夜会に居た珍しい人物
シンイチロウが昭美と共に地下の秘密通路でかの御方達の裏側を覗き見ていたその頃、エレノアはナショスト公爵夫人が主催している夜会へ参加していた。……ただし、舞踏会を彩る華々しい花ではなく壁の花としてであるが。
「貴女の家もなんか色々な事が起こるよね、シンイチロウの事とか……。」
「そう、ですね……確かに、この2年はとても忙しくて楽しい日々が続いています。」
久しぶりにマリア=ドレリアン男爵夫人と一緒になった。彼女もまた中立派の家の方なので色々と苦労しているようだ。扇を口元に持ってきてため息を吐いた。
「ねえ、私達もそろそろ身の振り方を考える時期に来ているのかしらね……ほら、あそこをご覧なさい。ナショスト公爵夫人、彼女に今挨拶をしているのってランディ伯爵……ずっと中立派だって宣言していた方よ。彼まで公爵の方の閥に加わってしまった……」
「本当ですね…確かに、そろそろ転換期に来ているのかもしれませんね。マリア様は何か考えがあるのですか?」
「まさか、どちらかに加わるかしか無いと思うのだけれどフェルナンドはそれに反対しているの。……あの人は、派閥を率いる側だったお義父様の様子を見ていたから特定の派閥に入るのが嫌なのよ。無派閥という名の派閥を築くしかないのかしらね……」
「中々難しそうですね……」
「本当よ、生きにくい世の中になったわねぇ。」
そんな世知辛い世の中についての世間話をしていると見慣れない、珍しい人物もこの夜会へ招待されていたようだった。私は、バイキングの肉コーナーの人がいつ少なくなるのかと今か今かと待ち構えていたので気づけなかったのだが、マリア様はその人物に気づいていた。
「あれは……ノルマンディア公爵様じゃないかしら。」
「え?ノルマンディア公爵?珍しいですね、普段はこういうナショスト公爵夫人や彼女と近しい方とは遠ざかっている御方だと思っていたんだけど……」
見ている方向を見てみると確かにノルマンディア公爵の姿だった。カラスの羽のような漆黒を基調とした紫色のドレスを着たナショスト公爵夫人と話していたのは、彼女のドレスのような漆黒の長髪が特徴の齢25の女帝の従弟ノルマンディア公爵だった。
マリア様の前だから珍しいねぐらいの反応で誤魔化したが、これは怪しい……シンイチロウとアキミさんのしていた物騒でもしそうでなければとても不敬な推測を聞いているからか嫌な方向にしか考えられない。
「エレノア……顔色が悪いけれど大丈夫?」
「大丈夫です……」
推測とはいえあんな物騒な話を聞いたら、怪しく見えてしまう。これはシンイチロウの為を思うなら証拠を握るチャンスであろう、しかしあのような怪しげな妖艶さがある彼と関わるのはあまりよろしくなさそうだと感じて帰ろうかと考えはじめていた。でも、エレノアの思いは虚しく彼はどういう訳かナショスト公爵夫人と共にこちらに近づいてきていた。
「ドレリアン男爵夫人、そしてメスリル伯爵令嬢、楽しんでいて?」
「え、ええ、楽しんでいますわ。」
私達が話している間、ノルマンディア公爵は何も喋らず話の輪に加わろうともせずにニコニコと不気味なほど笑顔で私達の様子を見ていた。
「ノルマンディア公爵、こちらはドレリアン男爵夫人とメスリル伯爵令嬢のエレノア様…お2人は知っていると思うけれど、こちらの御方はノルマンディア公爵のドナルド様よ。」
「「はじめまして、よろしくお願いします。」」
その後、しばらく話したが彼はやはり会話には入ってこない。ナショスト公爵夫人も流石に苛立ったのか何か話さないのかと言うと彼は低い声で一言だけ、
「お2人とは初めて会いましたが、ドレリアン男爵家の噂ならば聞いています……昔、先帝の御代に我が帝国の悲願であったナクガア王国との国交正常化に尽力した家と聞いています。メスリル伯爵家もなんとなく聞いたことはあります……」
「はぁ、ありがとうございます。」
…………ここで話が途切れてしまった。
彼は口ベタなのだろうか?社交は苦手な御方なのかしらね、父君も気難しい御方だったらしいという噂をなんとなく聞いたことはあったから。
「あ、ナショスト公爵夫人…もうそろそろ失礼してもよろしいですか?少しこの後には用があるので。」
「お早いお帰りで……まだ11時にもなっていないわ、それにこれからが夜会の本番でしてよ。皆様がお話がしたいと……」
「公爵夫人、嘘はよくない。どうせ、やがて子供が生まれて、その子が爵位を継ぐ頃には我がノルマンディア公爵家もただの一田舎貴族に零落しているだろう。」
「そんな事は、それは公爵の働き次第ですわ。かつて、皇位継承の際は奸臣のせいで有らぬ噂を流されたことですが、女帝陛下にとっても貴方は従弟君……それにあの御方は公正に評価する御方です。」
公爵夫人が述べたのは一般的に伝えられている女帝の人物像である、秘密通路からの覗き見でチラリと見た程度のエレノアに正しいのかは分からない。ただ、あの時…女帝と言われてもおかしくないオーラに圧倒されたのも事実だ。
「そうだったとしても周りはそうは思ってくれないみたいだ。ちらほら陛下は貴女を重用しすぎだという噂を聞く。……あながちそれは間違っていないと思う、女帝は貴女を2日に1度の頻度で呼び寄せて面会しているのだとか……宮廷に勤める者ならまだしも夫人を呼び寄せるとは並々ならぬご寵愛の様子。」
「どこからそのような噂が……」
「壁に耳ありだ、気をつけた方がよろしい。では、失礼させてもらう。」
意味深な笑みを浮かべてノルマンディア公爵は去っていった。時計は午後10時49分を指し示していた。
彼が居なくなった後で、ナショスト公爵夫人は首をかしげていた。
「しかし、一体どこからそのような噂が……確かに女帝陛下にはよく拝謁しているわ。でも、一度も誰にも話したことなかったのだけれども……」
「確かに私もそのような噂は聞いたことがありませんわ。」
聞いたことのない話にかしげる2人だが、エレノアには彼の情報源が想像ついた。きっと女官長のターニャ夫人から情報を得ていたのだろう。……しかし、ナショスト公爵夫人が彼のような人間を招くのは正直意外だ。
「女帝陛下に会えるなんて羨ましいですわ。……しかし、公爵夫人がノルマンディア公爵のようなお方を招くとはそれにも驚いていますわ。」
「ああ、それは……なぜかあちらの方から招待状が欲しいという要請があって仕方なくの事よ。嫌なら最初から無理して来なくても良いのに。」
「まあ………」
ノルマンディア公爵はナショスト派に近づこうとしている?でも、どうして……情報を得るなら本人でなくても別に構わないと思う。でも、不自然な動き……警戒した方が良いかも、そんな風に考え込んでいるとナショスト公爵夫人が爆弾発言をした。
「もしよければ女帝陛下に貴女の事を話してみましょうか?運が良ければ会える可能性があってよ。」
「じょ、女帝陛下に会うなんてそんな事は私ごときには……」
「あら、そう。……まあ、良いわ。ほら、踊ってきなさい。貴女だってだいぶ適齢期を過ぎかけていてマズイけれどまだ、まだなんとか大丈夫よ。男の人を誘いなさい。」
公爵夫人が私の方を見てくる、これは本気で言っているな。しかし、私はもうノルマンディア公爵との接触だけで疲れているので帰りたい……。
「公爵夫人、エレノアには結婚の意思は無いみたいです。メスリル伯爵だって特に急げとも言っていないのでこのままでもよろしいのでは。それに、今日は具合が悪いみたいです。」
「確かに、言われてみれば顔色が良くないわ。それに貴女はシンイチロウと一緒に居る方が幸せに見える…のびのびとした方が良いのかもしれないわね。」
「公爵夫人、今日は失礼します。…でもっ…わ、私は貴族令嬢である以上は…来るときが来たら相手は探しますわ…もし見つからないのなら…クロハのように宮廷に勤める事も考えますわ。それが、必要ならば…」
2人は何故か驚いた顔をしていた、何をそんなに驚くようなことがあったのか。私は別に驚かせるような事は言っていないと思うが。
「まあ、そうなったらシンイチロウが寂しがりそうね。」
「そうなる前に、シンイチロウは…か、彼は私の前から居なくなるでしょう。彼には、遠く遠く離れたもう2度と会えない場所に帰る義務があるのですから。……そうしないと、いけないんです。私が引き留めちゃいけないんです、彼が帰らないと今まで犠牲にしてきたものはすべて無駄になってしまうんですから……!」
「それって一体どういう事?」
「夢が覚めるように、魔法はいつか解けるんです。でも、今は解けてほしくなんてない、です。ニホンに帰ってほしくなんてない……」
午前0時までは後一時間、夜会は大きな盛り上がりを見せようとしていた。しかし、エレノアは気分が悪くなって途中で帰った。




