大陸暦1833年4月15日、泡のような夢
作者が他の人から聞いた実話も含まれています。
俺が居た2010年から10年経つと様々な事が変わるらしい。中井昭美という女性の記憶を持つ侯爵令嬢アングと話すと時折こう感じる。
10年後には携帯電話ではなくスマートフォンが一般的らしい。DSはスイッチというゲーム機にその場所を奪われつつある。そして、島耕〇は社長から相談役にまで出世しているらしい。……言葉も時代も変わるというが徐々に変わっている、彼女と話しているとそう感じる。少し先の未来が発展していることを嬉しく思うが、やはり良いことばかりでも無さそうだと彼女の語ることから感じる。
「はぁ、時代って変わるのか……」
「オジさんみたいなこと言わないでください、10年経てば変わるものの1つや2つありますって!」
どうしてこんな話をしているのかというと昨日の昼にエレノアと見た美景を携帯電話に撮ってそれを彼女に見せると、10年後にはスマートフォンが一般的で画質ももっと良いと言われた。そこからこういう話に発展した。
「……だよな、時代は変わる。」
「その時に民自党はどうなっていると思います?シンイチロウさんが思っている事を言ってみてください。」
「……今よりダメになってそうだけどね、あの党は最後の砦を失ったんだ。あの選挙で大物を失い、散り散りになって基盤が揺れている。残るのは俺みたいな小粒な議員だけだ、そのうちダメになるね。ただ、10年後にも残っていてよかったとは思う。」
「………そう、ですか。」
しかし、話が暗い。もっと明るい話がしたい。俺は暗いときこそ明るく笑い飛ばすなんて器用なことができるわけではなかった。
「なあ、もっと明るい話がしたい。」
「じゃあ、自慢できる事ってありますか?」
「自慢ねぇ……親父が大臣やった事と青華学園に通っていたって事くらいだな。」
「えっ!青華学園……!?あの名門の私立学園ですよね!」
青華学園、日本有数の名門私立学校で幼稚園から大学まで一貫教育を行っている。政財界や名家の子女が多く通っている、乙女ゲームに出てきそうな要素すべてを詰め込んだハイスペック学園である。ちなみにシンイチロウは中学受験で入った外部入学組だ。
「外部入学ってかなりの高いハードルらしいって聞きましたよ、スゴイじゃないですか!………それがなんでこんなことに………」
「こんなことにとは失礼な…ここだけの裏話、かの学園はね在学生やOB・OGの親戚に有利に働くらしいんだよ。俺はお袋の従姉妹の何某さんのコネだって入学後に聞いてさ、一生懸命努力したのにそれを否定された気がして元々ひねくれていたのがもっと悪化したって今振り返ると思うんだよ。」
「そうだったんですか……って話暗くしているのシンイチロウさんの方じゃないですか!」
「ああ、ごめんごめん。」
「なんか私ばっかり話していてずるいです。シンイチロウさんの話ももっと聞いてみたいです。」
「青華学園の話とかか?それとも別の話か?」
「別です!私が生まれるよりも前の昔の話が聞きたいです。私は貴方よりも先を生きてきました、先を知っていても前の事は知識だけで生きた事はないので是非聞いてみたいです。」
前か……彼女が生まれるよりも前と言えば、平成不況の始まりやバブル景気などがある。そうだな、不況なんて不景気よりかは良い時の話をしよう。こんな頃もあったんだよという話をした方が良いだろう、それを話しても所詮は過去の事ではあるが俺もあの時代の一員だったんだから。
「じゃあそうだな……バブル時代の話なんてどうだ?あの頃はな超がつくほどの好景気に日本中が沸いていたんだ。昭美さんはバブルについてどれくらい知っている?」
「バブル……ディスコで女性が踊っている頃ってイメージしかありません。」
皆が皆踊っていた訳ではないが、ディスコもその代名詞と言っても過言では無いだろう。
バブル景気…人によって多少の認識の誤差はあるが一般的には1985年から1991年まで続いた超好景気の時代。経験した身としては、バブルは都会のバブルと田舎のバブルに分かれていて、都会は85、6年辺りから始まって山一証券の事件で実質的に崩壊していたのではないか、だが田舎はバブルが遅くにやって来たので都会よりも少し続いたのではないか?
………今となっては一括りにされていて、誰も確かめようともしないだろうが個人的にはそう思っている。
「バブルっていうのは本当に泡みたいな時代だっただろう、俺は世間で言われているような恩恵をたくさん受けた側の人間ではないから語られているようには言えないが。」
「そうなの?」
「そうだよ、確かに初任給はちょっと高かったし社員旅行も良い所行ったりと今思えば贅沢だったけどそれぐらいだなぁ……」
「なんか新鮮ですね、皆あの頃は良かったとか言っていましたから。」
昭美との間には名状しがたいズレがあった、バブルを多少知る者と知らない者の差ができていた。
「良いもんか、昭美さんみたいに女性なんて特に苦労しただろうな。男女雇用機会均等法が出来たばっかりだったから給料も雀の涙だ。例えば、大学の後輩なんてカフェでウェイトレスやってたんだけど時給420円だぞ!それに格差社会、格差社会と声高に叫んでいるがあの当時なんてちょっと外れに行けばあっちこっちホームレスだらけだったんだぞ、しかもNPOのような慈善団体はほとんど無いもんだから悲惨な目に遭うんだ。それを知っていたら格差社会とは言われているが、派遣社員になれて金を得られるという今は充分幸せだと思えるよ。」
「420……!?労働基準法を知らないの!?」
「いや、労基法あってそれだ。かと思えば当時高校生の従弟なんてゲーム機やカード、日用品も扱っている個人経営の本屋でアルバイトしていたが、子供が買いたいファミコンをケースから取り出してレジまで運ぶという作業ゲームみたいな内容で3000円の謎の臨時ボーナス貰ったりしてたんだからな。人それぞれだよ。」
「…………なんだかよく分かりません。3000円、今じゃ考えられません。」
「だろう?そう考えて振り返ってみると夢みたいだなって思う。」
「なんかカルチャーショックがスゴイです……。私が知っていたモノがガラガラと崩れ落ちるような……」
おっと、暗い話をし過ぎてしまった。気まずい空気になって居たたまれない気持ちになる。
「案外、この国の貴族とバブル景気は似ていたのかもしれない。逼迫している家ほど着飾って必死の形相を隠しているのがあの夢のように消えた時代と似ている気がして……」
「夢のように………ですか、バブルを知っているシンイチロウさんが言うならそうなのかもしれませんね。」
泣きそうな顔をしている昭美にシンイチロウは暗い話ばかりして彼女が望んでいた話をできなかった自分に非があると反省した。だが、昭美が先程彼が言った『夢のように消えた』というフレーズに反応したからとは鈍感なので気づかなかった。まるでその言葉が彼に重なってみえたからだ。
「ごめん、気の利いた言葉の1つも言えないで。それに明るい話がしたいなんて言ったのに俺がまた暗くしちゃった……」
「良いんです、知らない事を知れたのでよかったです。」
涙を拭いながら昭美は声を震わせた。寂しい、そう言えば彼を困らせてしまうから言えない。立っていたシンイチロウが椅子に身体を預けた。座り心地のよくない椅子はギシと音を立てて彼の身を受け止めた。
「はぁ、俺は君を満足させられなかったみたいだね。これ、俺のじゃないけど。」
「大丈夫です、泣いてなんていませんから。シンイチロウさんの話はとても興味深かったです。ただ、さっきから鼻がムズムズするだけです。」
「そうなの?ならこっちか。」
シンイチロウからハンカチを差し出された昭美は慌てて言い訳をした。肩を震わせ、少し鼻声になっていたらさすがの彼だって怪しむ。自分がどんな顔をしているのか彼には知られたくなかった、強がっていたい時だってたまにはあるのだ。幸いなことに彼はそれに気づくことなくティッシュを差し出した。
「ありがとうございます。」
「ふう、あーあ俺っていっつも話つまんないから本当に自分でも嫌になる。昭美さん、貴女は絶対に俺みたいな話つまんない男と結婚しちゃダメだよ。」
「はぁ、そうなんですか?」
そう言ってから彼は黙りこんで外を眺めた。昭美は一緒に外を見ている、そこには首都の眩いギラギラとした灯りが衛士の焚く火のように激しく煌めきを見せていた。
___シンイチロウ帰還まで後少し、その事実は否応なしに彼女達に忍び寄っていた。




