貧乏令嬢エレノアの社交
シンイチロウと別れてから会場に入るエレノア……今日招かれているのはオルハ侯爵家の夜会である。
会場に入ると、招待客の到着を告げる侍従の声が場内に響き渡る。その声から少し間を取ってから名を呼ばれた一行が主催者へ頭を垂れて挨拶をする。
「クライム侯爵夫妻様、御令嬢アング様……」
「ナショスト公爵夫妻様……!」
そうそうたる名が呼ばれていくなかでエレノアはそれを他人事のように眺めながら、料理に何が出されるのかを気が気でない様子で壁の花となっていた。
「貴女……いい加減借金地獄から解放されたんだから、御相手の1人や2人探しなさい。」
俯いていると上から声が降ってきたので顔を上げると、妹セイラの婚約者ルイの母親であり、歳の離れた数少ない友人であるマリア=ドレリアン男爵夫人が深い青色のクリノリンスタイルに身を包んで立っていた。
「あ……マリア様、でも御気遣いは結構です。」
マリアはエレノアの変わらない態度にやや苦笑しながら話題を変えて話始める。
「そういえばシンイチロウは……?あ、そっか彼は使用人だものね、今頃は裏の方で待機しているのでしょう。彼が居たなら面白い話を聞かせてあげられたかもしれないのに。」
「面白い話とはなんですか?」
クスクスと笑いながら穏やかだけれども何処か寂しそうな笑みを浮かべてマリア様は言った。
「確か、以前に彼が誰かに似ているって話をしたでしょう?やっと思い出せたのだけれども、彼はね私の故国でアベルおじ様の盟友だったある御方に似ていたのよ……。」
「まぁ……親子か何かなのかしら?」
「さあ?その御方には子供は居なかった筈だし、彼がレミゼ王国出身ならアベルおじ様の名前くらい知っていてもおかしくない筈だから違うんじゃないかしらね。他人の空似だと思うけど面白くない?」
「いや全然、そういえばその御方の名はなんと言うのです?」
「そうね、確か名前はショ__痛ッ!」
そのシンイチロウと似ている誰かの名前を言おうとした時に、性格が悪そうな顔がブs……ゲフン、ゲフン……あまり整っておられない高貴なる淑女がマリア様にぶつかってきた。名前は……誰だったかしら?貴族名鑑はほとんど頭に叩き込んだつもりだったんだけど、あんまり露出の無い方なのかな……。さすがに顔だけ見て『あっ!この顔は』と誰でもなるわけではない、有名な方ならそうなるがそうじゃない方はこの淑女のように分からないのだ。
「ふん!そんな所でボーッとしているから邪魔になるのよ、退きなさい!」
声から見てまだ幼い、淡いすみれ色の膨らませたドレスに身に纏っている。耳たぶにはルビーのピアス、首にはエメラルドのネックレス……ドレスの質から見て高位か成金の令嬢って所……身に付けているモノは一流なのに着こなしがなってないわとエレノアは眉間に皺を寄せながら思った。後にシンイチロウが同じような推察を少女に立てるのだが、それを彼女はまだ知らない。
「そちらが勝手にぶつかってきたのでしょう?退く前に謝っていただけなくて?」
「うっさい、退きなさい!」
少女が無理矢理私達の間を割って入ろうとしたその時、一際豪華な刺繍の入ったダークレッドのドレスを身に纏う1人の貴婦人が後ろに数人の淑女を侍らせながら少女の方に向かってきて
「あら?何かにぶつかってしまったようね、これは見ない顔だけど誰かしら?」
とピシャリと言った。
少女の顔がクシャリと歪む、その貴婦人に言い返せないからだ。貴婦人の名は、ソフィア=カサンドラ=ローズ=ラ=ナショスト公爵夫人……このマルチウス宮廷の華と呼ばれる人物だったからだ。
……その社交界の華ソフィアの声に反応するように後ろにいた淑女の1人が
「クライム侯爵令嬢のアング様でございます。」
とこっそり耳打ちするとソフィア様はわざとらしい大きな声で嗤いながら
「ふーん、クライム侯爵家?そんな家あったかしら?覚えてないや。けど、記憶力の良いキャサリン様がそう言うなら間違いないのでしょうね。」
と一言言った。
キャサリン様と言うのは少女の実家について言った御令嬢なのだろう。ともあれ、あのブs……じゃなくてアング様とやらは終わったわね。ソフィア様が名前を覚えていなかった=取るに足らない無能な人という方式があるとまことしやかに囁かれているのに。
「こんなのが私達と同じ青い血を引いているかと思うとゾッとする、本当にごめんなさいねメスリル伯爵令嬢のエレノア様にマリア=ドレリアン男爵夫人。」
「あ、大丈夫です。」
私とマリア様の名前を覚えてるなんて、凄い方。私達を知っているという事は多分アング様の名前も頭には入ってたんだろうな、わざと知らない振りをしたんだ。
貴族社会って恐ろしいな、お前も貴族だろうだなんて突っ込まれそうな事をエレノアは戦慄しながら思うのだった。
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その後、アング様はぷりぷりしながら殿方と躍りに行った、彼女が向かう先にいた殿方は全て眼を逸らしながら相手を探しに行っていたのは見ていて面白かった。
「本当にごめんなさいね、あの方も含めて私達は家の歴史が長いというだけでたいした事も無いのに威張って、本当にごめんなさいね。」
マリア様の手当てをするために談笑室に入った途端にソフィア様に謝られてしまった。
「いえ、そんな事は……。」
マリア様も私も萎縮してしまう。公爵夫人ともあろう御方が簡単に謝ってしまうなんて……なんだか不思議な人。
「いえ、私達もあのような御方達には辟易してるんです。」
「そうなんです。」
ソフィア様の後ろに付いた少女2人はそれぞれ口々に言ってから、慌てて自己紹介をした。始めに辟易していると言った茶髪のゆるふわウェーブの令嬢の名はタニア様、その後に同調した黒髪の令嬢はクロハ様というらしい。
「何でもあの方達は例の“王のつどい”に出入りしている御方達という噂、注意なさった方がよろしくて。」
「あの……その王のつどいってなんですか?」
ソフィア様が私の言葉に眼を見開いて驚いた顔をする。そんな事も知らないのかという顔だった。社交目的じゃなくて食費節約目的でしたなんて言えないマリア様が苦しい言い訳をしながら言った。
「申し訳ありません、この子は世間を知らないのです。」
「世間を知らないとかそういう問題なのかしら?良い?王のつどいっていうのは会員制の紳士クラブよ。だけど、中で何が行われているのか、会員は誰なのかという事すら分からない謎の団体、それが王のつどいよ。
あのアング様の父君、クライム侯爵はその会員という噂がある人よ。」
「なんだか怖いですね……」
秘密結社……そういう組織って小説じゃ何かしら悪事を働いているのよねぇ。
「まぁ、その方々の眼についたり触れたりしなければ何もならないのよ、だから大丈夫。」
ソフィア様とタニア様、クロハ様の3人とマリア様の4人と一緒に談笑しながらあっという間に時間を過ごしたのだった。
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ああ、そろそろ会場に戻らないとというソフィア様の声で私達は会場に戻る。
(あっ!そういえば、持ち帰る分のお肉全然キープしてなかった!)
会場に戻ってからその事に気づいたエレノアは料理のある方向へとドレスの山をすり抜けながら走っていく。バーゲンで半額セール品目掛けて飛び込んでいくオバさんのようなセリフを吐きながら彼女は肉の方へ突進する勢いで向かう。
その時、うっかりメイドの1人とぶつかってしまって謝るのだが、慌てて厨房の方へ向かってしまったので結局何も言う事が出来なかった。
(彼女……何か光ってた?)
皿の光沢か何かだろうと思いながら料理の所に向かって戦利品のお肉を堪能していると、せわしなく動くシンイチロウの姿を発見した。
(大変そう……後でたっぷりお礼しないと。)
そう思いながら、熊のような雰囲気の男を眺めていると、いつの間にか横にクロハ様が居て
「ねえ、あの使用人……なんだかかっこよくない?」
と言った。先程、シンイチロウが居た所だ、まさか……そう思ってハッと見ると、シンイチロウとはまったく異なるダンディーな男が居た。
「そうかな……」
見た目が良くても中身が良くないとダメな気がするんだけど、それに比べるとシンイチロウの方が……
(あれ?私、今何を考えていたんだろう……)
少し眠くなってきた、その為に何か思考回路に異変をきたしているんだ、きっとそうだ等とらしくない言い訳を考えながら給仕からグラスを受け取って一気にあおった。
「……うう、眠い。」
しばらくまどろんでいた私を起こしたのは聞き覚えのある金切声、あのクライム侯爵令嬢アング様の声だった。
「私のルビーのピアス、貴方が盗んだんでしょ!」
ルビーのピアス……ああ、そういえばそんなのしていたなと思いながら彼女の耳を見ると別の銀の耳飾りに変わっていた。
……付け直した時に何処かに置き忘れたんじゃないの?微睡む私はぼんやりとした思考でそう思ったのだが、どうも彼女は盗んだと言い張る。
「ああ!しかもさっきのダンディーな使用人が的にされてる!エレノアさん、ウチはあの人を助けたいんやけど……行こう!」
「ええ!?なんでそんな事を、面倒くさいな!」
なんかよく分からないけど、ピアスをそんなじゃらじゃらといくつも持ってくるなんて見栄の張りすぎじゃないかしら、決して私が彼女を妬んでいるとかじゃない。結婚式のお色直しじゃなくて普通の社交場だ、ガウンを脱ぐくらいならするだろうがピアスやネックレスをコロコロと変えるなんていかがなものかと思うのだが………。
(お肉、全然食べられてないのに……)
ソフィア様、タニア様、クロハ様……今日だけでこの3人と知り合った訳なのだが、私はなんだか面倒な人に知り合ってしまったようだ。やれやれとため息を吐きながら思った。




