彼の魅力の根源
シンイチロウさんは不思議な人だと思う。彼が何か輝きを持っている訳ではないと思う、彼はどちらかと言えば不格好で隅にいる方が似合う方。だけど、彼には言葉では言い表せない引力がある、まるで主人公のような………。
「シンイチロウさん、街へ行きましょう!」
「ん……そうだな、落ち着いてきたし行こうか。というか、そんなに気を使わなくてもいいんだぞ。俺はなんとも思っていない、伯爵家の人間やエリスを恨む気持ちはない」
「そうじゃないんですけど……」
「じゃあ何なんだ?何か不安な事でもあるのか?そんなに浮かない顔をして。」
変な奴だと眉をあげて首を傾げている彼の横顔を見つめる。
私には、山内信一郎という人物が分からなくなった。彼は、私の居た2020年よりも前から来ている。そして、国会議員だった事も知っている。この妙な魅力はここから来ているのだろうか?それとも、人間は過去に囚われる生き物だから後ろの失われた空気を纏っている彼になんとなく古きよき時代を重ね合わせているだけなのだろうか?
「なんだ?俺の顔に何かついてるのか?」
「いいえ、そんな事はないです。」
「変な奴。昭美さん、俺の顔をそんなまじまじと見ないでくれよ。なんか恥ずかしいよ」
恥じ入るように視線を逸らして、先へ進む彼の後を追いかける。
外の雪は止んでいたが、雪の冷気を含んだ冷たい風で鼻は赤くなり、息は白くなった。首都も相変わらず重装備で行き交う人々で溢れていた。
「相変わらず人が多いな、はぐれないようにしないと。」
「そうですね、今日は何を買います?やっぱり簡単でもいいので寒さが凌げる物が欲しいです。」
「う~ん、寒さか……それも良いんだろうけど、どうせ2月が過ぎたら春がやって来るんだ。今のままで大丈夫だろう。それよりも、食料や調理器具とかが欲しいな。後は防寒着……パジャマと他の2着しか残っていない、今日は服でも買ってすぐに帰ろう。あまり長居したくないことに変わりはないしな、こんな人混みに居たらスリにでも遭いそうだ。」
賑わう通りを見ながらそう言って、私の服の裾を引っ張って言う。
「おいおい、嫌なもん見ちまった。」
「嫌なもの?」
彼の見ている方に目を向けると、彼の目の先には女性が居た。服装は地味であるが、フリフリなどは控えめなメイド服で何処かの使用人だと思う。愛嬌ある顔で小悪魔タイプ……典型的なブリッ子な見た目をしていた。けれども見た目ほど愛嬌などなく、何か黒いものを抱えているのを自分の中の侯爵令嬢アングが感じ取った。
「彼女は誰?見たことない顔だけれども……」
「エリスだよ、俺が辞めさせられたきっかけを作った元凶。」
ぶっきらぼうに言った。彼の顔に恨みは見えない、まったく恨んでいない訳ではないだろうけれど複雑な心境が混じっている感じがした。彼が恨んでいなかろうと彼への仕打ちを考えると自然と彼女の方をにらんでいた。
「そういえばああいう顔だったような……。それは、あまり関わりたくないですね。許されるものなら即刻排除したいものです!」
「まあまあ、落ち着いて……触らぬ神に祟りなしだ。触ったら何か起きるんだったら触らない方がいい。無視しろ。」
「でも……」
彼がそういうならそれもそうかと思って無視して、衣類や食料品の方へと足を向けて歩いていると、なんと彼女の方から駆け寄ってきた。うわあ!と思い、その場から離れようと踵を返そうとすると掴まれていた裾をぎゅっと引っ張られた。
「あ、シンイチロウさん。元気にしてましたぁ?」
「元気だな、今のところは。そっちも元気そうじゃないか、健やかにしているようでなにより。」
静かに怒っている、そう感じた。彼自身は気づいていないだけで深層心理では彼女への怒りを忘れていないのでは、私はそう考えた。
「えへへ♪そういえば、こちらの女性は一体誰なんですかぁ?」
「ん……彼女は、アキミ。俺の親戚みたいなもんだ。」
「へぇー、そうだったんですかぁ。」
親戚って何を話を創っているの!そう思ったが、よくよく考えてみれば、夫婦でもない男女が同居しているというのは不都合なのでそう言い換えたのだと結論付けた。それにしても鼻につく女、こういう女って本当に嫌い。
「………で、仕事中だろう?早く帰った方がいいだろう、貴女はエレノアの信任の厚さだけで雇ってもらえていた奴とは違って皿も割らないし、家事も出来るだろう?こんな所で道草食うのはよくない。
では、失礼します。……昭美さん、行きましょう。」
「ええ、そうですね。」
硬い声で、彼が思いのほか強く引っ張ってくるのに戸惑いながら彼女と別れて人混みに紛れていった。人混みから離れた所に来て、タイミングがよくなった頃合いを見計らって私は彼に聞いた。
「どうして嘘ついたの?彼女を恨んでいないって、あれは嘘ですよね?」
「………そんな訳ない、俺は恨んでなんていない。彼女の事も、自分に降りかかった事も何もかも恨んでなんていない、あれは身から出た錆なんだ。だから、恨んでなんていない。」
彼は苦しそうに顔を歪めて、遠い遠い過去を思い出すように呟いた。それを見ていて、彼から今までの話を聞いている時から思っていたが、彼はアンバランスなんだとふっと気づいた。
「一体貴方の身に何があったんですか?私には、何か耐えているようなわだかまりを感じるのですけど。もし困っているのなら、私に出来ることがあるならなんでもするから!ですから……いや、やっぱり……」
「そんな風に見えた?別に俺は助けて貰う事なんてないよ。俺の心は変わらない、恨んでなんていないんだから。」
「そうですか?」
話題を出してから、触れられたくない所だと思って引っ込めようとしたけれど言葉が続かないうちに彼は答えを言った。
「何事も恨んでなんていないけど、恨みたいことならある。神様ってどうしていい人ばかりを早く奪うんだろうな。あ、いや、こっちの話、気にしないで。」
「いい人って言われても範囲が広くて分かりませんけど、誰かにとっては悪い人かもしれないからじゃないですか?……というか、それが恨む恨まないと何の関係があるんです?」
「ううん、なんか俺の周りに居たいい人って皆居なくなるからさ、だからそれは恨みたいなって思うんだよ。それに比べたら彼女が仕出かした事を恨んだ所で俺が感じた気持ちが消える訳じゃないんだもの。恨むのは無駄、無駄な事は嫌いなんだ。」
シンイチロウは目を閉じた。瞼の裏には、まざまざとワニみたいな顔の親父や尊敬する大先輩やヘンドリックの顔が出てきた、どうして彼らのような骨のある魅力に富んだ人物が消えて俺のような数合わせにしかならない小者がノウノウと生きているのかと世の中の不公平さを感じた。それに比べたら自らの浅ましさや彼女が仕出かしたを想う気持ちなど塵のようなものだ。
昭美は異世界に来てもなお癒されることのない彼の心を巣食う闇の所在に苦しんだと同時にそれが彼の不自然なアンバランスさに繋がっているのだろうと理解した。
グッと人を引き込むような太陽ではない、月のように寄り添って人々を包み込むような魅力。そうした魅力があると思えば精神的にはあまりにも未発達で自他ともに認める小者さ。彼の普段の言動は滑稽なものだったのだろう、けれども選挙の時に見せたような熱意のある面、幼い言動があるかと思えば彼が話すような平坦な人生を歩んだ者が抱かないような諦観を持つその二面性、それが引力の根源なのだと気づいた。
「シンイチロウさん、なんだかごめんなさい。でも…本当に困った時は言ってください。」
「ああ、そうだな。じゃあ、いきなりだけど、この荷物持ってくれないか?少し重い。」
その時、久しく聞いていなかった電子音が彼の胸元からした。
「………ついに来たか、指令が。」
6つ目、これと次を解決したなら彼はこの世界には居られない。そう思うと悲しくて胸に穴が空いたような気持ちになったがそれを押し隠して、『指令の内容はなんですか?』と平然を装って言う。ガラケー、私がそういう機械を持たされるような年齢に達した時にはもうスマホが主流だったがお祖父ちゃんや私が幼い頃に両親は使っていたのでいつかはメールの早打ちがしてみたいなどという憧れに近い気持ちはあった。
《6つ目、性悪メイドを懲らしめろ。
クリア条件、なんでもいいからメイドのエリスをやり込めたらOK。
救うべき人物、メスリル伯爵家メイドのエリス。》
「__だとよ、俺は祟り神に触らなきゃならんらしい。」
「反対です、神様は一体何を考えているのですか!あのような輩は即刻殺すべきです。さいわいマルチウスには銃刀法違反などという枷はないのでなんとか正当防衛に見せかけて殺せば……やり込められる筈です。」
昭美の物騒な物言いにシンイチロウは面を食らった顔で言う。
「君にそんな物騒な面があるなんてね。俺の心配してる場合じゃないよ、君の方こそメンタル的に何かわだかまりがあるんじゃないの?それに、救うべき彼女を殺しちゃいけないでしょう。」
「それはそうでしょうけど、私は彼女を許そうとは思えないんです。」
「ああいう系の女の子に何かされた経験でもあるのか知らんが物騒な考えは捨てなさい。とりあえず、帰ってから考えるしかないな。」
エレノアとは違う方向で勢いのある女性だと思いながら、シンイチロウはガラケーをしまって『帰ろう』と一言言った。




