何かの予兆
湖からは色々なものが見える。無垢な人、欲深い人、十人十色な人々……でも、この澄んだ湖をもってしても人の心を覗き見る事は出来ない。
「ミラーナ様、貴方はあの戦いに何か八百長を仕掛けました?彼女と意見が合うのは正直言って癪に触りますがどうもそう見えてしまいます。」
「ヘンドリック、君までエリスと同じような事を言わないでくれよ。僕は試練を与える側の者だ、シンイチロウに苦痛を与えはすれど天上からの妨害を防ぐ以外に助けることなんてしない。あれは本当に彼の勝ちだ。そもそもあんなくだらない戦いに助けを差し伸べるほど僕は暇じゃない」
風がざわざわと吹いて花の香りがふわりと広がった。満開の桜、少し早いけれど下界はこれから春になるからとミラーナがエフェクトで桜を植えたものだ。
「………ついに指令も後1つですね、彼も元に戻れるのでしょうか?」
「何度も言うけどそれは彼次第さ。おや……これは?」
ミラーナは下界のとある場所に居た男に目を向けた。神の復活なるものを望み、ミラーナを辟易させシンイチロウにやり込められたあの噛ませ犬……彼の姿だった。
「そういえば、脱獄していたのでしたね。」
「彼は一体何を仕出かそうとしているのやら、まあ別に何かしようとしていた所で僕には関係ないんだけどね。……見てみるか。」
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神の復活…神の復活…我々が望んでいた尊き行為を台無しにしたあの男、アイツを許してなるものか。必ずアイツに一矢報いたい。
潜伏先にある宿の鏡の前に立つ。鏡の前には不健康な顔をした痩せた男の姿がある、欲しい物はまだたくさんある。服も金も…不健康な肌を隠すための化粧道具もあれもこれも足りないものはまだまだある。
「シンイチロウ…奴を、神の復活を妨げた奴を殺す…神に代わって裁きを!」
正確に言えば、シンイチロウは神が復活しようとどうでもよかったと思う。エレノアとの北の旅行で出会った意図せぬゲームとの関わりにより巻き込まれ、彼の野望を打ち砕いたのはあくまで副産物に過ぎない。だが、そんな彼の事情などこの男が知るよしもなかった。
「アイツをいつか……!」
憎しみの炎が一層強く彼の心に宿された。
鏡の中の彼は目を見開いて唇につり上げて笑っていた。__それはまさしく狂人の顔だった。
あまり派手に動く事は出来ない、朝陽が出てすぐに宿から出た。それからは首都の裏通りなどに潜伏して時間を潰し、金に余裕ができたら宿に泊まり……こんな生活を送る羽目になっているのもすべてはあの男のせいだ。ギリリと歯を食いしばってシンイチロウ=ヤマウチへの恨みを募らせていった。
そうして裏通りで惨めに座り込んでいると1人の貴族に声をかけられた。
「君、君は確か……」
人に威圧感を与える声、どうやら彼は自分のことを知っているらしい。それは不都合だ、殺してしまおう。身なりを見ると服も最新の流行のもので、生地も上等なものと見て取れた。つまり、目の前に居るこの男はかなりの上級貴族だと分かった。金を持っていそう、もし持っていなかったとしても身ぐるみ剥がして服を売れば結構な額になりそうだとほくそえんでいると、男は返事をしなかったことが腹立たしかったのかムッとした様子で再び声をかけてきた。
「君は指名手配中の元司教だな。こんな所に……待て、その懐の物は出番が無いだろうからしまってくれ。」
「……………………」
ここはおとなしくしておいた方が良いだろう、そう思って懐のナイフから手を離した。
「お前は神の復活を望んでいたのだろう?我々ならばそれを成し遂げる事が出来るだろう。さて、どうだ?我々の仲間にならないか?」
「わ、我々の……?貴方達は一体、何なんですか……」
さっきまで確かに彼しか居なかった筈、なのにいつの間にか後ろに数人のフードを被った人物が居る。驚いて後退りながら聞く彼に、男は諭すような口調で艶やかに答えた。
「我々の事はどうでもいいだろう?さあ、共に参ろう。」
「は、はい……」
反射的に返事をしてしまった。男は怪しげな笑みを浮かべてから深く頷いて、彼の手を引いてどこかへと連れていった。そして、フードを被った数人のうちの1人にこう耳打ちをした。
「良い手駒を手に入れたかもしれないな、念のため“迷花草”を投与しておこう。さあ、眠れ……良い夢を見ていろ。」
え?そう疑問に思った時にはもう手遅れだった。注射器をぶすりと刺されて視界が徐々に暗転してじわじわと消えていった。
そうして、引きずられて男達の秘密の隠れ家に連れていかれた。
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湖の水面を見ていたミラーナはため息を吐いて言った。
「……どうも彼とシンイチロウも切っても切れない運命で結ばれてしまったのか?面倒だな。」
「はぁ?それは一体どういう意味ですか?」
ヘンドリックは聞き返した。何となく答えは分かっているが聞いてしまった。
「彼とシンイチロウはまたぶつかり合うって事だ。まあ、それはまたのお楽しみだからこれ以上は言わないでおこう。」
「そんな………」
ミラーナはそのまま鼻歌を歌ってあずま屋の方に歩いていった。ヘンドリックもそれを追いかけようと歩こうとすると、風が吹いて目をぎゅっと閉じた。ふと振り返ると湖の水面に映った自分の姿を見た。そこには、もう半世紀も変わっていない牛みたいなずんぐりむっくりとした男の姿があった。映った自分の姿をまじまじと見ているとミラーナが不審に思ったのかこちらへと歩いてきた。
「ヘンドリック、何か映っていた?」
「いいえ、ただ自分の姿を見ていただけです。」
「そう、自分の姿をね……そうして何を思ったんだい?」
「いいえ、特には何も。ミラーナ様はご自分の姿を見て何か思うことはありますか?」
ヘンドリックに問われて考えてみた。緑色の髪に端正な顔立ちの少年、もう何千年、何万年もこの顔だ。見ても見慣れたなくらいしか思うことはない。
「見慣れたから何も思わないな。」
ミラーナは震える声でそう言って再びあずま屋の方に歩いていった。




