大陸暦1833年5月1日、予定調和なこの世界
管理者によって歪めることも可能な世界達。それでも予定調和な事も存在するのか、俺はこの知らせを聞いた時にそう思った。それだったら指令を解決したってそれは10年後に解決されるべき事柄を先取り解決しようとしているだけだろうし、今まで必死に動き回ったあれらも実は予定調和だったのかもしれない、それは管理者にしか分からないのだろうけれども。
「えっ……アベル様が倒れた?」
「そうなの、でももう70も過ぎて結構な歳だから……」
「ああ、そうか。そうだよな…!」
エレノアからこの知らせを聞いた時に俺は、彼が今年の誕生日を迎えた後ぐらいに死ぬ予定なのを思い出した。彼は、過去編ではそういう予定だった。……俺はゲームのシナリオを変えることはできても、人の死や刻々と過ぎ去っていく時間を止めたり戻したりすることはできない、そして変えられるシナリオだって神様がそれを許容してくれているからであって、意に添わない事であれば容赦なく俺のやろうとした事は無かった事にされる。__ここでの俺の存在のように。
「お見舞いに行きましょう、私だってお世話になった人だもの。我が家の借金を消してくれたのはあの御方だから。」
「ああ、悪徳宰相アベル……」
「昭美さん、その呼び方は止めてやれ、彼が国外追放されたのは濡れ衣だから。もう四半世紀も前で証拠も残ってないだろうけどそういう事だから何も言ってやるな。」
「本当にそうなのですか?彼が嘘をついているのかもしれませんよ。」
「ちょっとアキミさん、そんな言い方……」
「まあ、行こう。昭美さんは何も言わないで見舞いに……」
俺はそうやって昭美を嗜めたが心の中では彼女の気持ちも分からなくないと思っていた。
何故そう思ったのか、俺の今の状況が今までの前提をひっくり返せと言っているのかそれとも人を信じすぎたと感じたのかは分からない。
屋敷に行くとアベル様はベッドに横たわっていた。顔はやや赤黒く元気がないように見える。お茶を出した小間使いに丁寧さが足りないと叱る元気はあるようだったけれど、以前に比べると元気がないのは確かだった。
「わざわざ見舞いに来てもらうほどの事じゃないよ。私は平気だ、ただちょっとクラっときただけでフェルナンドが大袈裟に医者なんぞ呼びおって!エレノア嬢、私は平気だからもういいよ、見舞いの品はありがたく頂いておく。」
「は、はぁ……そうですか。」
……撤回、どうやら心配しすぎたのかもしれない。憎まれ口を叩く元気があるのならまだまだ長く生きられるのだろう。そう微かな違和感を感じながら思った。
そうやって、俺達3人が出ていこうとすると彼は俺を呼び止めた。
「待て、シンイチロウ君。君には少しだけ話がある、君ら2人は先に行っていてくれないか?」
「話、ですか……?」
俺はアベル様と関わった事はあまり多くはないので何の用なのか考えたが見つからなかった。
そうしているうちにエレノア達2人が出ていって俺はアベルと2人、薬臭い部屋に残された。
「あの、何の用ですか?俺は貴方と関わったのはそんな多くはないと思うんですけど。」
「ああ、そうだろうな。」
そんな胸張って言われても……俺、帰ってもいいでしょうか。先程から胃がキリキリとしてきたんですけど。思っていることが伝わってしまったのかムッとした顔をして逃げないでくれと言われた。
「君、君にたった1つだけでいいんだ。お願いがあるんだ……頼む、私の事をアベルと呼んでくれ。1度でいい、だから何も考えずに何も言わずにそう呼んでくれ。」
「アベル……」
何の感情も籠めずにほぼ反射的に返してしまった。しかし、それでも彼はなにかを思い出すようにギュッと自分の服の裾を掴んでからそのうち涙をツーッと流した。俺には心当たりのような物があった、俺にどこか似ていたというヘンドリックの息子の事を思い出しているんだと漠然と思った。そして、そのまま体を支える力を失い倒れ込もうとしている彼を支えて胸に飛び込んでくる形になった。刹那、顔を上げたアベルと視線がぶつかった。
「あ、すまない……少し体の力が抜けて。」
「い、いえ、別に大丈夫です。」
しかし、すぐに視線は離れて気不味い空気が流れた。その湿気を含んだような空気をぶった切るようにアベルが言った。
「君は、確か異世界から来たのだろう?それならば、摩訶不思議な経験をしたのならば信じてくれるだろう。だからこそ、話すのだが私はもう長くない……そう、そうやって思うんだ。私には、最近…見えるんだ。死神というのだろうか、黒い影のようなものが見えるんだ。」
「死神、ですか……神や眷属、幽霊までいるならば死神が居ても不思議ではないでしょうけど。」
「そうか、信じてくれるか……ならば良い。ただし、私より先に死なないでくれよ。」
弱々しく、ヒューヒューという音をさせながら彼は言った。全く話が見えない、彼は一体俺に何が言いたいんだろうか?
「あの、貴方は一体俺に何が言いたいんですか?先程から、名前を呼んでくれだの死神が見えるだの死ぬなだの言いたいことがさっぱり分かりません。」
「そうだな。君は何のためにここに居るんだ?もしも、何かを変えようとして居るのならば止めておいた方がいい、変えようとしても変えられない。運命を変えようとしたらきっと元の道筋よりも酷い運命を辿る事となる、だから止めておきなさい。この間のような囚われたり危険な目に遭うだろうし、君がしようとしていることはそうやって君の命をかけるような事なのか?」
「俺は、指令を解決しないと元居た世界に帰ることすら叶わないんです。ここに居たい、そうは思うけれどやり残した事もあるし、ここに居てもやがて正気を失って不幸をもたらすだけです。それならば、大人しく神様の思惑通りに操られて元の世界に帰った方がマシじゃないですか!……アベル様は俺にどうしてほしいんですか!」
「思惑通りに操られて……か、だけど思惑通りにならなければ君も殺される、彼のように。四半世紀前はそうだった、抗おうとして……消された。シンイチロウ、あの時は何がいけなかったのだろうな、私は自らが宰相になったときに過ちに気づいた。不相応な地位に就き、泥沼に足をつけながら知略が甘過ぎて仲間を失い、没落していった。それは運命だと諦めきれるさ、だがな何故彼が死ななければならなかったのかは分からない。それにあのような状況で……彼は初めからそうなってしまう運命だったのだと後に聞いた。しかしながら、私たちが変えようとしていたのはそこだけだった、死んだことにしようとしていただけだったのに彼は本当に死んでしまった。」
「アベル様、一体何の話を……!」
「昔話さ、誰も知らない。君は彼のようになってはいけない、顔は似ていても運命まで似ていてはいけない。これ以上危ないことは止めてくれ。」
アベルは必死だった、でも俺はそう言われた所で歩みを止めるわけにはいかない。顔の似ていた彼のようになるのだとしても歯を食いしばって最期まで頑張らなければならない。たとえ、人を殺したとしても罪を重ねたとしても。
「無理です、四半世紀前に運命の通りだったとしても今と当時は違います。俺は戻るためならば何でもします、人として踏み外した事だったとしても。」
「そうか、そこまで本気ならば仕方ないのだろう。しかし、そうなってはエレノア嬢やアキミ嬢だったか……彼女達は堪ったものじゃないな。」
彼はそれ以後何も言わなかった。
俺は先程の言葉を考えていた、“彼”の運命を後に聞いた。そう言っていたが、それならば彼にそれを教えたのは俺や昭美さんと同類だったのではと思った。
「アベル様、その昔話を教えてくれませんか?たいした理由はありませんけど。」
「長い話になるがよいか?」
「いいですよ、そのつもりですから。」
そうしてアベルが話始めた話で俺が以前に立てた考察は少し間違っていた、相変わらず残酷な事は変わらなかったがそれよりももっと浮かばれない、そんな話だった。
その話を聞いて予定調和、この言葉がズッシリと響いた。彼のように抗おうとも、俺のように操られようとも所詮はミラーナ様の手にすべてはあるのだと俺はそう痛感して嗚咽を漏らした。
アベルは気の毒そうにそれを見つめてから咳をした。




