エリスへの親近感
俺達がメスリル伯爵領に着いたのは、秘密通路を使い関所越えをしてだいたい1週間ぐらいだったと思う。正確な日数は数えていない。
「つ、疲れた……もう無理だ。聞き込みは明日にしよう。もう無理、足が痛い、腰が痛い、頭も痛い、もう疲れた。俺は酔ったよ」
「なに、幼稚園児みたいな事行ってるんですか!行きますよ!」
「もう無理……ギブ、ギブだよ。」
着いた頃には夜。そして息切れが半端なく襲い、足はパンパンで、足が棒になるとはこの事だと強く痛感した。静かに呼吸をした、デスクワークの人間ではなく体力も伸びてきたと思っていたがやはり馬やシュメール人、アーリア人の発明は偉大だと感じた。その日は安い宿に泊まり、次の日からという事にした。
次の日………メスリル伯爵領ナンテン村。彼女の出生地である。この村自体は普通の村であった、何の特徴もない普通のごくごく一般的な農村。調べた所によると、エリスは養女で捨て子だったらしい。家族構成は、義両親と義妹で彼らとの仲は特別良い訳でも取り立てて悪い訳でもないとの事。
「義理とはいえ、妹か……兄弟居なかったからちょっとだけ羨ましいな。昭美さんには兄弟とか居た?」
「歳の離れた兄が1人居ただけでした。けど離れすぎててベッタリって訳でもありませんでした。侯爵令嬢としても兄と妹も居たけれど彼らとはあまり仲よくなかったので、私も兄弟という言葉に馴染みはありません。」
「ふーん、兄弟って言ってもそれぞれだもんな。上手く出来る場合と出来ない場合があるよな。」
そんな会話をしながら、俺らは聞き込みをする事にした。ちなみに彼女の家族構成などの情報は全て猫から得たものである。彼らから得られる情報には限りがある、今度は人から得ようと思っている。
とりあえず、道行く人に声をかけた。
「え?エリスちゃん?良い子だと思うけど。」
「何か悪い評判だったり、悪事を聞いたことはありますか?」
「いやいや、そんな事ありませんよ?本当に良い子なんです。」
礼を言って別れてから、ケッ!コイツも騙されてやがる、俺は苛立ちを覚えながらそう思った。彼女は周りの連中の間では、良い子ちゃんの皮を被っていたようだ。ふん、昭美さんほどではないけれど俺も苦手なタイプだ、そこまで思ったがよく考えてみれば彼女なんてまだその黒いものを隠せていない分可愛いもんだと思い、笑みをこぼした。
他の人々にも聞いたが、内容はたいして変わらなかった。ただ、気になったのは彼女の周りではよく物が無くなる事件が起きたそうだ。しかし、犯人は彼女ではなく別の子で彼女らは皆一様に『私はやっていない』こう言うのだが、彼女のポケットやバッグやどこかしらから盗まれていた物が出てくるのだそうだ。
「それ、なんか怪しくありません?」
「バレそうになったから、エリスがその女の子達に擦り付けたって言いたいのか?」
「……そう思いましたけど。」
「まだそうだと決めつけるのは早くないか?君の予想はあながち間違っていなさそうだけれど。」
「じゃあ、どうやって答えを知るんですか?」
「こういうのは家族に聞けばいい、魅了魔法モドキ……女なら効く。あの家庭は女2人に男1人、女の方が多いから入り込みやすい。」
家族、自分で言ったその響きに少し感傷的な気分になる。
もう何日経っているのだろう、少しの誤差はあるがこちらでの半年が向こうでは1日だと言われているらしい。それならば、こちらへ来て後2ヶ月で2年なので向こうではもう4日が経とうとしている事となる。懐かしいような忘れかけているような……今までふとした時に頭の中に昔の思い出がよぎる事はあったが、自分から意識して思い出そうとすると上手くできなかった。
エリスの家は普通と変わらない小綺麗な感じの木造の家だった。俺の育った日本家屋のような辛気臭さやジクジクと胃を痛めさせる重苦しさもなくメスリル伯爵家のような和やかな感じがする、クリスマスになればイルミネーションが輝く幸せそうな普通の家庭に見えた。そこで育った彼女がどうしてあのような人間になるのか、想像がつかない。養女だった事で負い目を感じていたのだろうか?
「あの、なにか……?」
「さて、少し話がしたいのですが(……魅了魔法モドキ、発動)」
心の中でそう唱えながら、応対に出たエリスの義母と思われる女性に術をかけた。どうやら聞いたようだ、彼女はすぐに頬を赤くして家に招き入れてくれた、どうも義父は留守なようだ。モドキでも便利な事は変わらない、神様本当にありがとう。ついでに家の中に居た義妹の方にも術をかけてから話をした。
「聞きたいのは、エリスさんの事です。彼女は一体どのような人ですか。」
「良い子だと思いますけど、それが何か?あの子、何かしたのですか?それなら母親としてお詫びを……」
………したよ、俺の事クビにしたよ。
あれは指令の方に気を回しすぎて隙を見せた俺にも責任はあったけれど、濡れ衣着せられたのに変わりはない。何かしたどころか、大騒ぎを起こしやがってと胃がキリキリとした。
清潔なカーテンレースからこぼれて入ってくる日射しがやけに寒々しく冷やかに感じた。それを無視して答える。
「そうですか、では妹さんの方は。」
「お姉さん?別に普通の良い子ちゃんだと思うけど。」
「……そうですか、それで本当の所はどうですか?2人とも、答えてください。」
魅了魔法モドキ、一応服従させる面もある。命令口調で言うと従わせる事も出来る。
「……私は、あの子の事なんて…拾うんじゃなかった。子供が生まれるって分かっていたらそんな事しなかった!」
「お姉さんはいっつも私の事を馬鹿にして楽しんで!」
………エリス、お前は今までそんな人生を送っていたのか。
俺はほんの少しだけ彼女に親近感を覚えた、彼女ら2人の妬みや嫉みがエリス、彼女をどれほど苦しめてきたのか。どうして、彼女らは彼女の気持ちも考えずに自分勝手なんだろう……!こんな環境に居れば彼女が人の地位を奪いたがるのも当然だと感じた。
「本当に、本当に自分勝手だ。貴女達は彼女の気持ちを考えた事があるのか?養女の彼女を疎んじたくなる気持ちも分からんでもない、だが『お前は不要だ』そんな気持ちを悟らないほど人間っていうのは馬鹿に出来てなんていないんだぞ!!そんな気配を毎日のように感じさせられた彼女の気持ちを考えた事はあるのか!……お前達には子供を育てる資格なんてないよ、そんな実の子が生まれたら厄介者扱いしてるような奴に……あんな思いを子供にさせてる奴に親になる資格なんてある筈が無い!!あんたらがしているのは虐待の一種だ!」
「シンイチロウさん!?一体どうしたんですか……」
金切声をあげて机を叩いた。昭美が自分の豹変ぶりに心配しているのを我に返って確認して、何事も無かったように呟いた。
「……取り乱して申し訳ない、でも彼女のバックボーンは分かったからいいか。2人とも、今日の事は私達が訪ねてきた事も含めて、忘れてください。誰も訪ねてなどいない、何も起きてなどいない……いいですね。」
そう言って家から出て、息を整えた。彼女が言った。
「あれじゃ、忘れてもらえそうにないですよ?一体どうしてしまったんですか……」
「俺にも分からない、でも彼女に対しての気持ちが少し変わり始めた。……昭美さんにそんな事言っちゃ軟弱だなんて思われるだろうけどね、俺は彼女を責める気にはなれないな。」
「……どうしてですか?」
そう聞いてくる時点で彼女もイルミネーションが飾られているような幸福な家で育ったのだろう。侯爵令嬢としてもある一定水準は幸せを得られていたのだろう。
「人って案外簡単にひねくれるもんだ。『あの家の〇〇君が息子だったら……』とかそんな言葉1つでもそうなる可能性を秘めている。そして、それを毎日、毎日言われ続けたらどうなるか、想像くらいはつくだろう?」
「同情なんてしてはいけません、そうだとしても彼女が貴方にした行為が消える訳ではありません。それに、暴力を振るわれないだけまだマシですから。彼女は世間の波に揉まれた事の無い温室育ちのお嬢様です、貴方だって議員だったわりに甘い人ですね、そんな人ばっかりだから革進党に政権を取られたんですよ!」
彼女の言葉にはズシリという重みがあった。やたらと彼女の姿もいつもより大きく感じた。
「……甘かったのはきっと俺だけ、他の人はしっかりしていた。きっとそうだ、多分そう。でも、この議論は蟻地獄だから止めよう。“もしも”や“だったならば”なんて言葉、今更使って何になるんだ、夢にしかならない。今はエリスの事だけを考えよう。」
彼女はきっと身体に感じる痛みを知っている。それを誰から受けたのかは何となく想像がつく、きっとこの先かの御方とは対峙する事となるのだろう。でも、彼女はあの暴力を振るわれている訳ではなく、家族から表立っては疎まれている訳でもなく表向きは日々の生活を送れているあの息苦しさを知らないんだ。何か危害を加えられている訳ではなく、ネグレクトのように放置されている訳でもなくただ生かされている。何もされてなどいないけれど時々蛇のような目で睨まれて、『〇〇君の方が良かった』と言われ続けて傷つき、『アイツは何の努力もしていない』と心ないレッテルを貼られ苦しんでいても貼った奴らに気づかれずにまた苦しんで、酸素を奪われるような閉塞感を知らないんだ。
胸が張り裂けそうな痛んだが、グッと唇を噛んでから何でもない振りをする。
「私、シンイチロウさんのそういう所嫌いではないです。」
「そう?それはどうも……。まあ、分かった訳だけどもうちょっと調べてから首都の方に帰ろう。でも今日は疲れたから宿に帰ろう。」
食い違う、ザラザラとした砂糖のようなズレを感じながら宿へと戻っていく。そのうち、胸の痛みが涙へと変わって静かに溢れる。前を歩いている昭美に気づかれないようにそっと手で涙を拭った。




