察か、だとしたら大胆だな。」
「そこまでは分からない、でもナショスト公爵夫人も困惑していたわ。こっちだって驚きよ、まさかノルマンディア公爵が本当にクーデターを考えていたなんて……」
まったく、クーデターなんてしなくても普通に慎ましく暮らしていれば……なんて思ったが、そもそも普通の一般庶民と感覚も違うのでそう言った所で意味無いか。
覗き穴越しで夜だったので少し粗くなってしまった数分の動画を見ながら感想を漏らした。
「なあ、奴らを壊滅させるという事はクーデターも防ぐって事だよな……面倒な事になったな。」
「……ノルマンディア公爵は馬鹿なの?あなた達2人の話を聞いていても思ったのだけれどわざわざ血判状を残そうとしたり、近しくない派閥に自ら飛び込んでいったり、自爆しているようにしか見えないのだけれど。」
「クーデターを止めるなんて面倒な事だな……でも血判状って事はそれを捺してから準備し始めるんだよな?そうなのだとすれば、まだ本格的な計画などは立っていないんだろう……芽を早めに摘み取れって事か。」
「そういう事になりますね。まるで小説みたいな展開になってきました」
昭美は古く黄ばんだ小説を読みながら、そう言った。不思議な事にあれだけ“異世界”の話やこれが終われば……という話をしていたのに最近では昔の話こそすれど自ら触れてこようとはしてこなくなっていった。
「そうだな、6月に入ったら夜はあの通路に行くようにする。その血判状を盗む、罪だと言われたとしても立派なクーデターを企んでいた証拠品だ。」
「シンイチロウ、私も___」
「エレノア、着いてくるというつもりなら止めろ。お前はおとなしく家に居ろ。お前を危険に巻き込む訳にはいかないし、人数が多いと却って足手纏いになる。」
「うう……分かった」
できるだけ少ない方が動きやすい、それに俺はチームプレイは苦手な人間なんだ。6月から改めて証拠をゲットする、その決意をシンイチロウは胸に刻んだ。
「そういえば最近はヘンリーを見ないわね、前はしょっちゅう誰かに取り憑いて会いに来てくれたのに。」
「そういえば言われてみるとそうだな……でも、アイツは自由気ままな浮遊霊だからきっとどこかをほっつき歩いているんだろう。幽霊か、そういう存在が本当に居るだなんて誰も信じてくれないだろうな。」
「まあ、それはそうですよ。世の中に起きることのほとんどを科学で解明しようとしている世の中ですから、この国も向こうも……」
「そうだな、きっとそういうのへの境界線だなんてどこにも無いんだろうな。それを解明なんて誰も出来ないよ。」
ヘンリーの姿をめっきり見なくなっていた、彼はずっとアベルの側に居た。そのアベルも予定だと後数ヶ月の命だ、きっとアベルの死を見届けたなら2人で天国に行くのだ。シンイチロウはそう思った。
「でも、この携帯電話とは本当に不思議ね……こうやって人の姿や動いている所をを映したり、遠く離れた人とすぐに話すことができる、まさに夢のよう。」
「エレノア、マルチウスでもきっとすぐに出てくる。後何年…いや、何十年か先にきっと……」
「その時に私やアキミさんはちゃんと生きているのかしらね。近い、すぐにと言うけれど多分結構遠い先の出来事よ。」
「確かにそうかもな、はぁそれにしてもなんか俺って疲れてるのかな。なんか最近身体が重いんだよね。」
「最近は指令解決と使用人の仕事の両立で大変だったので、疲れているんじゃないんですか?仕事は私がシンイチロウさんの分もしておきます、それにエリスも改心して仕事の分担もスムーズになったので心配要りません、シンイチロウさんは心置きなく指令の方に取り組んでください。」
昭美はそう言って気を使ってくれた、しかしシンイチロウはその言葉に甘える訳にはいかなかった。そりゃあ、指令解決はシンイチロウの最優先としたい事柄であるが、その為に本業を疎かにするような真似はしたくない。与えられた分だけでもいいので仕事はしたかった。
「いや、そういう訳には……俺は__」
シンイチロウが言葉を続けようとしたその時に、階下が騒がしいのが気になって言葉を止めた。何があったのかと3人で下に降りてみると、伯爵が何やら青白い顔をして何かを手にしたまま小刻みに震えていた。周りの人々が何があったのかと聞こうにも言葉を出せなかった、そして何やらたくさんの視線を感じて俺が代表して伯爵に何があったのかと聞いた。
「伯爵、そんな真冬みたいに震えてどうしたんですか?何か悪い知らせでもあったのですか?」
「い、い、い、いや、そそ、そうじゃない。エレノア、お前は一体何をしたんだ!?女帝陛下よりお前宛に書状が来ている……!」
その言葉でざわめきが大きくなった、メスリル伯爵家はそれなりに歴史は重ねてきたがまだまだ新参者だ。そして家計は火の車、ましてや背を焼くような借金を抱えていて少し前にそれを返済できたという事、それ以外は特に目立った情報は無い家である。間違っても女帝からの書状が届くような家では無いのだ。エレノアが中身を開けてみると中身はたいした事の無い挨拶だった。
《親愛なる臣民であるメスリル伯爵令嬢エレノア嬢
ナショスト公爵夫人が貴女の事を楽しげに話していました。彼女から聞く貴女の話はとても面白いものばかりです、特に使用人と様々な悩みを解決しようとなさっているそうですね。是非とも貴女と話してみたいのですが、残念な事に私の周りに居る男達が口うるさいのでそれは出来そうに無いわ。でも、貴女のような強い女性が活躍することをこれからも祈っています。
マルチウス帝国女帝ビクトリアーナ》
「う~ん、何か激しく勘違いされているような……活躍したのは主にシンイチロウで、私と言うわけではないんだけど」
そういえばナショスト公爵夫人が女帝陛下に紹介したいだなんてお世辞のような事を言っていたけれどまさか本当に話すなんて……そして、彼女がきっと話をうんと盛ったのね。私はこの通り嫁ぎ遅れの平凡な令嬢ですから。
「マジかよ……」
シンイチロウの声がシーンとした空間に響いた。皆が硬直して何も言えなかったのだ、昼間の日差しがぼんやりと入ってきて暖かなはずの伯爵家に秋の野分でも襲ってきたような感覚になっていた。頭が真っ白になって何も考えられないまま、放心状態で部屋まで帰って手紙をもう一度見た。そして、机の上に手紙を置いてからその場に座った。
「これって一体どういう意図があるのでしょうか?エレノア様に女帝陛下から直々の書状が来るなんて……」
「まあ、何らかの意図があるのだろうが…女帝はどうも女性の地位向上を目指しているのだろうからその為の布陣の1つじゃないのか?」
「私はそんな大それた地位に就けるような器の持ち主じゃないわ!……1つってまだこれからも来るつもり?冗談じゃない、お父様が額縁に飾ろうとか言い出して止まりそうに無いんだからもう勘弁してほしいわ!!」
「確かにあのメスリル伯爵の様子でははこのまま家宝にして明日辺りには言いふらしていそうです。そうなれば、エレノア様だって危険な目に遭います。」
昭美さんの言う事にも一理ある、身分が高い人間からの寵愛は確かに心強いものであるがそれと同時に流言蜚語や陰謀に巻き込まれ苦しむこととなる。
「と、とりあえず、今は他の推論やおぞましい計画を止める事は忘れて伯爵を止めよう!!そうしないとエレノアが危ない」
「か、過保護過ぎるわ!」
「そんな事無いです!エレノア様はご自分の事に無頓着過ぎます。シンイチロウさんの言う通り、しがらみにとらわれる羽目になるのですよ!伯爵が言いふらすのは止めないといけません。」
「もー、2人が怖いわ!」
また急いで階下に降りてから喜び震えて天を見上げて昇天しそうになっていた伯爵を『家宝にするのは構わないが言いふらすな!』と使用人総出で締め上げてなんとか事なき事を得た……?のか、まあ、あれだけ口を酸っぱくさせて言えば問題ない……と思っていたのだが何処かから漏れてエレノアは茶会や夜会に行く度に好奇の目線を向けられたのだとか。
「……シンイチロウやアキミさんが言っていた事がよく分かったわ。」
数日後、エレノアは死んだ目をして機械のように無機質な声で言うこととなる事をまだこの時は知らなかった。




