大陸暦1833年5月3日、劇はイマイチ
5月の最初、ようやくお父様はウチの外出を許してくれた。あれは年変わったばかりの頃からだったからもうかれこれ5ヶ月も家の中で軟禁状態だった。マナセイン伯爵令嬢クロハは久々の外の空気を胸一杯に吸って伸びをした。
「清々しい空気、生き返る気分や!」
「そこまでですか?……それと、もう少し声を落としてください。」
オリンにそう言われて仕方なく声を落とす、彼の言う事も分からなくはないが外が久しぶりすぎてどうしてもテンションが上がってしまう。萎びたレタスがまた瑞々しくなるような感覚になる。
「分かっとる、けど久々で空気が美味しくてあまりにも感動して……!そういえば、噂によればシンイチロウも戻ったらしいな?後で会いに行こうかな」
「それもいいですけど今日は劇を見る為に特別に旦那様が許可してくれたのですよ?シンイチロウ達にはまた今度、旦那様の機嫌が絶好調でタイミングがいい時に頼みましょう。」
「それ待ってたら何年後になるんやろうか……」
今日見る劇は少し前に流行った小説を舞台化したというもので今の首都の貴族や中流階級の中で流行っているものだ。読んだけれど途中で飽きて読むのを断念したのであんまりハッキリと覚えていないが、有名なラブロマンス系の内容だったと思う。
「今日見るヤツ、なんてタイトルやったっけ?ストーリーもそうやけんどほとんど覚えとらんのよ。」
「『ああ、愛しのマーガレット』ですよ、あんなに流行っていたのに覚えていないなんて……」
「ウチはそういうの覚えるんは苦手なんよ。どっちかと言われたらオリンみたいな格好いい男がバッサバッサ敵を倒したりするのを見てみたいわ!オリン、今から宇宙人でもなんでもいいから倒してきぃや。」
「無茶な事言いますね、貴女は!」
人混みを歩いていく。すると、ある広告が目についた。
「なになに……女官の急募やと。」
「そういえば、任官試験の時に女帝陛下の前で規則に反する薄い桃色や水色の衣を纏った方々が多数居て今年の採用人数がガクンと落ち込んだのだとか……女官長のターニャ夫人も女帝陛下よりお叱りを受けたという噂。多分、そのためでしょう。」
「ふうん、こりゃ明らかに女官長の落ち度やないか?だって、点検してそんな服を着ているのなら事前に着替え直せばいいじゃない。彼女も何か真っ黒ね。」
「宮廷に黒くない御方など居ないと思うのですけど。どんなに清純な真っ白な子でも黒く染まってしまう場所、それが宮廷ですから。」
「………まるで、そういう経験あるような口振りやな。どういう事や?」
「………いいえ、そんなわけありません。」
オリンはそれ以来口を閉ざしてしまった。
そのまま劇場に着いてしまい、口を聞くこともなくなってしまいどういう経験があったのかも分からずじまいだ。
そして、観劇の後……
「なんか、イマイチやな。」
クロハが抱いた感想はこうだった。劇は悪くなかったのだと思う、演者も舞台も悪くはなかった。でも、原作とストーリーが違うのがいけないのか分からないが何か一流とは言えないのだ。
「酷いですね、旦那様が気分転換にと苦労してチケットを取ってくれたというのに」
「ツマランもんはツマラン!」
そう言って2人で帰った。
後から思えば、旦那様がチケットを苦労して取ってくれたのはクロハが宮廷に上がる前に最後の娯楽を提供してくれたのではないか、そうオリンは思う。クロハがマナセイン伯爵の手によって宮廷へ試験を受けに行かされたのはそれから2週間経った頃の事だった。




