性悪メイドの痛み
「嫌な夢見ませんように……」
そう願って布団に入る。けれど願った所で願いが叶った事はない、そうやって願った所で悪夢は襲ってくる。ある時は実の子じゃないと捨てられ、またある時は……辛くて、苦しくて、誰にも言えずに虚しい気分になる。朝、起きた時に何も覚えていませんように、願って目を閉じた。
朝、起きた時に幸運にも覚えていなかったけれどまだ3月だというのに夏のように汗をかいていた。きっと見たんだ、エリスはそう思った。
「なんで……ここ半年ぐらいは見ていなかったのに。」
あの家を飛び出して使用人になってからは見なくなっていた夢をどうして今になって見るのか、顔をしかめた。
まだ薄暗い朝に、起きて夜間着から着替えてキッチンの方へ行くとアリサも今起きたばかりみたいで眠そうな顔をして用意を始めていた。あたしは、いつもの嫌味な目線をかわして何も言わずに黙って準備を始める。少し遅れてからシャウムヒルデも起きてきた、彼はあたしが居る事を少し意外そうに見た後に話があると呼び出した。
「シャウムヒルデ、何か用でもあるのぉ?準備しなきゃいけないんだけど」
「エリスさん、貴女は何か無理をしていませんか?」
「無理、って何の事かしらぁ?」
彼に夢の事を見透かされたような気がして嫌な汗が背中を伝った。気のせい、彼が知っている筈ないんだもの。今まで誰にも言ったことないし、誰にも悟られたこともないんだから!
適当にやり取りしてのらりくらりと一言、二言答えてからキッチンに戻った。3月になり、水もだいぶ冷たく感じなくなり躊躇せずに触れるくらいになった。
「……変なの。」
朝ごはんを伯爵一家が食べ終わってから、こちらも休憩に入る。アリサも誰もあたしが内心ひやひやしている事に気づいていなかった、シャウムヒルデも先程の事を忘れたようにアリサと話をしているのでどうも気のせいだったようだ、安心してホッと胸を撫で下ろした。疲れた、まだ朝なのに心身の疲労が強かった。肩を叩きながら何故あの夢が甦ってきたのか考えてみる。
見なくなったのは、首都に来てからだからあの家から逃れられたのが大きな要因だと思う。エリスもそう思ったし、多分間違っていない。その筈なのに何故、甦ってきたのか……いや、何が不安だったのかだ。
「そうよねぇ。計画も含めて全て狂ったのは、あのシンイチロウが辞めた後なんだよなぁ……ってことは彼に原因があるって事なのかしらぁ?」
シンイチロウに原因がある、それもまた間違いないと思う。実際、彼が居なくなってからこの家の空気は芳しくない。エレノア様やポーター達次世代の宮廷を支える方達は、親の仇みたいな目で見てくる。伯爵夫妻は、どうしてこうなったのやらと嘆くだけ。………使用人はあんな感じ、どっちにも付かず離れずという中立だろうか?
心の中に何か刺さったような気がする、魚の小骨くらいの小さい、誰も気づかないような棘が刺さった。あたしが悔いている?彼に仕出かしたことを、そんな筈無い。過去に戻る事なんて出来ないけれどやってしまったことは仕方ないと思っている筈、だ……。
「でも、なんでこんなに違うんだろ」
彼の居た所は、こんな所じゃなかった。もっとキラキラと輝いていた、なのに今はどうして色褪せているのかしら……本当に分からないわ。手をついて謝りに行く?けれど彼がどこに居るのか、あたしは全く知らないからそれは出来ない。
「どうしたらいいんだろう、あたしは今更何を……」
エリスは今更ながら自分の仕出かしたことを悔やんで顔を歪めた。
________
「彼女も反省していたのね……もう、責めようにも責めづらいわ。こんな時に一体シンイチロウはどこに居るのかしら?」
「ずっと遠くみたいだな、首都には居ねぇな」
「あら、なんでそんな事になっているのかしら?首都の外に指令で救う人が居るのかしら?」
「……さあな。」
妙にそわそわしている弟に取り憑いたヘンリーの様子を訝しげに見て、これは何か隠していると感づいた。
「………で、何を隠しているの?」
「何が?そして、エレノア嬢……そんな怖い顔しなくてもいいじゃないか。」
「さっさと言いなさい、言わないと股間についているその急所を蹴りあげるわよ!!」
ヘンリーは内股になりながら、どうしたものかと考える。ここでの選択肢は言うか言わないかだが、言ったら言ったでエレノアが暴走する事が目に見えており、かといって言わなければポーター君の股間についている大事なモノが犠牲になってしまう。
「えーっと、そうだなぁ……ううーん、まあ、そういうことだ。」
「答えになってないわよ、唸ってばっかりで全然言いたい事が伝わってこないわ。」
「これまでの話の流れからして分かるんじゃねぇか?」
「……もしかして、シンイチロウの事?それとも指令の事かしら、どっち?」
ああ、よかった。分かってくれたか。
しかし、言いにくいな……アキミ嬢と共に居る事や解決すべきはエリスとのわだかまりだというのが。
「う~ん、どちらとも言える。しかし、企みと称するほどの事ではない、まだ何も考えてなどいないのだからな。彼女と彼には仲直りが必要だとは思わねぇか?彼はいづれこの世界から帰らねばならん、そんなときに彼女とわだかまりを残したままではよくないだろう。」
「……それはつまり、シンイチロウの指令は彼女との仲直りという事でしょうか?」
「なんでそう考える?」
まるで宮廷に居るみたいな気持ちになる、彼は肯定も否定もしていない。
「この話の流れからしてそうかと思っただけよ、でもあながち外れてはいないみたいね。」
「……羨ましいものだ、その頭の回転や感の良さを生前の俺にも欲しかったな。」
嘘偽り無い本音、今となっては無意味な仮定に過ぎないが。
「それで、彼女とのわだかまりを解かせるというのなら、今のちょっと弱気になっている所に彼の姿を現させて押してやればいいのよ、いざとなったら勢い任せですればなんとかなるようになりそうだけど……」
「世の中そんな簡単に行かねぇよ、勢い任せじゃなくてやはり心と心をぶつかり合わせなければならんと俺は思う。」
ここにシンイチロウが戻ってくることが1番望ましいとヘンリーは考えていた。彼が戻ってくれば自分はまた自由気ままな浮遊霊として活動できるし、この王朝末期のレミゼ宮廷を彷彿させるような重苦しい空気を纏った屋敷も元の和やかなアットホームな感じに変わるだろう。
(まあ、やはり彼女をやり込めるには真剣勝負にして仲直りしてもらうのがここじゃ1番かな。)
いつまでもポーター君の身体を借りる訳にはいかないとヘンリーは考えた。シンイチロウとアキミ、2人が首都に帰ってきたらすぐに真剣勝負をしようと話そう。………エリス、あー彼女には適当に決闘状でも送っとけばいいか、ヘンリーはそう頭の中で考えてニヤリと笑った。




